交わる事のない二つの世界

目覚めた時
そこには知らない天井があった


「なまえ…っ!!」


泣きそうな顔をした母に抱きしめられて
ようやく意識がハッキリとしてきた

ここは病院だ
私、生きてるんだ


「よかった…しかし、一体何があったの?
数日行方不明になったかと思ったら着物を着て血塗れで発見されて…
発見が遅かったら出血死だったそうよ」


そうだ
私は忍術学園からの帰りに火縄銃で撃たれたんだ

それで医務室で弾を摘出して…
ダメだ、そこから記憶がない


「なまえ、あとこれ…
着物の袖の所に入ってたんだけど、見に覚えはある?」

「え…?」


手渡されたのは
小さな桐箱

あの日はこんなもの持ち合わせていなかったが…
なんだろう


「あ…」


箱の中身は
包帯にくるまれた喜八郎から貰った簪と


櫛が入っていた


見覚えの無いその櫛は

以前一緒に見ようと話していた桜が彩られていた


『一緒に桜を見られると良いね』


その頃まで一緒にいられるかなんて分からないまま
私は何の気無しに返事をした


雑渡さんも薄々気付いていたのだろうか

一緒に桜を見る事は叶わないと
だからせめて、桜の櫛をと


「なまえ…?」


目の奥が熱い

約束を守れなかった
そして


私はまた彼にさようならを言えなかった



私は結局記憶の混乱が激しいと言う事にされ
敷地内で足を踏み外し土手に転落したとか、そういう事にされたらしい

着物を着ていたり数日行方不明になった事から一部では神隠し扱いをされた

肝心の傷だが
痕は残ったものの後遺症もなく
その痕も将来的には手術で消せるらしい

しかし今更傷が二つになったところで大して変わらないのでこのままでも良いかと思ってる
この時代に火縄銃で撃たれた痕がある人なんて私以外にいないだろうし

そう考えると逆に残しておきたくなる


「…斉藤君のようにはいかないなぁ」


入院中
櫛を使い簪を挿す練習をしてみたがやはり上手くいかない
きちんと付けられるように練習しないと


退院後

私は敷地内を満遍なく歩いた

離れから自宅にかけて
私しか歩かないであろう場所

私の予想通り
彼が残したソレはまだあった

落とし穴だ

私が落ちる事を想定してか浅く掘られた穴
落とし穴に落ちたというのに私の気持ちは不思議と清々しかった


穴の中から天を仰ぎ
穴から身を乗り出す


景色は変わらない


「…だよね」


穴から乗り出した体を再び穴の中へと沈め
膝を抱えてもう一度天を仰いだ

喜八郎の穴に落ちるのはこれで四回目か



私はこの世界を捨てる事なんて出来ない

二十年以上生きてきた世界は天秤に乗せるにはあまりにも重すぎた

早かれ遅かれ
こうなったのだ

それでも
やっぱり


「喜はぢっ、郎…
雑渡…さん…」


彼らという色のなくなった世界が
やけにモノクロに見えた


喜八郎が残した穴はそれが最後だった


彼らのいない生活を
再び日常と認識するまで恐らくはそんなに時間はかからないだろう

それでもきっと
私は忘れない


「だいぶ上手くなったなー
斉藤君と比べたらまだまだだけど」


私は使い慣れなかった櫛にも慣れ
簪の挿し方を覚えた

もうすぐ夏が来る



彼らは元気だろうか

出来ればどうか健やかに笑っていて欲しい
幸せになって欲しい

あとはそうだな


「長生きして欲しいな」


誰かに話しかける訳でもなく
私はつぶやいた


「ざっと五百年位!」


私のつぶやきに相槌を打つかのように
簪の飾りが風に揺れた



-水月に溺れる魚-

おわり