08 


“特別”は、そんなに珍しいものだろうか。

「…………」
「…………」
「……リオさん?」
「何だ」
「普通に起こしてもらえませんかね」

あの日から、僕は朝、なまえが起きるまでその顔を眺めることにしている。最初はなんとなく顔を見ていたかっただけなのだが、この方が以前よりもなまえが目覚めてから起床するまでにかかる時間が短く済んでいるので、結果的に一石二鳥になっている。

「別にいいだろ、まだ暫く二人で留守番なんだ。早起きする必要もない」
「そりゃそうだけど…そう毎日見られると落ち着いて寝ていられないし」
「起きる時間に寝るな。これだけで起きられるならいいことじゃないか。運ぶのだって楽じゃないんだぞ」
「はいはいわかりましたー私は太りましたよっと」
「…別にそうは言ってないが」
「実際体重は増えたの。ずっと家にいるから仕方なくない?」

僕がなまえをリビングまで運ばなくなったのは、運ぶのが大変だから、という理由も確かにある。だが理由の大半は、あの日からなんとなく、なまえに触ってはいけないような気がするからだ。もう運ぶどころか、指先ですら全く触れていない日々を過ごしている。
リビングに移動して、僕は冷蔵庫に向かって朝食に使うものを取り出す。そしてなまえは椅子に座ってテレビをつけた。丁度、この近くの遊園地についてが特集として放映されていた。

「ねえ、リオは遊園地行ったことある?」

その内容に感化されたのだろう、なまえがそんなことを尋ねてきた。僕は取り出した食べ物をフライパンに放り込んで火にかけながら、そのまま会話を続ける。

「…まあ、家族とは」
「そうなの?どんな感じだった?」
「どんなって…普通だ」
「普通って…もっと具体的な内容がいいな」
「…行ったことないのか?」
「そうだよ?」

さも当たり前のことのように、普通の世間話と同じトーンでそう答えた。気になってなまえの顔を見てみるが、いつもと変わりはなく、特に悲しそうな様子は全くない。

「珍しいな」
「そう?」
「普通なら家族旅行か、スクールトリップあたりで行っているものだろう」
「そうなんだ」

気がついた。今、僕はすごく残酷なことを言ってしまったのではないだろうか。なまえの発火現象は、詳しくは聞いていないが小さい頃の筈だ。その状況下で親と離れて知らない家にいるとしたら、捨てられないよう気を遣うことを最優先して、我儘なんて言える状況ではない。一般家庭の普通には、凡そ当てはまらなくて当然だった。

「その…すまない」
「え?なんで謝るの?」
「いや、悪いことを言った気がした」
「そう?特にそう思わなかったけど」

普段の様子からは全く想像できないが、もしかするとなまえは、自分の意思を相当抑圧しているのではないだろうか。





思えば、僕はなまえのことをよく知らなかった。
僕に気を遣っていたのかもしれないが、昔のことを聞いてくることも、話してくることもなかったので、ただ気分屋でずぼらで大雑把な人物、としか分からなかった。
しかし、いざ知りたいと思っても本人に聞くのは気が引けた。これだけ一緒にいて何も知らないのか、なんて言いながらふざけて茶化されるに決まっている。

「普通のバーニッシュでしょう。それ以外何かある?」

一番付き合いが長いであろう院長に聞いたところ、このように返されてしまった。寧ろ、僕の方がなまえのことは詳しい、などと言う。ここに来てから一年も経過していない僕が、何年も一緒にいる院長よりもなまえのことに詳しいわけがないだろう。やはりこの育ての親だからこそ、あのなまえの性格が形成されたのだと思った。

「そうじゃなくて、昔のこととか…」
「昔の?まあ、来てすぐの頃は大人しかったと思うけど、それくらいよ」

どうあっても教えてくれないらしい。しかし子供の頃は大人しかった、という予想は当たっていた。これで周りに気を遣うことを身につけたなら、辻褄は合う。

「そう…ね、じゃあリオ、視点を変えよう」
「視点を?」
「そう。リオは、バーニッシュになってそんなに経ってないでしょう?だから、バーニッシュの生活環境を想像してみるといいんじゃないかしら。そうしたら、なまえのこともわかってくるんじゃない?」

そう言って、院長はリビングを出て行った。

「生活…環境…」

言われた通り、想像してみる。
バーニッシュの生活。大半が発火により物理的に家族を亡くしてしまうか、或いは生存していたとしても理解されず、家族との離別を選ぶだろう。そして行政を頼るか、それができなければスラムに行くか、だ。その辺りの話は、院長の手伝いをしている時に覚えた。
しかしこれまでのなまえの情報からいえば、なまえ自身は引き取り手があったという点でだいぶ恵まれており、普通と人間と変わらない生活をしているあたり、生きること自体に苦労している状況には該当しない。
ただ、その環境を壊さないように気を遣って自我を出さないように生活していた。これに関しては、知らない環境で周りの目を気にしながら過ごさなければならないというあたり、他のバーニッシュと同義だと思われる。開始地点はどうあれ、今まで通りに生活できているバーニッシュには、僕を含め遭遇したことがない。

「リオ」
「ん?」
「晩御飯何がいい?」

洗濯物を取り込みおえたのであろう、リビングに入ってきたなまえがエプロンを付けながら声をかけてきた。そういえば、なまえは毎日のように食事のリクエストを聞いてくる割に、なまえ自身が何が好きなのかは一度も聞いたことがない気がする。

「たまには自分の好きなものでも作ったらどうだ?」
「あー、いや、特にないし」
「特に、ない…?」
「食べるの、あんまり好きってわけじゃないから」

それはあまりにも意外な発言だった。なまえは特に少食というわけではない。食事は三食しっかり食べているし、好き嫌いをすることもなく、食べ物を残した、という状況は一度も見ていない。

「好きな食べ物の一つくらいあるだろう」
「いや、本当にないし」
「聞いたことがないぞ」
「そう言われても、ないものはないし…」

食事は摂れるのに食べるのが好きではない、とはどういうことなのか、想像してみる。動物や植物の生命を食らうのが嫌い、食事そのものをストレスに感じていた、のであれば食事自体を控えるようになると思う。好き嫌いを言えない環境にあった、はあるかもしれないが、元々嫌いなものがあった場合、急に食べるなんてことはできないはずだ。今までは、気を遣いつつも心配をかけまいと、出されたものは食べるようにしていた、というのが強いだろうか。いまいち状況が特定できない。

「そう言うリオは、食べるのは好きなの?」
「いや、特に好きと言うわけではないが」
「同じじゃん」
「でも好きな食べ物もあるし、食べたいものはある」
「じゃあなんで好きな食べ物のこと好きになったの?」
「なんで、と言われても…味が好みだったからとしか」
「好みの味って?」
「それは人によるだろう。君にはないのか」
「そう言われても…味は味としか認識できないし、美味しいって思ったことも、特にないし…」

重症だ。食べ物を美味しいとも思わないなんて、味覚障害か何かがあるのではないか。いや、食事を作らせても特に味が変ということはなかったから、恐らくそれはない。とすれば、美味しいと思わない起因は何だろうか。ストレスのある状態で食事をとること、が一番近いと思う。なまえが普段、食事を摂る上でのストレスを想像してみる。起き上がらなくてはいけない、のは朝に限ってのことだから外すとして、食事の際、常に一人でいる…

「……なまえ!」
「え、なに」
「遊園地に行こう」

僕は凡そ理解した。
なまえの普段の行動は、恐らく僕が来る前はほぼ一人だ。忙しい院長には、なまえを引き取ることはできても相手をすることはほとんどできなかったと思う。そしてなまえはこの環境を壊すまいと、気を遣って過ごした。実現不可能な我儘は言わず、家事や仕事を手伝って過ごし、それでいて不自然に思われないよう子供らしく振る舞いながら。

「…急に、どうしたの?」
「たまにはいいだろう」
「いや、まだ自宅待機のはずだけど」
「明けたらでいい」
「暫くしたら気が変わるんじゃない?」
「予定を立てて備えておくんだ」

だから、一人で食べることが当たり前の食事を美味しいとは思わないし、遊園地に行ったことなんてない。そう考えると、全て辻褄が合う。

「…あのさ、今朝のこと気を遣ってるなら別に…」
「僕が行きたいんだ」

絶対にそう言うと思ったから、言葉を遮った。言わせるつもりはなかった。
彼女は“特別”は初めてだと言っていた。彼女が今まで人から“特別”を与えられたことがないと思っているなら、僕がもっと“特別”を与えたいと思った。

「だから、なまえも行こう」
「…私でいいの?」
「君しかいないだろ」
「でも、二人で行くなんて、なんかデートみたいだし」

言われて初めて気がついた。デートだ。全く考えていなかった。途端に顔が熱くなる。それならもっとしっかりした手順で誘いたかった。あんな用件だけを伝えるようなデートの誘い方があるか。でも、デートだと認識してなまえを誘うなんて、正直できそうにない。無意識だったことが逆に功を奏したのかもしれない。

「付き添いだ」
「つ、付き添い…」
「バーニッシュだから、一人で出かけて何かあったら困るだろう」

目を合わせることができなかったので、顔を背けて、どうにかはぐらかした。付き合ってもいないのに、それらしい話題が出るだけでこんなに恥ずかしくなるなんて、やっぱり僕はどうかしていると思う。相手は、なまえなのに。

「わかった。付き添いしましょう」
「ん」
「でも、私初めてだから、いろいろ教えてね」
「…努力は、する」
 
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