黙して語らず

「暇だ」

 小綺麗だけれど何もない部屋の中、千早はぽつりと零した。
 彼女たちが一室に押し込まれて、七日が過ぎようとしていた。幹部たちの監視の元で気の休まらない日々を過ごしていたが、さすがのやることのなさに辟易とし始めていた。
 本来の目的である綱道の捜索に出たいところだが、彼女たちは依然外出を許されていなかった。交渉しようにも肝心の土方は大坂に出ており如何しようもない。
 千鶴はというと、千早の言葉に頷いてはいるものの、彼女ほど飽き飽きしているといった様子ではなかった。

「千鶴は忍耐力があるね……」
「そんな。ただ……千早さんがいますから。独りだったら、先の見えない時間は辛かったかもしれないけれど」
「千鶴……」

 話し相手がいるというのは、大きな違いだ。確かに独り手持ち無沙汰に過ごすことになっていたらと考えると、恐ろしいものがある。
 今も廊下にいる監視の目が話しかけてくることはあるが、それで心が休まることは決してない。気心知れた者がそばにいるからこそ、辛抱強くその時を待てるのだ。

 時折出遭う平隊士たちの目はとても冷たかった。それも当然だろう。突如現れた若い二人の元に、代わる代わる幹部連中が関わりに来るのだ。その実は監視ではあるが、そんなことは平隊士たちは知る由もない。
 幹部たちは監視ついでに話しかけてくる者もいれば、ただ静かに障子に背を向け座している者もいた。近藤でさえ、所在なさ気な彼女らを案じて金平糖を持ってきた。一室に何日も軟禁状態でいることを、彼らなりに申し訳ないと感じているのだろう。

「それに、ここの皆さんも気を回してくれているし……思っているよりも悪い人たちではないのかもしれないですね」
「……君さ、騙されやすい性格とか言われない?」
「へっ!?」

 千鶴の言葉の返事は、廊下の障子の先から聞こえてきた。声の主は障子を引くと、相変わらず真意の読めない薄ら笑いを浮かべる。

「ど、どうして沖田さんが」
「あれ、もしかして気付いてなかった? 夕暮れ時は僕が君たちの監視役なんだけどな」

 千鶴の表情を見るに、監視役には気付いていなかったらしい。突如乱入してきた沖田の一言に、千鶴は一人慌てている。
 沖田は千早へ視線を移すと「君は気付いてたでしょ?」と声をかけた。

「そっちの子と違って君は、気配に聡そうだし」
「……そんなことはありませんよ」

 監視役が誰かまでは気付いていなかったが、話しかけずとも誰かがいること自体には気付いていた。聞かれて困るような話はしていなかったため気にも留めていなかったが。

「総司、無駄話はそれくらいにしておけ」
「斎藤さん。……もうそんな時間ですか」

 障子の陰から斎藤が顔を覗かせた。その両手には重ねた二つの脚付き膳を抱えている。
 千早たちはこの一室で文字通り寝食していた。時間になるたびにわざわざこの部屋まで、炊事係が料理を運んできてくれるのだ。どうやら今日の当番は斎藤らしい。

「話の腰を折って悪かったな」
「構いませんよ」
「一君、総司! 早くしねぇと食うものなくなるぞ!」

 廊下の奥から騒がしい足音が近づいてくる。藤堂は長い髪を揺らしながらこちらへ駆けてくると斎藤たちを急かした。隊士たちも食事の時間らしい。

「俺は監視の役目がある。先に食べていろ」
「……だったらさ、こいつらも一緒に食ったらいいんじゃねぇの?」

 藤堂は千早たちへと視線を向けた。何てことないように彼は言ってのけたが、彼女たちはこの部屋から出ないよう言い渡されている。思いもよらない提案に千早は呆気に取られていた。

「土方さんも大坂行ってていないんだしさ」
「……いいんじゃない? ほら、行くよ」

 沖田は膳を持つ斎藤の背を押すと、彼女たちに視線を向けてついてくるように促す。斎藤は土方の指示を破るような行為に賛成しかねているようだったが、ため息をつくとそのまま廊下を歩き始めた。

「何ぼさっとしてんだよ! 行くぞ!」
「……いいんですかね?」
「ついて行かないと、私たちの夕食はなくなりそうだ。……今行きます、藤堂さん」

 彼女たちがついてくるのを待っていた藤堂は、千早の言葉に苦そうな表情を浮かべる。彼は口を開くと「あー、そのさ」と言葉を探した。

「その藤堂さんってのやめない? みんな俺のこと平助って呼ぶからさ、それでいいよ」
「で、でも……いいんですか?」
「そっちのお前は多分歳近いし、そっちも俺より歳上だろ? その方がしっくり来るし、俺も名前で呼ぶから。あとその丁寧な口調も」
「……平助」
「じゃあ、平助君、でいい?」
「それで。んじゃ行こうぜ」

 どうやら幹部の中でも歳下として扱われているため、丁寧な口調は居心地が悪いらしい。
 千早はどうするか悩んだが、彼を"平助"と呼ぶことにした。立場上口調まで変えるつもりはないが、呼び方くらいはいいだろう。
 藤堂は彼女たちの呼び方に満足したのか、背を向けて足早に広間へと向かっていった。
 
 彼らについて入った広間では、幹部連中が驚いた表情をしていた。しかし特に反対意見もなく、彼女たちの座る場所を用意し早く座るように促す。
 千鶴は原田と永倉の間に、千早は斎藤と沖田の間に言われるがまま座った。それぞれ分かれて座らせたのは、迂闊に逃げ出そうと思わせないためだろうか。
 全員が席につくと「それじゃあ……」とそれぞれ夕飯に手をつけ始めた。膳には白米と目刺いわし、切り干しの煮付け、漬物が並んでいる。

「……ん、おいし」

 今日の炊事当番は当たりのようだ。
 ここで出る食事には当たり外れがある。今日のように美味しいと思う時があれば、やたらと塩っ気が強い時も、ほとんど味がしないときもある。持ち回りで炊事を担当している故だとわかってはいるが、千鶴の作る江戸の味が恋しいものだ。

 ふと顔を上げると、千鶴の周りに座る幹部たちは騒がしく食事をしていた。山のように白米が盛られた茶碗を片手に、隣に座る藤堂のおかずを狙う永倉が原因だろう。千鶴は困惑しながらも、ここ数日見なかった明るい表情をしている。

「……騒がしいだろう。すまないな」
「そうですね。……男所帯とはそのようなものです、お気になさらず」

 静かに謝る斎藤の言葉に千早は苦笑した。
 千鶴とともに顔を出していた道場でも、男子たちはとても騒がしかったのを覚えている。男が集まれば騒がしくなるというのは、どこに行こうと同じなのだろう。
 千早は黙々と料理を口に運ぶ最中、隣に座る沖田の手が止まっているのに気づいた。彼女の視線が向いているのに気付いたのか、沖田は千早へと声をかける。

「何、ほしいの?」
「いえ、そういうわけでは。少食なのですね」
「まあね。僕はお酒をチビチビしてればいいし」

「君も飲む?」とこちらに銚子を見せる沖田に「結構です」と首を振ってみせる。酒が嫌いなわけではないが、そんな気分でもない。もっとも頷いたとて、彼は酒をわけてなどくれないだろう。
 つまらなさそうに酒を口に運ぶ沖田を尻目に膳の上のものを平らげた頃。突如慌てた足音とともに広間の障子が開いた。広間に顔を出したのは井上だ。

「ちょっといいかい、皆」

 口調は穏やかだがどこか真剣な様子の井上に、緊張が走る。和やかだった広間の雰囲気は一瞬で硬いものへと変わった。

「大坂にいるトシさんから手紙が届いたんだが……山南さんが、隊務中に重傷を負ったらしい」
「何があったの?」
「二人が訪ねる大坂の呉服屋に、浪士たちが無理矢理押し入ったらしい。駆けつけたトシさんと山南さんが何とか浪士たちを退けたらしいが、その時に斬られたそうなんだ」
「山南さんは無事なのか!?」

 幹部たちは慌てて井上へと問いかける。裏腹に井上は終始落ち着いた様子で問いに答えた。

「相当の深手だと手紙には書いてあるけど、傷は左腕とのことだ。……剣を握るのは難しいみたいだが、命に別条はないそうだよ」
「良かった……!」

 千鶴は怪我はあるものの無事だという事実に安堵した。
 しかし他の者たちはそうはいかなかった。一様に険しい表情を浮かべ言葉を失っている。

(剣を握るのは難しい、ね)

 剣の道に生きる者が剣を握れなくなる。それがどれだけ重いことなのかは推して知るべしだ。
「私は勇さんと話があるから」と井上はその場を後にした。部屋には重苦しい沈黙だけが取り残されている。その様子に気付いた千鶴は戸惑いを見せた。

「……刀は片腕で容易に扱えるものではない。最悪、山南さんは二度と真剣を振るえまい」

 斎藤の冷静な言葉に、千鶴が息を呑む音が聞こえる。
 剣を握るものだからこそ、事の重大さはひしひしと伝わる。片腕、しかも利き腕とは逆の腕で刀を握るとなれば、確実に威力は損なわれ押し負ける。

「薬でも何でも使ってもらうしかないですね。山南さんも納得してくれるんじゃないかなあ」
「総司……滅多なこと言うもんじゃねぇ。幹部が羅刹になってどうするんだよ?」
「え……?」

 沖田たちの不穏な言葉に千鶴が首を傾げる。
 疑問を感じたのは千早も同様だった。薬とは一体何のことだろうか。口ぶりからして普通の薬とは違うものらしい。
 羅刹という物騒な単語も、話との繋がりがいまいち掴めない。

「らせつって、なんですか?」

 千鶴が尋ねる。しかし周りの面々は口を開かずに押し黙ったままだ。しかし藤堂は彼女の疑問に答えるように、平然と言葉を続けた。

「ああ……羅刹ってのは薬を飲んだら怪我も治っちまう――」
「平助!!」

 鈍い音が響く。原田が言葉の続きを遮るように、藤堂を殴り飛ばしたのだ。
 突然の出来事に千鶴は目を剥いた。千早は彼らの様子に、一人確信を得る。

(あの日の隊士たち……彼らはつまり、その薬に関わる者なのか)

 薬を飲めば怪我も治る。あの血に狂う隊士たちの治癒の早さはその薬とやらと関係しているのだろう。となると羅刹というのはあの隊士たちのことを言うのか。
 羅刹――人の血肉を食らう悪鬼。あの獣のような者たちを指すというのであれば、言い得て妙だ。

「平助君、大丈夫……?」
「やりすぎだぞ、左之。……悪かったな平助。先に口を滑らせたこっちも悪かった」
「大丈夫か? 悪かったな」

 原田が謝ると、藤堂は苦い笑みを浮かべ「今のは俺が悪かった」と頭をかく。部屋には何とも言い難い空気が漂っていた。

 目の前の光景を、千早は黙して見ていた。
 これはおそらく、部外者が知ってはならないことだ。あの夜と同じ、忘れなければならないこと。探られてはいけないこの組織の奥深く。
 それでも千早は沈思黙考する。薬と言えば医師が付き物だ。怪しい薬と、行方をくらました蘭方医。関係が一切ないとは思えない。

「お二人さん。今の話は、君たちが聞いちゃいけないことにほんのちょっと首を突っ込んだところだ。これ以上のことは教えられねえ。……気になるだろうけど、何も聞かないでほしい。そして平助の話は忘れてくれ」

 永倉は優しい声色で諭すように話した。しかしその瞳の奥は真剣そのものだ。彼は隣に座る千鶴の頭をぽんと軽く叩いた。

「……私たちは何も見ていないし、何も聞いていない。あの夜からそれは変わりませんから」

 千早が静かに、落ち着いた声で答える。
 彼女たちは見たものを忘れることと引き換えに、綱道の捜索に協力し合うことになっている。深入りは禁物だ。
 少なくとも、表向きは。

Hocus Pocus