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それはとても寒い日のことだった。
父親の仕事に同行し、家に着いたのは日付が変わった頃だった。当然、君は既に眠っている時間だ。
だからこそ、僕は君の部屋に入ることができる。

「…ただいまー…」

ゆっくりと扉を開けて、小さな声で言う。返事はない。音を立てないようにベッドに近づいて覗き込めば、君はぐっすりと眠っていた。前に交換したぬいぐるみを、大事に抱えながら。以前の君は、こんな風にぬいぐるみを持って寝ることなんてなかった。僕が一緒にいたからだ。僕が一人で寝るのが不安で仕方ないように、君も一人で寝るのが寂しいのかもしれない。

「……なまえ、あっためて…」

僕は君のいるベッドに入った。そして君が持っていたぬいぐるみを取り去って、以前のように抱き締めた。君の匂いを吸って、深呼吸をした。外に出ていて冷え切った自分の身体が、君の体温で少しずつ暖まっていく。君にとっては冷たいものに触れられて嫌かもしれない、と思ったけれど、きっと大丈夫だ。すぐに僕達は、同じ体温になるだろう。
幸い、母さんは仕事で暫くは帰ってこない。父さんも朝早くに家を出るはずだ。僕たちはこのまま、誰にも邪魔されずに二人一緒にいることができる。

「…おやすみ…」





真夜中、寝静まった村を歩く。警備担当の仲間に挨拶をして、向かうのは住居区画の、入り組んだ道の奥の部屋。深呼吸して、部屋の中に入る。そこにいるのは、眠っている、僕によく似た姿をした彼女。

「…聞いたぞ、無理をしたら駄目じゃないか」

昼間、荷物を運んでいる途中で転んだという話を聞いた。見てみれば、本当に膝に痣ができていた。僕はその場所を撫でて、少しだけ火を当てる。治すまではできないけれど、早く治ってほしいと願いを込めて。
僕は、週に一度必ずここに来る。彼女が確実に眠っている時を見計らって、火を与えて、少しだけ彼女を眺めて、独り言を言う。昼間、彼女と顔を合わせることができない僕の、唯一の楽しみだった。

「…新しいメニューも美味しかった。随分料理が上手くなったな」

ここでの独り言は、全部彼女に伝えられないこと。彼女が聞いていない間だけの、彼女と話しているつもりで行う独り言。僕はあの日から、あの作戦の前からずっと彼女の声を聞いていない。声を聞くことすら、僕には資格がない。最後に聞いた拒絶の言葉を、ずっと覚えている。何度も思い出しては、胸が苦しくなる。

「…君を嫁に貰える相手は、幸せだろうな…」

彼女は好きな相手にどんな顔をして、どんなことを喋って、どんなことをするのだろう。毎朝挨拶をして、一緒に食事を摂って、そして一緒に…今の僕では叶わないことばかりを想像する。何年か前までは、二人でいることが当たり前だったのに、それがどれだけ幸せだったのか、今になって痛いほどわかった。
優しく頬を撫でて、触れるだけの口付けをする。そしてゆっくりと、火を吹き込んでいく。僕に出来るのは、眠っている間に火を与えることだけだ。もし、彼女に好きな相手ができたら、この役回りも必要がなくなるのだろうか。或いはその相手からも隠れて、続けなければいけないのだろうか。
一通りの役目を終えて、気落ちして視線を落とした時、自分の手が目に入った。いつの間にか彼女の手に自分の手を重ねていた。僕は急いでその手を引っ込めた。
無意識に彼女に触れてしまう現象は、未だに治る気配がない。この現象が出た時は長居しすぎの合図だ。そろそろ、ここを離れなければ。立ち上がって、音を立てないように部屋を出た。

「ボス」
「うわ!…ど、どうして、ここに」
「警備が終わって帰る途中で、ここに入っていくのを見かけたんで、つい」

部屋を出ると、ゲーラが部屋の前で座って待っていた。さらに話しを続けようとしていたが、ここで話していては彼女を含む周りの住人が起きてしまうかもしれない。僕は居住区から外れた通りへ早足で移動して、ついてくるゲーラを待った。

「夜這いっすか?」
「よ…!?」
「…なんだハズレっすか。じゃあなんでまたこんな時間に」
「…聞いているだろう。彼女は、自発的に火を起こすことが苦手なんだ」
「ああ、それで。でもそれなら、昼間でも良くないっすか?」
「…今は、顔を合わせることができない」
「喧嘩でもしたんすか?」
「…もっと、ひどいことをした」

多分、この表現では伝わらないだろう。かといって正直に話すのは憚られる内容だ。今はただ、彼女とは顔を合わせられないことを強調できればいい。

「まあ、すぐ仲直りできるといいっすね」

仲直り自体が不可能とわかっているのだ、そうだなとは言えず、逆にその否定も失礼だろうから、ただ苦笑いを見せて返すしかできなかった。

「そうだ。あの嬢ちゃんが灰になりかけた理由、ボスは聞いたっすか?」
「…いや、詳しい話は聞いていないが」
「高いところから落ちた後、らしいっすよ」
「…どういうことだ」
「なんでも、荷物を運んでる最中に、足を滑らせて落ちそうになった…とかで。でもまあ、すぐに火で盾を作ったから、無事だったって話ですけど」

バーニッシュなのだから、火を出すことは確かに可能だ。しかしその固形化となると誰にでもできる芸当ではない。そこそこ持続する火力と、それなりの訓練が必要だ。ましてや彼女は、バーニッシュになってそこまで日が経っていない。固形化など教えたこともないのに、扱えるはずがないのだ。近くにいた第三者の火が彼女を守ったなら、理解できる状況なのだが。

「…それで、その後に灰になりかけたのか」
「らしいっすよ。まあボスの血統だから盾を作るくらいは造作もなくできても、バーニッシュなりたてじゃ火の貯蔵は少なかった、ってことっすかね」
「血統で火力が決まるということはないだろう」
「そっすか?んじゃあ、ボスが嬢ちゃんに火をあげてるから、それが出てきて守った、とか?」

その解答は、まさに疑問に思っていたことへの限りなく正答に近いものだった。僕の与えた火が、彼女の身体を生かすだけでなく、守るためにも作用していたなら。僕から離れた火も、僕の意思を受け継いで動いているのだと。いや、しかし、彼女が最初に灰化したのは、僕が火を与えるようになる前のことだ。だとすると、僕が与えた火ではなく、僕の火が彼女の内にある火に作用した、ということなのだろうか。他のバーニッシュに影響されて自分の火が変わるなんて話はそれこそ聞いたことがない。影響されて変わるなんていう、人間の感情のようなことが、バーニッシュの炎にも起きるというのだろうか。
 
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