啓蟄

 千早たちが新選組と協力関係になってから約一月が過ぎた。雪は雨に変わり、冬ごもりの虫たちが外へ出てくる頃ではあるが、彼女たちは未だ外へ出ることができずにいた。
 大坂に出ていた土方と山南の帰還により新選組屯所内は波立っていた。山南の怪我の経過は芳しくなく、山南は自室に籠もることが増えている。時折姿を見せた時の刺々しい態度に、隊士たちは困惑気味だった。

「……私たち、あとどれくらいこうしていたらいいんでしょうね」

 千鶴がぽつりと零した言葉に、千早は顔を上げる。
 千早は気を紛らわせようと本を読んでいるところだった。彼女らを哀れんだ原田が貸本屋から借りてきたものだが、どうにも人情本は千早に馴染まない。ただ記された文字を目でなぞるだけで、頭には何も入ってきていなかった。

「さあ……どれくらいでしょう。近頃は忙しないせいか、捜索に当てる人手が足りていないみたいだね」
「……せめて何かお手伝いできれば」
「誰かに掛け合ってみたらどう? ここは男所帯だし、雑事を手伝うとなったら歓迎してくれるんじゃないかな」
「そうですね……そうしてみましょう!」

 本をぱたりと閉じた千早には目もくれず、千鶴は障子を開いた。そこには今日の監視役らしい沖田が暇そうに座り込んでいる。

「あ、沖田さん! ちょうどいいところに!」
「何? 外になら出してあげないけど」
「いえ、そうではなくて……」

 千鶴は何か手伝いをしたいと考えている旨を沖田へと話した。彼はあまり興味がなさそうに話を聞くと「そういうことは土方さんに聞いてみたら?」と投げやりな返事をする。

「君たちの動向を決めるのはあの人だし。今なら広間か自分の部屋にいるんじゃない?」
「直接ですか、わかりました。ありがとうございます」

 千鶴は沖田に頭を下げると、部屋を飛び出し広間へと向かっていく。彼女を追いかけようとゆっくりと腰を上げたが、その様子を見て沖田が声をかけた。

「君はここで留守番」
「はい?」
「頼み事ならあの子一人でも大丈夫でしょ? それに、もし逃げられでもしたら困るし。君がここにいればきっとあの子は逃げない」

「ね?」と言って沖田は口角を上げた。監視役としての仕事はきちんとこなしているらしい。
 わざわざ楯突くつもりもない彼女は「そうですか」と返すと再びその場に腰を下ろした。

「君も暇なの?」
「……すでに一月になりますから」
「ふーん」

 何故か沖田は、そのまま彼女と話を続けた。座り込む場所は障子の前から千早の前へと変わっている。

「そういえばさ、千鶴ちゃんが土方さんの小姓として取り立てられたって知ってる?」
「あくまでそういった扱いとして置いておくと伺っております」
「それじゃあ、君が僕の小姓になったって話は?」
「……」

 彼女が目を見開くのを見て、沖田は笑みを深める。まるでいたずらが上手くいった子どものようだ。
 この一月、この男と話すことはあったがそれも片手で数える程度だ。それは他の幹部たちであっても変わらない。それなのにこの眼前の男は彼女を小姓として近くに置くと決めたらしい。

「……どういった理由で?」
「君をそばに置いておくと面白そうだから」

 面白そうだから、という彼の理由もあながち間違いではないのだろう。けれどそれだけではないはずだ。

(監視のため……だろうな)

 監視するには側に置いておくのが早い。
 何よりあの夜、彼は千早の剣を見ている。その実力がわかっている彼にとっては、千鶴よりも警戒すべき対象として認識されていてもおかしくはない。

「過大な評価ですね」
「そうだと思う?」
「はい。ですが……綱道さんを捜すことに関しては、心血を注ぐ所存です」
「楽しみにしてるよ」

 一体何を楽しみにするというのか。
 何も言わずにただ笑みを返すと、会話を遮るよう障子の外から足音が鳴る。恐らくこの足取りは千鶴だろう。
 千早の予想通り、障子の陰から千鶴が顔を覗かせた。出ていった時よりも明るい彼女の表情から良い返事がもらえたとひと目でわかった。

「千早さん! 土方さんから許可がおりました!」
「そう、それはよかった。これで退屈から多少は解放されるね」
「はい! ……ただ、実は広間で初めて会った隊士の方に怪しまれてしまって」
「へぇ、誰だったの?」
「確か武田さんという方で……」
「あぁ、あの人か」

 沖田はぽつりと呟いた。千早が沖田の方を見ると、彼は千早のために武田について話した。

「五番組の組長だよ。腕はそこそこなんだけど、それよりも頭が回る」
「……土方さんもそうおっしゃってました」
「普段はこっちじゃなくて前川邸に寝泊まりしてるから、用がないとこっちには来ないんだ。……会っちゃったんだ、運が悪いね」

 前川邸は、新選組が屯所として利用しているもう一つの邸宅だ。斜向いにあるらしいその邸宅で生活する隊士たちは、八木邸に軟禁されている彼女たちの存在を知らない。彼らが見知らぬ人間を怪しむのも不自然ではないだろう。

「あの人は抜け目のない人だから、気をつけて」
「千鶴、何か言われなかった?」
「その……近藤さんや土方さんにどうやって取り入ったのか、剣の腕も才覚もなさそうな者が何故ここに、と」
「ひどい物言いだ。……他の方から見たら取り入ったと思われても無理はないのでしょうけれど」
「突然江戸から来たと思ったら、小姓に取り立てちゃって。縁故を頼りに取り入ったと思われても仕方ないね」
「……そう思うのであれば何も小姓に取り立てなくとも」
「周りがどう思うかなんて僕には関係ないよね?」

 沖田はまるで他人事のように言ってのける。彼にとって彼女たちの境遇など知ったことではないらしい。
 どうやら外に出られるのはまだまだ先らしい。千早はこっそりとため息を吐いた。

Hocus Pocus