14
その日の朝は、いつもより少し早く目が覚めた。
「おはよう」
毛布をめくって、眠っている君の身体を揺らす。窓からの光が眩しかったのだろうか、君は自分の額を僕の胸に押し付けて、隠れるように身を縮ませた。
「こら、起きられないじゃないか」
「……やだー、眠い…」
「全く」
遅刻するぞ、寝癖ついてるぞ、何を言っても僕から離れようとしなかった。今までは大体同じ時間に目が覚めて、大体同じ時間に眠くなっていたから、片方は起きて片方は眠い、なんてことは初めてだ。離れて過ごしていたことで、生活習慣が変わったからだろうか。同じだと思っていたことが違っていくのが、少し寂しく感じた。
「じゃあ、寝てていいから、僕は先に起きるぞ」
「…………」
「…いい加減にしないか、同じくらいに寝たはずなのに、どうして眠いなんて」
「眠れなかったの。話すの久しぶりで、楽しかったから」
眠るのが勿体なかったのは僕も同じだった。ずっと顔を合わせていなくて、どうしても会いたくてここに来たのだから。でも、君と一緒にいると心地良かったから、安心して眠れたのも事実だ。こんなことなら、眠らずに夜が明けるまで喋っていれば良かった、とまで思ったけれど、寝坊をするわけにはいかない。早めに起きて部屋を出ておかなければ、僕がここに来ていたことがバレてしまう。
「…また夜に話そう。だから、それまでは一人で頑張ろう」
「……ん」
部屋を出たら、君に会えない日常が始まる。でも、怖くはない。夜になれば、またこの部屋で君に会えるのだから。
◇
目が覚めると、目の前で彼女が眠っていた。顔が見たい、と思わず手を伸ばして、顔にかかっていた髪を除けた。安心しきった様子で眠っていた。
あの後どうなったのか、はっきりとは覚えていない。けれど、彼女に触れて、彼女とひとつになれて嬉しかったのだけは覚えている。そしてその彼女が目の前にいる。それは僕が触れても灰にならなかったことを意味している。彼女は無事だったんだ。本人が言っていたように、平気だったんだ。
「……!」
髪で隠れていた首筋に赤い痕があることに気がついた。毛布を捲ってみれば、首どころか、胸や肩、身体の至るところに痕がついていた。
僕がやったんだ。そうに違いない。身体が火に蝕まれた後の記憶がほとんど抜け落ちているのだから。彼女の身体は灰にならなくても、僕は自分の感情を抑えられなかったんだ。こんな酷いことをするくらいなのだから、きっと酷く乱暴な抱き方をしたに違いない。
「…あ…あ…」
離れなければ。僕が近くにいたら、また彼女を傷つけてしまう。起き上がって、少しだけ距離を取った。
僕のことを大事な人と言ってくれて、本当に嬉しかった。でもこんなことをしてしまう僕に、君の側にいる資格はない。
「……リオ、さん…?」
彼女の声で顔を上げる。目を覚ました彼女が、こちらを見ていた。自分がしたことへの後ろめたさで目を合わせることができず、下を向いた。
「…すまなかった」
「そんな、謝らないでください」
「謝らせてほしい。謝って済むことじゃないのはわかっている。けど、謝らないと気が済まないんだ」
僕は君を傷物にしてしまった。それは昨晩のことだけではなく、最初に繋がったあの日から。練習だと言って人の初めてを奪って、今度は加減ができず痣だらけにするなんて、どう考えても酷すぎる。僕は自分の感情を押し付けるばかりで、彼女の気持ちを全く鑑みていない。幾ら彼女がしてもいいと言ったからといって、限度があるだろう。最悪にも程がある。
「私、嬉しかったんですよ」
彼女の手が、僕の手に重なる。震えてはいない。彼女は、僕を怖がっていない。
「リオさんに触ってもらうの、すごく幸せでした。きっと前もこうだったのかなって思ったら、前のことが思い出せないのが、すごく勿体なくて」
「私は、リオさんの役に立てましたか?」
最初の一回は覚えていないとしても、僕の役に立つために二度も身体を差し出すなんて、彼女は本当にどうかしている。ただ君に火を与えることしかできない僕に、邪な感情ばかりを抱いている僕に、そこまでしてくれるなんて。
「……僕も、嬉しかった」
「なら、よかったです」
「で、でも、こういうのは、本当にその、余程のことがなければ…」
本当はもっと、毎日でも君に触れられたらと思うけれど、それではきっと彼女が消耗するばかりになってしまう。自制しなくては。しかし、
「…あまり、良くなかったでしょうか?」
言い方が悪かったのだろう。違う意味で捉えられてしまった。
「そう、ですよね…私、身体も貧相ですし、うまくお応えできたか、分からなくて」
「ち、違う!違うんだ!凄く良かった!良かった、けど…」
「けど…?」
「加減ができなくなるから、君の身体が心配なんだ」
「そんな、大丈夫ですよ、火もいただいているし、これでも体力はついた方です、し…」
言いながら、彼女がその場で起き上がろうとする。けれどすぐにバランスを崩して倒れそうになり、咄嗟に抱きとめてしまった。その柔らかい身体に再び直に触れると、また少し動悸が速くなる。
「…大丈夫か」
「す、すみません」
足腰に力が入らないようだ。それは僕が朦朧とした意識のまま、何度も抱いたということなのだろう。ずっと彼女に触れたいと、抱きたいと思っていたとしても、ここまでしてしまうなんて。
「今日は休むといい」
「で、でも、ただでさえ私、休みがちなのに」
「僕が伝えておく。時間になったら食事を持ってこよう」
そこまでしなくていい、彼女は大慌てでそう言ったけれど、彼女を動けなくしてしまったのは僕のせいだ。確実に生活に支障が出る状態なのだから、このまま放っておくことはできない。それに何より、彼女の側にいるための口実が欲しかった。今までずっと会話もできず、目を合わせることすらできなかったのだから。
◇
「ボス」
「うわ!」
「どうしたんですか。二人分の食事なんて持って」
いつの間にか背後に立っていたゲーラとメイスが声をかけてきた。驚いて食事を持ったトレーから手を離しそうになったのをどうにか堪えて、二人に向き直る。
「い、いや、身体が動かせない子がいて、それで」
「ほう、例の」
「仲直りできたんすね」
仲直り、という単語で気付いた。動けない人物が誰なのかは一言も言っていないはずなのに、二人は僕が言っている相手を彼女だと把握している。顔を上げると、二人はニヤニヤと意地悪そうに笑っていた。
「あんなに深刻そうな顔で“もっとひどいことをした”なんて言ってたのに」
「もっとひどいこと?…ボス、何をしたのか詳しく」
「動けないってことは、夜這い成功ってことっすね」
「夜這い…!?」
「や、やめないかお前たち…!」
ヒートアップする二人をどうにか宥めて、その場を後にする。きっと後で質問責めに合うだろうと覚悟した。
彼女と一緒に食事を摂るのは、この村に来てからは初めてのこと。本当に久しぶりだ。部屋に戻ったら何を話そうか。村での生活のことも聞きたいし、僕が不在にしていた間のことも聞きたい。火を出すのが苦手なのかも知れないから、そのことも話したい。今まで会話できなかった分、話したいことが沢山出てくる。
そして話す内容を考えているうちに、気がつけば彼女の部屋のすぐ近くまで来てしまっていた。曲がり角を曲がった先で、寝間着のままの彼女が部屋の前で座っていた。
「もう動いて平気なのか?中で待っていて良かったんだぞ」
僕がそう言うと彼女は、待っていたかったから、と答えた。その様子がなんとなく、昔の自分達のように思えた。僕たちがまだ家にいた頃、親の仕事の付き添いで出かけては遅くなる僕を待ってくれていたのは彼女だった。記憶はなくても、彼女の身体が覚えているのかもしれない、なんて思った。
中で食事にしよう、と彼女の手を引いた。こんな風に手を繋ぐのも久しぶりで、本当に昔に戻ったみたいだ、なんて嬉しく思った。
「……?」
しかし、一歩、二歩と部屋に進んだところで、何故か彼女の手が僕の手から離れた。何事だろう、と振り返ると、
「…………」
彼女の身体が凍っていた。その姿はまるで僕を庇うかのように、両手を広げた状態だった。
状況を把握する暇などなかった。止まることのない銃声。物が、人が、周囲がすべて凍っていく。ただ僕一人だけ凍結弾を食らっていないのは、彼女によって死角になっているからだろう。僕を庇う必要なんてないのに、彼女はどうして。
奥からエンジン音が聞こえてくる。これはマッドバーニッシュのバイクの音ではない。フリーズフォースの車両だ。気づいた時には、凍りついた住人をその車体で転がしながら、すぐ近くまで迫っていた。せめて彼女を渡してなるものかと、凍ってしまった彼女に手を伸ばすけれど、その行動すら遅く、自分の身体もそのまま転がされ、ついには放り投げられた。村が崩れる音とともに、凍りついた住人たちとともに、地面へ落ちていく。散らばっていく。
「…………」
やっと、やっとここまで作り上げた、安息の地だったのに。目の前で崩れていく。跡形もなく、全部壊されていく。
どうして壊されなければならないのか。どうしてこんな扱いを受けなければならないのか。僕たちは、ただ生きたかっただけなのに。火とともに、普通に暮らしたかっただけなのに。
よくも僕たちの村を。よくも、仲間たちを。
よくも、よくも、よくも、
「…許さない…!」
止めなければ。バーニッシュが不当な扱いを受けることは断じて許されることではない。僕が村の皆を、彼女を、守らなければ。
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