迷子の深海魚

その後は実に大変だった
突然いなくなった雑渡さん
喜八郎が偽書の術でも使いましょう、と雑渡さんの文字を真似て手紙を書き
さらには雑渡さんの声色を使い電話をし何とか事なきをえた

筆跡を真似るだけならわかるが
まさか声色を変える事まで出来るとは
つくづく忍者って凄い


「しかし…どうやって雑渡さんは戻ったんだろう…」


喜八郎の穴に身を落とした雑渡さんはそのまま消えてしまったのだ

ちなみに私のマフラーも消えた

いや、マフラー如きはどうでも良い
しかし突然雑渡さんが去った事により親への説明は大変だったし
雪かきに私もかり出されるようになったし

というかいきなりいなくならなくても
等言いたい事は山ほどある


「雑渡さんはどうやってこっちに来たんですか?」


未だに考えが上手くまとまらない中喜八郎は口を開く
この子はこういう時年の割には冷静だ
忍者たる者こうあるのが普通なのだろうか


「えっと、戦の時火縄銃で撃たれそうになって
気付いたらここにって…」


今更だけど、こうとしか話を聞いていなかった
もっと色々聞いておくべきだったのだろうか
今更何を思っても遅いのだが


「そうとしか言ってなかったんですか?」

「どうかしたのかい?」

「雑渡さん程の人がそう簡単に撃たれるとは思いません
もし、撃たれそうになったとしてもただ避けるだけじゃなかったと思うんです」


私は戦は未経験だ
よって喜八郎のような仮説は一切立てられない

しかし神妙な面もちをした喜八郎はその状況に何か思う事があるのだろうか


「恐らく、塹壕に身を隠そうとしたんじゃないでしょうか」


あぁ、また出た


「なぁ喜八郎
前々から聞きたかったんだけど塹壕ってなんだい?」


雑渡さんも喜八郎も
仕方ないのだけどこの時代で使われない言葉をよく口にした
毎回その言葉の意味を追求しなかった私も悪いのだが

塹壕、何回か聞かされたが私は未だにその単語の意味を知らない


「塹壕は合戦の時に使われる防御用の穴の事です」

「…穴?」

「僕は学園で穴を掘っていて
よく出来たのでその穴の中で眠っていたらここにいました」


つまり喜八郎は穴の中で眠り
気付けば雑渡さんが掘った穴の中で寝ていた


「…もしかして!」

「恐らく、穴に入るのが切っ掛けなんだと思います」

「そうか!それだ!
喜八郎が居た所も穴だ!
良かったね喜八郎!帰れるよ!!」


雑渡さんが何故あそこにいたのかは分からない
けれど雑渡さんが消えたのも喜八郎の穴だった

穴に関係するのは間違いない

やっとだ
長かったがついに二人が五百年という時間を越えたきっかけが判明した


「…」

「喜八郎?」


やっと帰れるのだ
見知らぬ土地どころか見知らぬ世界でこんな子供が
この世界では同じ年の子供は何も考えずに生きる世界で彼はどれほど大変だったか

友達はおろか家族もいない世界から
やっと自分が生まれ育った世界に帰れるのに

彼の表情はどこか暗かった


「…なまえさんは、僕たちが帰るのが嬉しいですか?」

「喜八郎…」


あぁ、なるほど
彼は少しばかり
ここに長く居すぎたようだ


「当たり前じゃないか
君は忍者になる為に忍術学園に入学して
大切な友達や先輩、家族があっちにいるんだろう?
君が帰るべきなのはここじゃない」


私からこんな風に距離を詰めるのは初めてだったが
不安そうな喜八郎を抱きしめ言い聞かせるように囁いた


「でも」

「良いかい喜八郎、君は帰るべきなんだ
…それを寂しいなんて言って引き留めるのは
大人気ないんだよ」


寂しくない訳無い
こんなにも慕われる事、そうないだろうし
こんなにも世話を焼く事はそうない
彼は立派に私の日常と化していた

けれど私は大人だ
大人のわがままで子供を振り回す訳にはいかない


「…やっぱり僕はまだ子供ですね」

「良いんだよ、まだ子供で
そうやってまっすぐ感情を伝えられるのは子供の特権だ」


何も恐れず
感情を伝えるなんて事
私たちには出来なかった


「なまえさんと雑渡さんがどうしてあんな関係だったのか少しわかりました」

「私達は大人だからね」


子供だからこそまっすぐにいられる喜八郎を少しだけ羨ましく思った

周りを見て
感情を閉ざすなんて事を当たり前に出来るようになったのは
出来なきゃいけなくなったのは何時からだっただろうか


「なまえさん」

「うん?」

「僕、なまえさんみたいなお嫁さんを探します」

「そうか、でも喜八郎はもっと良い人を見つけられると思うぞ」

「なまえさんみたいな人が良いんです」

「ありがとう、まぁ喜八郎が幸せになってくれるなら私は嬉しいよ」


もうすぐ彼は私の手の届かないところに行ってしまう
どうか健やかに
笑っていて欲しい


「出会ったのが、なまえさんで良かった」

「私も来てくれたのが雑渡さんと喜八郎で良かったよ」


触れた体温は暖かくて
離れたら体が冷えてしまうのではと錯覚する程だった

雪はまだ溶けていないのに
喜八郎からは雑渡さんと同じ

太陽と土の匂いがした