罪悪感

「ねえ尾形さん、私にも銃を教えてくださいよ」
「なんだ、興味があるのか?」
「勿論、銃があればクマも狩りやすいですしね」

この家に滞在して少しばかりの時間が過ぎた。
屋根があって壁がある、寝床には困らないだけで私にとっては幸福なのだが
有能な人ばかりが集まっている為少しばかり時間を持て余していたのだ。

勿論罠を張ったりロシア語を勉強したり、誰かしらの狩ってくる獣を解体したり家永さんと料理をしたりとはしているがもう少し何かをしたくなった。
そこで折角なのだから銃の扱いを習おうと思ったのだ。
尾形さんの狙撃の腕は一流だし、教わるには性格以外申し分が無い。
私の言葉を聞いた尾形さんはそのまま狩りに私を同行させてくれた。

「え、いきなり獣から狙うんですか?!」
「動かない的を撃てるようになったって仕方ないだろ。
ほら、腋をしめろ」

山を歩いて程なくして鹿を見つけた。
確かに的は大きいがいきなり動いてる物を狙うのか…と思う私の事などお構い無しに尾形さんは銃の使い方、構え方を指導する。
普段尾形さんが軽々と扱う銃はズシリと重く、改めてこれは命を奪う為の道具なのだなとふと思った。
生まれて初めて引き金を引くのは少しばかり緊張し、手に汗がじんわりと滲むのを感じた。

「あ、当たった?!」
「かすった位だが…まあ初めてなら上出来だな」

初めて撃った私の銃は鹿の首に辛うじて当たった。
致命傷と言う訳ではなく、そのまま逃げようとしたがそこは尾形さんが咄嗟に私から銃を奪い間髪入れずに仕留めてしまった。
いざ自分で銃を扱ったからこそ分かるがやはり尾形さんはすごいのだなと感心してしまう。

「私才能あります?」
「そうだな…俺ほどになれるかは分からんが、練習すればそこそこ優秀な狙撃手にはなれるかもしれないな。お前は耳と鼻も良いし」
「へー…」
「だけど諦めろ、女がこんなにでかい銃を持ち歩くのは目立ちすぎる」
「そうですよねえ」

珍しく素直に褒めてくれたのだから少しばかり気を良くしたが即座に諦めろと言われてしまう。
しかし実際、女がこの様な銃を持ち歩くのは目立ち過ぎるし銃も決して安くは無い。
結果として自分の身が危うくなる事も容易に想像がつくし女一人というのはつくづく生き辛い。

「拳銃くらいだったらお前が持っていても良いかもしれんな…土方のジジイにでもおねだりしとけ」
「そこは尾形さんのをくださいよ」
「そしたら俺が困るだろうが」

にしても拳銃か…それなら女の私でも持てるかもしれない。
土方さん、おねだりしたらくれるかな?
ここに居る人達は解体や皮を剥ぐのはあまり得意じゃない人たちが多いし恩を売っておけばもしかしたら一丁位くれるかもしれない。

尾形さんの撃った鹿を解体しながらもう少し銃の練習が出来たら良いなと考えていると手伝ってくれた尾形さんが口を開いた。
 
「なあなまえ」
「何ですかー?」
「人を殺した事はあるか?」

突然の質問だった。
尾形さんは私も見ず、世間話のような口振りだ。
ぐちゃぐちゃと、私と尾形さんの手は鹿の血にまみれている。

こんな状況で物騒な事を聞く。
それともこんな状況だからこそ聞いたのだろうか?

「ありますけど…」
「ほう、意外だな。しかしすんなりと答えると思わなかったぞ」
「女が一人で生きてきて危なかった事なんて何回もありますからね。
無い方が不自然じゃないです?」

片手で足りるか足りないか、でも両手には収まる。そんな程度でしか無いが私にも人を殺めた経験はある。

山で人を避ける様になったのはまさにそういった経験からだ。
女一人だから殺せると思うのだろう、危ない目には何度かあった。
街にいる時だって油断は出来ない。先程まで普通に話していた男が人気の無い所で豹変する様にも何度か立ち会っていた。

「必要で殺したのか?」
「そうですね。だって殺さないと私が死んじゃいますもん。
躊躇ってたら私は今ここにいませんよ」

私が死ぬか、相手が死ぬか。
それ以外の選択肢もあったのかもしれないが何よりも殺されたくは無かった。
そう思えば迷う事なんて無く、殺していた。

自分の狩りの知識がそこでも生きるかと思いきや人間は獣と違い後処理だったり悲鳴だったりが面倒くさいとも思った。

「なあ、罪悪感はあったか?」
「ある訳無いじゃないですか。だって自分を殺そうとした人間ですよ?」

初めて人を殺した時、遂に私もここまで来てしまったかとは思ったが罪悪感は無かった。
だってそうしないと私が死んだのだ。元はと言えば私に害を加えようとしたそいつが悪い。
その後も何度か殺めなくてはいけない機会があったがやはり罪悪感は生まれなかった。

「そうだよな。そうだ、ある訳がない。それが普通だ」
「は、はあ…」
「お前はおかしくない」

二人でやる解体は早い。
もはや私たちの手元にあるのは”鹿だったもの“に過ぎない。

鹿を殺すのは抵抗があっても食べるのは抵抗が無い人はどこからが境目なのだろう。
そもそも鹿に限らず食べはしないものの人を殺す事にもその様な境目が無い私はおかしいのだろうかと考えた事はある。

尾形さんの言葉はそんな私を肯定してくれるものなのだろうか。
でも彼の言葉は本当に私に向けたものだったのだろうか?