12
「リオ」
「…………」
「…リーオー」
「え、あ…何、父さん」
父さんの仕事に同行することは、正直あまり乗り気ではなかった。とはいえこの家の後継は僕だし、君はあの性格だ。飛び出して逃げるのが予想できたから、僕が受けるしかないと思ったのだ。
「お前、まだ心配なのか」
「心配だよ。一人で学校に行かせるなんて」
僕と別行動になった君は、必然的に一人で学校へ通うことになる。いつも僕と一緒に通っているのに一人で出歩かせるなんて、やっぱり僕は反対だ。とはいえ僕が授業を出ない分、君が授業内容をまとめる必要があるため、行かせないわけにはいかなかった。
「移動はほとんどスクールバスだし、もう何回も行かせてるだろう。あれで友達もいるんだから、完全に一人になることもない」
「変な道に入っていこうとするし、どこかで不審者に遭遇したりでもしたら大変じゃないか」
「それはお前だって入って行くじゃないか」
「僕は止めてるんだ。でもなまえが言うこと聞かなくて…」
実際、僕がいないことで多少は落ち着いているらしいが、それでも心配なことには変わりはなかった。
いつもこの話になると、僕の気にしすぎだ、ということで話が終わるはずなのだが、今日だけは違う展開が待っていた。
「だったら、次はなまえも連れて行くか?」
「え!?」
「ただし、二人とも大人しくしていられるなら、の話だ。二人揃って騒がれると、流石に相手方に悪い」
一緒に行ける方が良いに決まっている。僕も君も一人で行動しなくていいのだから、心配事は解消される。
ただ問題があるとすれば、二人一緒ではしゃぎすぎてしまうことだ。君は僕がいると無茶なことばかりするし、僕は君がいると思っていることが顔に出てしまいやすいから、最近やっと会得した愛想笑いもできなくなってしまうかもしれない。そのデメリットを知っているからこそ、父さんはいつも僕だけを連れて仕事を覚えさせているのだから。
「…じゃあ、それまでなまえと練習する」
「ああ」
あの時、しっかりと念押しして約束をすれば良かったと、何度後悔したことだろう。
僕たちが二人一緒に父の仕事に同行することは、一度もなかった。
◇
彼女の様子を遠くから眺めるようになって、気がついたことがある。彼女は日中、火を出さないのだ。料理の時くらいは火を使うと思ったのだが、加熱だけは他の誰かに頼んでいた。彼女自身、自分の命の火が消えかけているという自覚があるからこそ使わないようにしているのかもしれないが、それにしてはかなり過剰な行動だ。バーニッシュは定期的に火を出さないと支障をきたすはずなのに、それすら行わないなんて。
思えば彼女をここに連れてきたあの日以降、彼女が火を出したのは、知っている限りでは僕が触れている時だけだった。意識をなくさないまでにはなったものの、毎度溢れるように火が出て、一人では制御もできなかった。それ以外に、他の誰かに触れて火が出た、という話は今のところ聞いたことはない。練習の成果だと思っていたこの結果から、もしかすると僕がいないと火が出せないのではないか、なんて考えるが、それは流石にないだろう。誰かがいないと火が出せないなんて、それはまるでバーニッシュでも普通の人間でもないものだ。そんな中途半端な状態は聞いたことがない。今でこそ僕が火を与えないと動けないほど弱っているかもしれないが、それまでは普通のバーニッシュと変わらなかったはずだ。
もし仮に、本当に僕がいないと火が出せないとしたら、あの日どうやって火を起こしたというのか。彼女があの日、火を起こす前に僕が触れたことがあるとすれば、僕が初めて発火した日だけだ。何年も前に触れた火が、バーニッシュに覚醒する前の状態で身体に残っているなんて、そんなことがあるのだろうか。
そして、作戦から帰ってきてから数週間後くらいから、彼女が変わった眠り方をするようになっていた
「…今日もか」
ある時は机に伏して、ある時は壁に凭れかかって、そして今日は、ベッドにはいるものの、毛布は被らず端の方で両足を床に下ろした状態だった。ここで起きているつもりだったものの、限界が来て眠ってしまった、という一連の様子が見てわかった。
「ちゃんと入って寝てくれ、身体を冷やすぞ」
僕はそのたびに、彼女をベッドの真ん中へ運んで、毛布を被せていた。その小さな身体に少しの間だけ触れられることに、ほんの少しだけ嬉しく思いながら。
どうして彼女は夜更かしをするのだろうか、想像してみる。日記を書いている…としたら、近くにノートとペンがあるはずだが、今までそれらしいものは見たことはない。何かを作っているとしても、その材料らしいものがあるはずなのだから、それがない時点で違う。物を使う行動ではないとすると、身体を動かして何かの練習をしている、と考えるのが妥当だろう。
今の彼女にとって一番の悩みは、火が出せないことではないだろうか。誰にもそれを気取られたくなくて、夜な夜な練習しているということなら、確かにあるかもしれない。
僕が手助けできたら。そう思うけれど、僕にできることは火を分け与えることだけだ。使い方を指導するなんて、顔を合わせられない僕には到底できない。僕があんなことさえしなければ、自分を自制できていたら、こんな状況になってしまった君を、助けられたかもしれないのに。
「……りお、さん…?」
声がした。何週間振りに聴いたその声は、僕の名前を呼んでいるように聴こえた。顔を上げると彼女の瞼は開いていて、此方を見ていた。間違いではなかった。彼女が僕を見て、僕を呼んだ。その事実に喜んでいるのか、ついに見つかってしまって緊張しているのか、鼓動が速くなる。今すぐに彼女から離れなければ。
「…ま、待って…!」
逃げようと後退したところを、彼女の手が僕の手を掴んだ。彼女が僕に触れている。僕の肌に、彼女の肌が触れている。彼女の視線も、声を聴くことも、触れ合うことでさえ、もう絶対にないと思っていたことが一気に実現されて、混乱して頭が真っ白になる。
「…村の人達に聞きました。リオさんが、私に火を分けてくれてるって。貴方の火でしか、私は生きられないって」
「…………」
「…私は、火を分けてもらっても、何もお返しできません。だからもう、やめてください。私を生かしておく意味は、ありません」
彼女の声は震えていた。それはこれから死ぬことに怯えているのか、僕という対象に怯えているのか、わからなかった。僕に触れられたくないから、死ぬことを選んだのかもしれない。僕に触れられるくらいなら死んだほうがいいと、そう思ったのかもしれない。それほどに僕が嫌いなのだろう。それほどに、僕の存在が苦痛なのだろう。
「嫌だ」
「え…」
「僕は、君に生きてほしい」
僕のその一言を聞いた瞬間、彼女は今にも泣き出しそうな顔をした。
「…じゃあ、続けるんですか」
「出来る限り君が眠っている時間にする。だから、」
「私が嫌でも、するんですか」
「…………」
やはり、嫌なんだ。僕に触れられることが嫌なんだ。僕のことが、嫌いなんだ。
最初から気づいていた。彼女にとっての僕は許可なく触れたり、強引に口づけたりするような相手なのだから。嫌われて当然だ。それでも出来ることなら知りたくなかった。ほんの少しでもいいから、そうではないと思っていたかった。
「つらいなら、やめていいんですよ」
「…つらくなんかない」
「つらいはずです。だって私、知ってるんですよ」
「…何をだ」
「私が忘れてるの、リオさんのこと、ですよね?」
それは彼女が辿り着く筈がないと思っていたこと。辿り着いてしまえば終わりだと思っていた、正確な解答。僕にとっては、終わりの宣告。
「こんなに顔が似てて、ファミリーネームまで同じ親戚なのに、今まで一度も顔を合わせたことがなかったなんて不自然じゃないですか。それに…」
「…聞いたんです。リオさんが寝てる時、私の名前…呼んでました」
「ここでは一度も呼ばれたことなんてないのに、すごく呼び慣れている感じ、でした」
「私はこんな…大事な人を忘れてしまうような最低なバーニッシュです。だから貴方に、火を分けてもらう権利なんて、ないんです…!」
予想とはいえ、彼女が答えまで辿り着くとは思わなかった。何より、彼女の名前を呼んだことは身に覚えがない。あるとすれば、以前寝坊した僕を起こしに来た時だ。様子がおかしかったのは、そのせいだったのか。
「…思い出したわけじゃ、ないんだな」
「…ごめんなさい。何から何まで助けていただきながら、私は何も…!」
「いいんだ。君が生きているなら」
僕は安堵していた。その内容には、僕に対するネガティブな予想がなかったからだ。今まで彼女に散々ひどいことをしてきた自分が、悪く思われることだけは避けたいと、罰を受けるべきだと分かっていながらも、未だに固執しているのだ。
「よくないです。火をもらっている分、ちゃんとお返しがしたいです」
「僕は君が生きているだけでいい」
「そんなの困ります。ちゃんと対価がなければ」
「対価なら、もう貰っている」
彼女が返答を止め、静寂が訪れる。そう、僕は既に十分な対価を受け取っている。
「僕は、君に触れられるだけで、すごく幸せなんだ」
それどころか、君が僕を見てくれるなんて、君の声を再び聴けるなんて、こんな風に口を利いてもらえるなんて思っていなかった。今日だけで僕が受け取った対価は、ただ火を分け与えたことに対してあまりに多すぎるくらいだ。
「…あ、ああ、いや、その、君にとっては嫌、なんだよな。その…すまない」
ふと我に返った。彼女は先程、はっきりと嫌だと言っていた。そんなことを対価だと言ってしまった。彼女にしてみれば、嫌いな相手に触られるのだから、とても気分が悪いだろう。しかもそれを、触れるのが嬉しいなんて言われたら、殊更に。
「い、いえ、そんな、私は嫌とかじゃなくて」
「……え?」
嫌ではない。彼女はそう言った。でも、さっきは嫌だと言ったはずだ。どちらが正しいのだろうか。理解しきれなくて混乱してきた。
「し、しかし、さっき嫌だと」
「それは例え話で…」
「そ、それに、僕は以前、君にあんな酷いことを」
「それは……そういう関係だったなら、おかしくないことですし」
「……そう、いう?」
そういう関係、それは即ち、僕と彼女は以前、恋人関係だったのではないか、彼女はそのように予想していることになる。それに気がづくと、一気に顔が熱くなる。
「…違うんですか?」
「え、あ…ええと…」
すぐに否定しなければいけないのに、何故か言葉が出ず、目を逸らした。彼女が至った予想は実際には間違ってはいるけれど、それは僕が今まで何度願っても叶わなかったこと。もしこのまま僕が否定しなければ、彼女の中でその予想は確信になり、そして僕を、意識するようになる。いや、その予想に辿り着いた時点で、彼女は既に、僕のことを、
「…やっぱり、そうだったんですよね?」
「…………」
僕は、卑怯だ。
彼女を騙してでも、彼女の心が欲しかったのだから。
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