ひとりの休日
「は?街に出たことがない?」
ガロが家に来ていた日のことだった。僕が席を外している間、彼女が話し相手をしていたらしく、扉の向こう側から会話が聞こえてきた。
「リオが、私は顔が似てるから外に出ない方がいいって…」
「あいつ何年前の話してんだ…確かにバーニッシュに恨みを持ってる奴はいるだろうけどよ、もう何年も前のことだし、直接ぶつけにくる奴なんて早々いねえし、いたとしてあいつか俺がいたらなんとかできるだろ。お前それで外出たことないってのか?ここに来てからずっとか?」
「え、ええと、まあ」
「じゃあ、次の休みに俺が案内してやるよ。俺がいれば心配してる類はまず寄ってこねえ」
「でも、リオが許してくれるか…」
ガロから外出の誘いを受けるも、彼女は僕を理由に断り続けている様子だった。
なんとなく入りづらい雰囲気だったので、出来るだけ音を立てないように入ろうと思い、ゆっくりと扉を開く。そして様子を見ようと顔を出したところ、なぜか丁度いいタイミングで顔を上げたガロと目が合ってしまった。
「あ!リオてめえ、妹のこと家に閉じ込めてんのかよ!」
「え、あ」
「病気してる訳でもねえのに外に出さねえってのはさすがにおかしいだろ!」
予感は的中したようで、外にまで聞こえてしまうのではないだろうかというくらい、凄い剣幕で怒鳴ってきた。見つかってしまっては仕方がない。説明する他にないだろう。
「僕と間違えられたらよくないのは事実だ」
「確かに顔は似てっけどよ、だからってずっと閉じ込めておくのはよくねえだろ!」
「危険な目に遭ってからじゃ遅い。過剰だとしても、危険から回避できる方がずっとましだ」
「確かに危険な目に遭うのを避けたいのはわかる。けどよ、本人の意思はどうなんだ」
「本人の意思…?」
「外に出たいとか、買い物に行きたいとか言われたことないのか?性別が違ったら、お前に頼みづらい買い物だってあるだろ」
確かに、ガロの言う通りだ。本人が外に出たいなら、その意思を尊重するべきだろうし、本人が見なければ選べない買い物だってあるはずだ。
実を言うと、彼女の意思を聞いたことがなかったのだ。ここに来てすぐ、外に出ないようにと言いつけて以来、彼女はずっとこの部屋で過ごしている。外に出たがる様子もなく、不満も口にしたことがない。だから今まで本当に、彼女は外に出たいとは思っていないと、今の生活に不満はないのだとばかり思っていた。
だが、もしかすると言い出せないだけで、本当は外に出たいと思っているのかもしれない。とすると僕が今までしてきたことは監禁と同じだと気がついた。途端に、罪悪感に苛まれる。
「あ、あの私、本当に、外に出なくても、特に困ってなくて」
その発言を聞いて安堵した。良かった、僕は彼女の意思を無視していたわけではなかったのだ。
「…ほら見ろ。本人だって希望していないじゃないか」
これで僕が正しかったと証明できる。そう思ったのだが、
「それに私、外に着ていく服なんて、持ってないし…」
その次の発言により破綻し、ガロに胸ぐらを掴まれた。
「お前経済DVまでしてたのか!?」
「け、経済…?」
「生活に必要な資金を渡してないってことだよ!なんだよ服持ってないって!服を買う金すら渡してないってのか!?」
「い、いや、その…」
確かに、考えていなかった。彼女は家から出ない上、普段は僕の服を着ているから、支障はないと思っていた。それに、本人は一度もよそ行きの服が欲しいなんて言ったことはない。衣類を購入するとしても、たまに通販で下着などを買い足す程度だった。
よくよく考えれば、彼女はまだこんなに若いのに自分の服を持っていないなんて、これではまるで極貧生活どころではなく、バーニッシュだった頃と同じようなものだ。本人が自発的に欲しいと言わなくても、せめて僕が買ってくるとか、通販を利用したいと言ったときに少し多めに渡すとか、もっと出来ることがあったのではないだろうか。
「だー、もうわかった。アイナに借りよう」
「え?」
「……あ、アイナか?あのなあ聞いてくれよ、リオがさ…」
「ちょ、ちょっと待て、何を」
「リオは黙ってろ。んでよ、その妹が服持ってないって言っててさ…」
僕が経済DVをしていたことが目の前で拡散されていく。恐らく次の出勤日には職場の全員に知られているだろう。しかし止める権利はない。無意識とはいえ、彼女に悪いことをしていたのは事実なのだから。
◇
僕の休日はそれまで、彼女とずっと一緒に過ごせる日だった。
「今日は一日反省してろ」
家を出る際、ガロはそう言った。
ガロとアイナが彼女を連れて、外へ買い物へ行くことになった。僕はガロの発言通り、留守番だ。今まで彼女を閉じ込めていた罰、という意味合いなのだろう。彼女に渡せるだけの資金を持たせて、ガロとアイナに連れて行かれるのを見送った。行ってらっしゃい、と彼女に言ったのは多分、初めてだと思う。
そして僕は、彼女とここで同居してから初めての、彼女がいない休日を過ごすことになった。
普段なら彼女と二人でゲームをしたり、映画を見たりしていたから、いつもと同じ感覚でゲームを起動した。迷うことなくRPGを選んだ。こういった一人用のゲームをする時、彼女が横から話を振ってくるから、それがたまに、ちょっとだけ煩わしく思うことがある。だから一人の時こそゲームに集中できると思ったのだ。
最初は快適だと思った。横から何かを言われることがなくて、悠々自適に進めることができた。でも、次第に違和感を覚えはじめた。マップの道がわからない時も、クエストの人物が見当たらない時も、横から声がしなかった。戦闘中、敵の弱点部位に気づかず時間をかけてしまったし、必要なドロップアイテムを拾い損ねてしまった。ただ彼女がいないだけなのに、その声が聞こえないだけなのに、いつもより楽しくない、と思ってしまった。それに気づいてしまうと続けることも億劫になったので、セーブもせずに電源を切った。
何か腹に入れよう、と冷蔵庫を開けた。作り置きの食事が入っていた。出かける支度もしながら、彼女が用意してくれたのだろう。ありがたくいただくことにして、取り皿に分けたところで気がついた。いつもより少ないような気がする。そして立て続け思い出す。今日は二人分の準備をする必要はなかったのだ。僕は無意識のうちに、作り置きを二つの皿に分けていた。元々この食事は僕だけの食事で、彼女の分は入っていない一人分の量で、皿を分ける必要なんてなかったのだ。
彼女が作ってくれた料理のはずなのに、あまり手が進まなかった。味はいつもと変わらないのに何故だろう。普段と違うことといえば、彼女がいないことだけだ。僕の話を聞いてくれたり、彼女が見た本やニュースの話をしたり、ただそれがないだけなのに、どうしてこんなに違うのだろう。勤務日に一人で食事を摂ることだってそれなりの頻度あるのに、その時よりも、今日の食事にかかった時間は確実に長かった。
さて、他にやることはあるだろうか。家事をしようかと思ったけれど、洗濯も掃除も彼女が昨日のうちに済ませていたから、必要がなかった。テレビでもつけようか、と思ったけれど、見たい番組があるわけでもないし、ましてや映画を見ようにも、さっきみたいに彼女がいないことを思い出して、継続できなくなりそうなので取りやめた。
いよいよ何もしたくなくなり、ベッドに横になった。特に疲れているわけではないはずなのに身体が重い。こんなに何もない、つまらない日を過ごすのは久しぶりだ。いや、彼女は今日の僕のような日を、普段過ごしているのだろう。僕がいないから食べ物を二人分用意することもないし、声をかけようとすることもない。掃除をして、洗濯をして、一人で食事を摂って、夕飯の支度をして、ただ僕の帰りを待つ。僕が出勤している間、こんな生活をずっと一人で過ごしているのだろう。僕が彼女に強いてきた生活は、果たして本当に不満はないのだろうか。
ふと、自分の手元に枕があることに気づく。これは彼女が使っている枕だ。僕の枕よりも低い場所にあるそれは、お互いに触れながら眠るための、昔からの定位置だ。僕はその枕を引き寄せて、顔を埋めた。普段使っているシャンプーの匂いと、微かに、君の匂いがした。
ここで君と一緒にいる時間はすごく落ち着く。仕事に疲れて帰ってきて、ここで君を抱き締めるだけでその疲れが吹き飛ぶほど効果がある。君は抵抗せずに受け入れてくれるから、好きなだけ君に触れられる。
いや、もしかしたら、落ち着くのは僕だけなのかもしれない。そもそも、ここで一緒に住むようになってから、君が自分の意思を伝えてきたのは指で数えるほどしかない。もしかすると、服がないことのように言い出せないでいることが他にあるのではないだろうか。そんな不満があってもおかしくはないはずだ。
そう思うと、途端に怖くなってきた。君が今までこの家にいてくれたのは、ただ他に行くあてがないから僕に従ってくれているだけで、あてがあれば出て行ってしまうかもしれない。僕はその懸念を無意識に危惧して、外に出るなと言いつけたのかもしれない。僕のために家事をしてくれているのも、家にいるから仕方なくやっているだけで、一緒に映画を見たり、ゲームの相手をしてくれるのも、バスルームで身体を洗ってくれるのも、ベッドが別々ではないことも、全部不満に思っているのかもしれない。思い当たることがあまりに多い。それに、そのほとんどが僕が決めたことばかりだから、押し付けている気がしてならない。
帰ってきたらすぐに聞いて、少しでも嫌だと思っているならやめさせよう。でも、もし本当に嫌だと言われたら、どうすればいいだろうか。家事は分担することはできるけれど、それ以外は。一人でゲームするのは楽しくなかったし、それ以外だってそうだ。ここやバスルームで、お互いに触れる時間がなくなってしまう。そんなのは僕が嫌だ。近くにいたい。触れていたい。少しの間だけでいいから、ほんの少しだけでいいから。でも、少しだけではきっと足りなくなってしまう。君を迎え入れてすぐの頃、耐えられなくて襲ってしまったのが証拠だ。僕はやはり、君の近くにいない方がいいんじゃないだろうか。君は一緒にいたいと言ってくれたけど、今でもそう思っているのかはわからない。君がいてくれることは、僕にとってはこれ以上ない幸せに変わりはないけれど、君にとってはそうではないかもしれない。
「…………」
涙が出そうになったのを抑えるように、もう一度君の枕に顔を埋めた。
◇
いつの間にか眠っていたようで、目が覚めた頃には、窓の外は真っ暗になっていた。
もう帰ってきているだろうか。いや、もしかしたら誰かの家に泊まる、なんて話になっているかもしれない。あんなに長い期間、部屋に閉じ込めていたのだから。
夕飯の時間をとっくに過ぎているはずなのに、特に食欲はない。もし彼女がいないなら、夕飯はなくてもいいだろう、とさえ思っていた。
「……あ、もう起きたの?」
リビングの扉を開いた途端、物音とともに君の声が聞こえた。聞き間違いかもしれないと思って、声がした方へと足を運んだ。
「もう少しでできるから、待ってて」
紛れもない君がそこにいた。僕のシャツを着ただけの、いつもの姿の君がそこに立っていた。
思わず手が伸びそうになったけれど、寸前で止めた。彼女がされて嫌なことかもしれないんだ。できるだけ、控えなければ。
「…き、今日は、どうだったんだ」
「楽しかったよ。すごく良くしてもらった」
聞けば、よく昼食に利用しているピザ屋に行ったり、ガロやアイナのお気に入りの店を回ったのだという。とても楽しそうに話す様子を見る限り、危険な目には遭わなかったようだ。
「服は、買えたのか?」
「……い、一応」
様子がおかしい。元々服を買うための外出だったはずなのに、それにしては煮え切らないような返答だ。
部屋を見渡すと、ソファの上に置かれている紙袋が目に入った。近づいて手に持ってみれば、だいぶ軽い感触だ。彼女が買ったものというのはこれだろうか。見ても構わないだろうか、と一声かけて、袋を開ける。中にはジャボ付きのシャツが入っていた。しかし彼女のサイズにしては少し大きい。どちらかというと、僕に丁度良いサイズのように思える。買い間違えていないか、と聞いてみると、少しの沈黙の後に、返事が返ってきた。
「リオが今着てるの、長いこと使ってるからそろそろ買い足さないとなって、前から思ってて」
つまり、彼女は出先で自分の服ではなく、僕の服を買ったということだ。先程の不自然な様子はこれによるものだったのだろう。当初の目的とは矛盾しているのだから。
「君の服を買う話だったじゃないか」
「で、でも、自分に合う服ってどういうのか、わからないし」
「二人に選んでもらえばいいだろう」
「そうだけど…」
「けど?」
「……リオが、いなかったから」
彼女から出てきた言葉は、あまり的確な返答とはいえないものだった。
「今日、楽しかったのは本当なんだけど、リオはどうしてるかなって、ずっと気になってた。だから、買い物もリオのが買いたくなって。それで、次に出かける時は、リオと一緒がいいなって、思って……あ、でも、嫌だったらいいの。ただでさえ顔が似てるから、並んで歩いたら目立つかもしれないし…」
僕が彼女がいないことを寂しく思っていたように、彼女も僕のことを考えていたということだった。お互いが近くにいないことが落ち着かなかったという、同じ気持ちだったことを知ると、今日考えていた悪い想像が一瞬で消え去ったかのように、穏やかな気持ちになっていく。
「い、嫌じゃ、ない」
「……本当に?」
「…き、君が、嫌じゃなければ」
「わ、私も、リオが嫌じゃないなら」
お互いに嫌ではないことを伝えたところで、彼女のいる場所へ踵を返した。そして、出来上がった夕飯を盛り付けている君に、後ろから手を伸ばして──シャツの裾を掴んだ。
「どうしたの?」
「…さ、触っても、いいだろうか」
「聞かなくていいのに」
「い、一応…」
「いいよ」
許可を得て、君の身体に触れた。ゆっくりと、後ろから腰に腕を回して、身体を密着させて、丁度自分の口元あたりにある君の後頭部に顔を埋めて、深呼吸をした。
「くすぐったい」
「…嫌じゃ、ないだろうか」
「大丈夫だよ」
君の言葉が溶け込むように、それまであった緊張や恐怖が取り除かれていく。僕はそのまま、君の後頭部に頬擦りをしながら、話を続けた。
「僕も今日、君のことを考えてた」
「そうなんだ」
「だから、嬉しい」
「そっか、よかった」
君が伝えてくれたように、僕も同じ気持ちでいたことを話した。伝えた方が、君も嬉しいはずだから。
「…あ、でも、出かけるなら、服はどうするんだ?」
「え、普通にリオの服借りるけど」
「家にいる時と同じじゃないか」
「いいの。動きやすいし」
服がないから出られない、という話だったのに、僕と出かける時の服装は気にならないのだろうか。いや、君にとっては服のことはさほど重要ではなくて、あの時僕が外出に反対したので、やんわりと外出できないことをガロに伝えるために服がないことを言い出しただけなのかもしれない。結果、経済DVだと言われて外に出ることになってしまったわけだが、元々外に出たいとは思っていないことを前置きしていたのだから。それに、もしかすると、
「もしかして、僕の服が着たいから自分の服を買わないのか?」
「え?」
「いや、服が欲しいと言ったこともないから、そうなんじゃないかと思って」
「それは、本当に買う必要なかったからで、そういうわけじゃないよ」
「そ、そうか…」
僕の服が着たいと思っているといいな、なんて期待は即座に否定されてしまった。当たり前のことだが、ちょっとだけ残念に思った。
「あ、でもね」
君が持っていたスプーンを置いて、鍋の蓋を閉める。食事の盛り付けが終わったようだ。
「リオの服を着てる時は、今みたいにリオが近くにいる感じがするから、これはこれで好きだよ」
ご飯にしよう、と提案する君から暫く離れられず、折角作ってくれた料理が冷めてしまったことは、言うまでもない。
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