水月に溺れる魚

感傷に浸る間もなく
私は仕事に戻り

そして長らく続いた仕事がようやく一段落ついた頃

再び忍術学園を訪れた


「喜八郎君」

「…雑渡さん」


私の目的の人物は目の回りにひどいクマをこさえて
虚ろな瞳のまま私を一瞥すると視線を再び戻した


「その穴、まだ埋めて無かったの」

「はい」


彼の視線の先にあるのは小さな穴

血のあとが生々しいと言うのにそのままだ


「なまえちゃんはきっと無事だよ
君の掘った穴だ、信じなさい」

「…はい」


私達に出来る事はやった

その結果彼女は確かに穴から消えたのだ

元の世界に戻ったに違いない

確認する手立てはないが
私達にはそう信じる事しか出来ない


「さて、私は今日は他に用事があって来たんだ」

「何ですか?」


私はこの子を慰める程優しくも器用でもない

けれど
彼にしか話せない用事が今日はあるのだ


「何、本当にたまたまなんだけどね
次の戦で人手が足りないからバイトを探そうかと思ってね」

「…あのタソガレドキが人手不足ですか?」


タソガレドキと言えば戦好きの城で有名だ

当然ながらそれは
戦を何度も行えるだけの財力と兵力を持ち合わせているからこそ出来る事

そんな城が、時間をかけ諜報活動を行い戦に備えていたのに

人手が足りなくなる事なんて本来はありえない


「あぁ、穴を掘るのが得意な忍びを探しているんだ
勿論場合によっては前線で戦って貰う事になるから危険かもしれないけどね
もしかしたら、火縄銃を相手にするかもしれない」


火縄銃
その単語に僅かながらに反応を示した事を私は見逃さなかった


「それは危険ですね」

「ねぇ喜八郎君
火縄銃を持った忍びにも臆しない、穴掘りが得意な忍びを知らないかな?」


それはひどく

不器用な慰め方だと自覚はしていた


「知っていますよ
ですから、詳しくお話を聞かせていただけますか?」


そう返事をした彼の瞳に
僅かながらに光が戻ったように思えた

これは私なりの
彼への配慮であり

復讐だった



私は大人だ

だから決断をしたが
それに不満が無かった訳ではない

夢から醒める瞬間位
私にも選ばせて欲しかった

それを最悪な形で邪魔をされ
私は本来あの時、冷静でいられるかも正直不安だったのだ


諜報活動は終わり
キヌガサタケ城に本格的に戦を仕掛ける事となった

この戦にタソガレドキが負ける事は無いだろう

しかし今日ばかりは
戦の勝敗とは別の所に私は重点をおいた


「それ、邪魔じゃない?」

「平気です。支障はありません」


肌寒くなってきたとは言え
まだマフラーを巻くには少し早いだろうに

タソガレドキの忍び装束を身に纏い

彼女のマフラーで口元を隠す喜八郎君は私と同じ目をしていた


あの時見た虚ろな目と比べたらずいぶんと生気が戻ってきている

彼を今動かしているのは復讐心だけだろうけどね


「そうか、さて
行こうか」


恐らく

私達にはもう奇跡は起きないだろう


彼女に会って私は人並みの幸せを望んでしまった

そんな夢は叶わないと分かっていた


けれどあの二ヶ月は確かに人並みの幸せを感じられたと思う

十分とは言えない、欲を言えばもう少し夢を見たかった


もしもまた奇跡が起きるのなら

優しい世界で


また彼女に会いたい