魚の謀

それは唐突な一言から始まった


「喜八郎君に会いに行こうか」

「!」


こちらにやってきて三日が経ち
布団のかたさにも慣れ始めた時の話だった


「喜八郎に会えるんですか!」

「勿論。顔を見せてあげたらあの子も喜ぶだろう」


喜八郎、元気にしてるだろうか
勉強はしているか
ご飯は食べているか
笑っているか

聞きたい事知りたい事は沢山ある


「はぁ…来ると分かってたらお土産持ってきたのに…あと着替え…」

「そう上手くはいかないさ
さて、そんな訳だから忍術学園に行こうか
残念ながらなまえちゃんを送ったら私は仕事に行かないといけないけれど」

「え、つまり私一人?」

「大丈夫、忍術学園はよい子達ばかりだし
喜八郎君も久しぶりの再会なんだから二人が良いだろう」


その心遣いは有り難い
しかし仮にも学校なのに部外者がそう長居出来るものなのだろうか

そしていくら何でも学校に置いてけぼりとかちょっと無責任ではないかとも思ったが雑渡さんの事だ
何かしらの考えがあるのだろう


「それじゃあ着替えて行こうか」

「お願いしまーす」


ちなみに
着付けはまだ出来ない



──────────


「じゃあ私は仕事に行くから
夕暮れには迎えに来るよ」

(結構長いな…)


太陽はまだ私の真上にある
日の長いこの時期に夕暮れまで…
結構な時間になるが大丈夫だろうか
喜八郎も授業があるだろうし…


「道中買った団子は大きい包みを学園長殿に
残りは喜八郎君と二人で食べなさい
学園の者には喜八郎君の親戚だと名乗ると良い
円滑に事が進むよ」

「はい、分かりました」

「なるべく一緒にいてあげたいんだけど
これ以上組頭が城を空けるのはまずくてね」

「いえ、お気になさらず
とりあえずこっちはこっちで上手くやりますので
お仕事頑張って下さい」


そう言って一礼すると雑渡さんは有り難うと言って姿を消した
何回見ても慣れない。忍者凄い

学園の入り口である重そうな扉を叩き
事務と書かれた制服を着た子に言われるがままサインをするとあっさりと学園に入れた

よく分からないが忍者の学校なら忍ぶものじゃないのだろうか
こんなにも簡単に部外者が入れて良いのだろうか

事務員のミスなのではないかと疑ってしまう
何もない所でこけた様を見てこの子は大丈夫なのかと他人事ながら心配に思った
(けれど同時に愛想が良いのは受付には向いてるなとも思った)

喜八郎の在籍する四年生は今日はもう授業が終わったらしい
四年長屋の方だと思うとそこへの道案内を口頭で聞き
足を進めた

しかしこれが忍者学園
忍者だけでもまるで本の中の話なのに更にはその忍者を育成する学校か

道中垣間見た塀の長さから膨大な敷地なのだろう
ここが喜八郎の学びや…

久々の再会で少し甘やかしてしまいそうだが本人の為にはならない
気を引き締めて…


「っだああああああ?!」


気を引き締めていこう
そう思った矢先に私はなぜか地面を踏み外し
気付けば穴の中だ


「ったぁ…最近よく穴に落ちるなぁ…
…良かった、団子は無事だ」


雑渡さんに渡された着物は少々泥がついてしまったが団子は死守した
仮にもこの学園で一番偉い方に向けての土産だ
とりあえずは良しとしよう
(しかしこの様な格好で挨拶に向かうのも失礼な気がする)

そして私の落ちた穴は深く自力での脱出は叶わない
さて、どうしたものか


「おや、誰か僕のトシちゃんに落ちたようだ」


その時頭上から声が聞こえた

それは聞き慣れた
懐かしい声


「喜八郎!!私!私だ!」

「おやまぁ」


ひょっこりと穴を覗いてきたのは間違いなく喜八郎だった
相変わらず泥だらけで
手に持っているのは以前話してくれた踏子ちゃんだろうか

しかし変わらないようで何よりだ


「喜八郎、とりあえず私を穴から出し…てぇっ?!」


何を思ったのか
躊躇いもなく喜八郎は穴に身を投げ
私の上に降ってきた


「…喜八郎…一体何を…」

「本物だ」

「ん?」

「夢じゃない」


次に私を包んだのは喜八郎の抱擁だった
この学園に来てから随分と驚きっぱなしだ


「…久しぶり、元気してた?」

「はい」

「相変わらず綺麗に穴を掘るね
喜八郎の穴から見る空、私好きだよ」

「はい」

「また会えて嬉しいよ」

「僕もです」


こんなに熱い抱擁、恐らく雑渡さんにもされた事ないな
雑渡さんと違いきちんとお別れを出来たと思ったが、関係無いか

しかしこんなにも歓迎されると帰りにくくなる

久しぶりに嗅いだ土と太陽の匂いに少し心が躍った


「小袖姿のなまえさんは新鮮ですね
それに化粧もしていないと幼く見える」


やっと満足したのか
身を放したもののこの落とし穴は広くなく、相変わらず距離は近い


「いつもの格好は目立つからね
突然だったから化粧品はもって来れなかったんだ」

「ふーん、しかしなまえさんが此処にいるという事は春が来たんですね」

「…?何で分かるんだ?」


確かに私の時代は春だ
しかしこの世界は春ではない

二つの世界の時間の流れが違うと雑渡さんから聞いていた
なのに何故喜八郎は私の世界の季節が分かるんだ?


「言ったじゃないですか。雪が溶けたら僕を思い出して下さいって」

「ん?あぁ、別に雪溶け関係なく喜八郎の事は思い出していたが…」


確かに喜八郎は別れの日に私にそう言った
雪なんて関係なく思い出すのにとしか当時も今も思っていなかった
というかその言葉にそれ以外の意味を見出そうとも思わなかったのだが


「冬に掘った落とし穴が雪の重みで見つからないよう
落とし穴の中に雪を敷き詰めたんです」


今になって
あの言葉の意味を私は誤解していたのではないかと気付いた


「春になって周りの雪が溶けると落とし穴の中の雪も溶けて初めて僕のトシちゃん蝦夷仕様は発動します」

「…ほぅ」

「いやー、穴がきっかけだと聞いた時もしかしたらなまえさんも穴に落ちたらこっちに来るのかなーって思いまして
それでトシちゃん蝦夷仕様を作ったんですが本当に上手く行くとは」

「…喜八郎、私に言う事は?」

「だーいせいこー」


つまり
私が今この世界にいるのはほぼ喜八郎のせいなのだ


「じゃなーい!!
危険だから穴は掘っても良いが罠にするのは止めろと言っただろう!
私だったから良かったものの他の人だったら大変な事になってい」


まさかすべて喜八郎の謀だったとは
喜八郎に会いたくなかった訳ではない
むしろまた喜八郎にも雑渡さんにも会いたいと思っていたが上手く行かなかったらどうしたのか

今回は怪我なく済んだから良かったが下手したら大けがの可能性もあるし
私以外の人間が落ちていたらどうしたものか

言いたい事は色々とこみ上げ思わず早口になる


「なまえさん」

「…何だい」


まだ言いたい事の半分も言えていないが喜八郎に言葉を遮られた

反論は私が言い終わった後にして欲しいのだが


「おかえりなさい」


私の言葉を遮ってまで出てきた言葉は
単純な一言


「…ただいま」


そう返せば

再び太陽と土の匂いに包まれ
13歳に絆されてしまったなと

再び喜八郎を抱きしめながら自嘲気味に笑った