01a
リオがいなくなってから、世界が目まぐるしく変化した。
リオに向いていた期待は、全部私に向けられるようになった。リオができていたのだから、双子である私も同じようにできるはずだ、とでもいうように。しかし当然私はリオではない。期待に応えられるような力はなかった。何度も失敗した。その度に、次は上手くやろうとか、そういう日もある、なんて慰められるけれど、父さんも母さんも、焦っていることは明白だった。何せ取引先の家との婚約が破棄になった影響は大きかったのだから、無理もなかった。次第に膨れ上がる期待と、失敗した時の失望の恐怖が重くのしかかる。遠い昔に入れ替わったときに体験した一日二日程度じゃない。それがずっとだ。こんなの逃げたくて当たり前だ。私はこんなに辛い役目を、何も知らずにリオに押し付けていたんだ。
だから、私は両親に提案した。
「私が、取引先の家と婚約する」
最初は反対された。私まで手放したくないという理由だ。それは要するに、私が家を継がなければ、外部から後継者を探すことになる、という意味なのだろう。
しかし、リオの婚約を壊してしまったのは、元はと言えば私のせいだ。加えて、私は今まで仕事に関する知識もほとんど教えられてこなかった。こうすることでしか使い道がないのは、私が一番よくわかっている。
とはいえ、社交関連の用事にも出されたことがない私に、そう簡単に話が決まるはずがなかった。年齢が離れすぎている、会話が続かない、礼儀がなっていない、今まで何を言われても平気だったはずのただの批判や悪口が、今では簡単に胸に突き刺さった。当たり前だった。今まで話す相手といえば、ほとんどリオだったのだ。いざ人前で話すことになると、リオと話す話題しか思いつかなかった。
よく知らない大人たちに囲まれたこんな状況を、リオは何年も繰り返していたのだろう。そう思うと、リオが親しい相手に縋りたくなるのは仕方のないことだった。私もずっと、リオがいてくれたらいいのに、と何度も思ったのだから。
話し方や立ち振る舞いを叩き込まれて、数年が経過した頃、漸く普通に話せる相手が見つかった。自分よりも少し年上の人だけれど、趣味も好みも似通っていて、今までで一番話しやすかった。やっと私も役に立てる、そう思った頃のことだった。
「君は誰を見ているんだ」
「僕はずっと君を見ている。君は僕を見ながら別の誰かを見ているだろう」
「少しでもいいから、僕を僕として見てくれないか」
言われて気がついてしまった。私はこの人が好きになったわけではなくて、私はこの人に、リオを重ねて見ていただけだったのだ。私の趣味や好みはリオと同じもの。それまでの話し相手もリオしかいなかったのだから。
すごく申し訳なく思った。何度も謝った。けれど、兄を思い出していた、なんて理由は言えないから、言葉を濁すしかできなかった。
それから彼は、急に距離を縮めてきた。手を握ってきたり、肩を組まれたり、腰を掴まれたり、今までリオにしかされたことのなかったことを沢山された。リオとする時は何とも思わなかったのに、彼にされるのは、少し怖いと思った。しかし、気を悪くさせる訳にはいかない。どんなに怖くても我慢した。リオだって我慢していたのだから、私もこの程度、慣れなければ。
父さんと彼の仕事が長引いた日のことだった。彼が家に泊まることになったので、私はゲストルームの支度をした。掃除をして、シーツを取り替えて、花を飾って、さあ部屋に戻ろう、という時だった。
「今晩、一緒に寝ないか」
シャワーから上がった彼に、耳元でそう言われた。途端に思い出した。リオとのあの晩の出来事を。あれを、彼がしようと言っている。
「大丈夫、優しくするから」
私の腕を掴んで、ベッドへ座らされた。大きな手が私の髪を撫でた時、とても嫌だという気持ちが湧き上がってきた。
「わ…私、そんなに、身体、綺麗じゃない、し」
「そんな事はないよ、君は綺麗だ」
「で、でも…恥ずかしい、から」
「恥ずかしがらなくていい。君は僕のことだけ考えて、僕に任せてくるだけでいいんだ」
できるだけ機嫌を損ねないよう、やんわりと拒否を伝えたけれど、全く効果はなかった。そのまま顎を掴まれて、口付けられた。あの晩、リオにされた時と同じように、舌が入ってきた。リオの時と違う。荒々しくて、苦しい。うまく息ができないのは同じなのに、相手がリオじゃないだけなのに、苦しくて、怖くて、死んでしまいそうだった。
気がつくと、私は彼を突き飛ばしていた。彼はその場で、意にそぐわない行動をした私を睨んでいた。
「…どうしてなんだ、どうして、君は僕を見てくれないんだ!」
そんなことを言われても、どうしてもリオのことを思い出してしまう。ただ、リオではない誰かに触れられるのがとても嫌で仕方がない。それだけしかわからない。でも、こんなことは伝えられない。絶対に、気を悪くさせてしまう。
「…ご、ごめん、な、さ…わたし、まだ、怖く、て」
起き上がった彼に腕を掴まれた。私は怖くて目を伏せた。例え暴力を振るわれても耐えなければ。我慢しなければ。リオだったらこのくらい平気なはずだ。私が耐えれば、全部丸く収まるのだから。
しかし、いつまで経ってもそれ以降に触られる気配はない。恐る恐る瞼を開くと、
「……え」
火の海だった。部屋の全てが、火の海に包まれていた。座っているベッドも、掃除した絨毯も、飾った花も、全部に火が燃え広がっていた。それなのに、自分の身体は殆ど熱いとは感じなかった。自分の身体も炎に包まれているのに、皮膚は全く焼け爛れていなかった。私はバーニッシュになったのだろうか。この部屋に、火をつけてしまったのだろうか。
背後で大きい音がした。驚いて振り返ると、天井にあったはずの照明が床に落ち、火に飲み込まれていた。火は既に天井まで燃え広がっていた。そのうち火はこの家全てを覆い、燃やし尽くしてしまうかもしれない。そうなれば私もここにいては危険だ。逃げなければ。でも、どこに行けばいいのだろう。こんなに大規模に家を燃やしたバーニッシュは、すぐに収容されてしまうはずだ。
「………!」
何かが軋む音。目の前の柱が倒はじめていることに気がついた。土台が燃えて削られたことで、その場を維持できなくなったのだろう。この距離では逃げられそうにない。ああ、でも、これでいいのかもしれない。生き延びたとしてもどうせ捕まってしまう。その先は地獄と同じものだ。何の役にも立てなかった私なんて、ここで終わった方がずっといい。私はそのまま、目を伏せた。
身体が浮いたような感覚の後、遠くで何かが倒れるような大きい音がした。どうしてだろう。倒れかけていたのは目の前の柱のはずなのに。
ゆっくりと目を開く。すると、鏡を見ているかのように自分にそっくりな顔が視界に飛び込んできた。
「…怪我はないか?」
とても懐かしい声だと思った。でも、この人は誰なのだろう。髪の色も目の色も私と同じで、きっと私に兄弟がいたらこんな姿なのだろうかとさえ思った。こんなに似ているのに、懐かしい気がするのに、自分の記憶には全く思い当たる人物がいなかった。すごく、気になる人だ。
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