翌日、焚き火の煙が見えた事で状況は一変した。
「…どういう事だと思う?」
「…何でしょう…これだけ注意深く逃げてた奴が焚き火なんて…
自棄になるとしても居ないのはおかしいですし…」
足取りが掴めずにいた私達に居場所を知らせんばかりに行われている焚き火には
寒がっていた二階堂さんに様子を見て来て貰うがこれは明らかに異質だ。
そもそも焚き火の近くに横たわるあの鹿、どうやって死んだ?
他の猟師なら銃声が聞こえなかったのはおかしい。
もしも谷垣さんだとして狩るだけの道具を持っていたのか?
持っていたのならば解体をしていないのはどうしてだ?
「…ところで私も雪を食べないと駄目ですか?」
「駄目だ、俺の言う事は聞け」
「…はーい」
考えれば考える程よく分からないし白い息を隠すように雪を食べるよう強要されるし
この状況、何も良い事が無い。
雪を摘み口に運ぶ。口内に広がる冷気が頭も冷やしてくれるような気がした。
考えろ、私がここに居る意味が無くなってしまう。
あの鹿を仕留めたのは誰だ?
「…ん?」
足音が聞こえる。
物凄い速さで鹿…いや、二階堂さんに向かっている?
しまった、気付くのがあまりにも遅すぎた。
「大変です!すぐに二階堂さんを呼んでください!」
「なんだ?」
「ああもう!私が呼っ…」
「駄目だ、でかい声を出すな」
大声を上げようとした私を尾形さんが咄嗟に抑え込んだ。
いや、私が声をあげたところでもう間に合わない。
ごめんなさい二階堂さん。
「…っ、クマが来ます!」
尾形さんにだけは聞こえる声量で吐かれた私の言葉と二階堂さんの体が吹き飛ぶのはほぼ同時だった。
「…何も聞こえなかったが…」
「ヒグマは足音がしないんです!谷垣さんはそれを知っていて誘き寄せる為に焚き火をしたんじゃないかと思いますが…
それよりこのままじゃ二階堂さんが死んじゃいますよ!」
「離れてろ」
不意打ちのヒグマが相手では二階堂さんも敵わないだろう。
即死じゃないだけよく反応出来た方だと思う。
ひとまず尾形さんから距離を取ると彼は綺麗にヒグマを撃ち、ヒグマは悲鳴をあげたと思うとそのまま山へと逃げて行った。
何とか二階堂さんは助かったと胸を撫で下ろしたのも束の間、次は尾形さんが撃たれた。
「お、尾形さん?!」
「…ゲホッ、大丈夫だ。生きてる」
「だ、大丈夫です…?」
「ああ、…しかし他の奴も来たな…あれは三島か?
まあ良い、お前は先に逃げてろ」
「で、ではお言葉に甘えますけど…あのー…他にも沢山の人がこちらに向かってるので尾形さんもさっさと逃げた方が良いですよ」
お節介かもしれないが念の為現状を伝え、私は一足先に山の奥へと逃げた。
私たちが逃げる必要があるのか?と思ったが逃げろと尾形さんは言っていた。
つまり尾形さんは身に覚えがあるのだ。と思ったらまた銃声が聞こえる。
今度は尾形さんが撃った音だ。いや、だからそういう事をしてるから逃げる羽目になるのでは無いだろうか。
しかも三島さんの後を追うように聞こえて来た足音だがあれは恐らく馬の足音だ。
上手く逃げないと早々に追いつかれてしまう。
「お前本当に耳が良いな、男だったら戦場でさぞ活躍しただろうに」
「良いから早く逃げましょう!あっちに沢があるので足跡を消しますよ!」
「やっぱりお前を連れてきて正解だったよ」
褒めてくれるのは嬉しいけれど出来ればもう少し穏やかな所で私を使って欲しい。
安定した生活を求めていた訳では無いが今より緊張感のある生活は流石にあまり望んでいないのだ。
「…そもそも私も一緒にいないと駄目です?」
「帰りたきゃ帰って良いぞ。まあ帰宅と同時に兵隊共からの尋問が待ってるがな」
「何の為の…部屋だったんだ…」
沢へと向かいながらちゃっかり私だけ帰ろうかとも思ったがそんなに甘く無かった様だ。
…屋根のある生活、短い間だったな…。
部屋に置いてある僅かばかりの荷物は無事なのだろうか。無くなっても困らない物しか無いがやはり惜しさはあった。
*****
足音はもうしない。
兵隊達は諦めて帰ってくれただろうか。
しかし念の為今日も焚き火を起こす事は許されず、厳しい冬の山で野宿する事となった。
「…まさか二日連続で極寒の夜を過ごすとは…」
「なんだ、昨日と違って今日はしおらしいな?」
「昨夜は二階堂さんからの視線が痛かったですもん…あれでも色々我慢してたんですよ」
「まあ賢明だな。お陰で俺も余計な気を回さずに済んだ」
「尾形さんはもう少し色々と気を使ってください」
いくら外套を羽織ってもこの寒さでは眠りにつく事も難しい。
気を紛らわせるように尾形さんとの会話に徹するが大して盛り上がる話題も無く、無言の時間が過ぎて行った。
そんな空気に耐えかねたのか、尾形さんは奇妙な話しを始めた。
「なあ、面白い話しをしてやるよ」
「なんですかあ?尾形さんの話しって碌でも無い事しかなくないです?」
「ひどい言い方するな。でも今回は本当に面白い話しだ」
「へえー」
この後の話しに、私は尾形さんが寒さで気が狂ったのかとも思った。
それほど迄に彼の話しは現実離れしていたのだ。
「お前、宝探しに興味は無いか?」
「宝?どのくらいです?」
「ざっと八萬円分の金塊だ」
「は、はちまんえん…?」
思わず指折り数えてしまった。
八萬円分の金塊、そんなお宝が存在するのだと尾形さんは話しを続けた。
八萬円…それだけの大金、人の命が幾つか犠牲になるだろうしそれに飛びついた所で私が得られるとも思えない。
「…まあ、下手なギャンブルよりはよっぽど興味はありますがね」
それでもあるかないかで言えば興味はある。
明日死ぬかも分からない生活を続けているからだろうか。
一萬円…もいらないな。
百円でも私の人生は変わるだろうか。
手に入れられなかったものを全部手に入れるには幾らあれば良いのだろう。
「…というかそういう尾形さんこそその金塊が欲しいんですか?」
「どうだろうね」
話題を振ってきた張本人の返事はこれまたハッキリしないし、本当にこの男はよく分からない。