月と深海魚

「組頭、客人です」

「私に?」


五百年後の世界から戻ってきて数日
私は元の生活を取り戻した

火をつけるのに火種を用意し
水は井戸や川から汲み
戦の諜報の後場合によっては人を殺め

何ら変わらぬ生活だ

私があちらで過ごした数ヶ月だが
こちらでは数日しか経っていなかったらしい

私が数日行方不明になった事により一時は大変だったらしいが
戦に関してはすでに明確な指示を出した後だった為かそこまでの混乱は無かったとの事だった

我ながらよく出来た部下達だ


「お久しぶりでーす」

「喜八郎君…!戻れたのか」


そんな私の元に訪れたのは最近の心配事の一つであった綾部喜八郎君だった


「はい。どうやら穴がきっかけだったみたいで
あの後僕も戻れました」

「そうか…良かった」

「で、これなまえさんから預かってきました
薬と包帯、それに文です」

「文…?」


手渡されたのは大量の軟膏に包帯
それに僅かばかりの私の私物に薄い文だった

あの時代の文は随分と小さいのだな

封を開けると一枚の紙が入っていた

内容は、突然いなくなるなんて驚いた
けれど戻れて良かった
時代は違うけどどうか幸せになって欲しいと願っている

と言った内容を簡潔に書かれ
最後に

二人がいなくなったから私も雪かきにかり出される
覚えてろ

という恨み節とこの手紙は燃やして下さいという
他の文より少し小さな文字で書かれたで一文で終わっていた


「何が書いてあるんです?
…なーんだ、僕に言っていた事とあまり変わりないや」

「そうか。さて、じゃあこれは燃やそうか」


火種を用意し
火打ち石を打ち付け火を起こす

枚数もない薄い紙はあっという間に燃え
灰になった

その僅かな火が燃えてから消えるまでを
私たちは無言で見ていた


「僕なまえさんに大好きだって言ったんです」

「うん」


焦げた匂いが鼻をかすめる中
口を開いたのは喜八郎君だった


「きっと初恋だとも言いました」

「そうか」

「雑渡さんは言わなくて良かったんですか?」


あぁ、やはりまだこの子は子供だ
まだまだ青い


「言わなかったんじゃない
言えなかったんだよ」

「僕もなまえさん大好きだけど
多分なまえさんは僕より雑渡さんが好きです
というかきっとなまえさんと僕の中にある好きと
雑渡さんとなまえさん達の間の好きって違う気がします」

「鋭いね。その通りだよ」


そう返してあげると
少し頬を膨らませていた


「君もあと十年もすれば分かるようになるさ」

「そんなもんですかー?」


喜八郎君はなまえちゃんに恋をした

私はなまえちゃんを愛していた

その差だ


この時代でさえ
この体にこの仕事をと思うと人を好きになるのは躊躇われる

それが五百年も未来の世界で
すべてを失っていた状態で睦言など言える訳がない

「私はね、楽しい夢を見ていたんだ
十分幸せだった」


言葉にはしなくとも
伝わっていた

それをずるく
お互い気付かない振りをしていたのだ


「そうだ、季節は早いが喜八郎君にこれをあげよう」

「これ、なまえさんのマフラーじゃないですか
良いんですか?」

「私はなまえちゃんに貰ったマフラーがあるからね」

「良いな〜」


言葉にはしなかった
ごっこ遊びだと割り切っていた

けれど私は幸せだったし
確かに愛していた

後悔は無い
どうせこの体だ

残りの人生彼女を想いながら生きて行くのも悪くはない


「折角だから饅頭でも食べて行くかい
殿が南蛮から取り寄せた物がある」

「食べまーす」


昼の月が見える

思えば穴に隠れたがる喜八郎君はまるで魚のようだ
そう考えると彼女は海だろうか

どこの誰とも分からない上にこんな体の男にあぁも良くしてくれて
彼女といる時間は心地よかった

彼女が海なら私はせめて月でありたい

決して一緒になる事は叶わないが水面に映る月のように
一緒にいれるのだと錯覚出来るだけで良い


(君は私を好きだと言ったけれど
私は君を愛していたよ)


深く深く潜りたがる
深海魚が暖かく包み込んでくれる海に恋をして

海の頭上、自分の姿を映してくれる海に月が愛を覚えた


そんなお話



ー月と深海魚ー

おわり