06
「…なまえ、どこ…」
「いるよ」
手を繋ぐ感触で、ここに君がいることを確認する。
熱や風邪で寝込んでいる日は心細かった。このままずっと動けなくなってしまうように思えて、とにかく怖かった。だから、いつも君がいてくれることにどれだけ安心しただろうか。もし君がいなかったらと思うと、あまりにも怖くて想像したくもないほどに。
「…なまえ、一緒に寝よう」
「いいけど、私にうつしても一緒にいてくれる?」
「一緒に病気になったら、もっと一緒にいられるかな?」
「そうかも?でも、みんな怒るかな」
僕が寝込んでいる時に君が側にいてくれるように、君が寝込んでいる時は僕が君の側にいた。それが当たり前だった。お互いがお互いを必要とするのが、分かっていたからだ。それでも、口に出して呼ばないと、ここにいることを確認しないと心配だった。だから僕達は、手を握ったりして、お互いに触れながら眠った。そうするだけで、すっかり怖くなくなるからだ。
「どこにも、いかないで」
「いかないよ。私はリオのところにいるし、リオも私のところにいなきゃ、だめなんだから」
「絶対だよ」
「ん、絶対一緒だよ」
あの頃の僕達は、ずっと二人一緒にいるんだと信じて疑わなかった。進学しても、大人になっても、年を取っても一緒にいるんだと思っていた。この数年後に離れることになるなんて、全く想像できなかった。
◇
「リオさん、もうお昼になっちゃいますよ、そろそろ起きましょう」
彼女の声が聴こえた。これは夢だ。絶対にそうだ。だって彼女が、今の彼女が僕を起こしに来るなんて有り得ない。練習に付き合ってはいるけれど、それ以外はそこまで会話はしないし、特別親しいわけでもないのだから。だとするとこの夢は、現実の彼女と昔の彼女との生活が混ざった内容なのだろう。そう思うと、この整合性の取れていない状況に合点がいく。
「リオさん、皆さん心配してますから、起きないと…」
いや、これが夢なら、少しくらい甘えてもいいんじゃないか。ずっと耐えていたんだ。夢の中だけなら、この気持ちを解放してもいいはずだ。
「ん…なまえ…」
近くにあった彼女の手を引く。その手を強引に引っ張り込んで、彼女の身体を腕の中にしまい込む。小さくて柔らかくて、懐かしい匂い。思わず頬擦りをして、彼女の匂いを思いきり吸い込んで、肺の中をいっぱいにする。夢の中のはずなのに、その触り心地も匂いもとてもリアルに感じた。
「…なまえ…すき…」
僕は無我夢中で、何かを伝えた。何を言ったのかは自分でもわからなかった。不安はなかった。ずっと暗闇の中にいた心の中は、晴れ渡るように清々しかった。夢の中なら、何をしても現実の彼女に影響はないのだから。
「…………」
彼女は何も言わない。そのかわりに、僕の背中に手を回してくれた。嬉しい。嬉しい。こんなに嬉しい気持ちは、いつ以来だろう。こんな風に腕を回してくれたのは、何年振りだろう。
「…なまえ…ずっと、いっしょ…」
これが現実ならいいのに。この夢が、ずっと覚めなければいいのに。君と一緒になれない現実になんて、本当は戻りたくないのに。
◇
すごく幸せな夢を見ていた気がする。こんなに心が軽いのは久しぶりだ。そんな気分のまま、ゆっくりと瞼を開くと、
「……え」
布団から煙が上がっていた。もしかして、寝ている間に感情が昂りすぎて発火したのか、と思ったが、顔や手は特に熱いわけではない、強いて言うなら、身体の方だろうか。恐る恐る視線を下げると、
「…………」
そこにいた彼女と目が合った。火照った顔で、目を潤ませながら此方を見つめている。何故自分のベッドに彼女がいるのかはわからないけれど、煙が上がっているのは僕ではなく、彼女だということがわかった。
「…だ、大丈夫か、今…」
僕はすぐに彼女の唇を自分の唇で塞いで、溢れ出しそうな炎を吸い取った。練習のお陰で、躊躇いなく口づけられる間柄で本当に良かったと思う。そうでなければきっと判断が遅れて助けられなかった。それに不謹慎だとは思うが、幸せな夢の続きのようにも思えて嬉しかった。
「…………」
「…平気か?」
「……お、おはよう、ございます…」
「…おはよう」
彼女と朝の挨拶をするのは、それこそ同じベッドの上でなんて、十数年ぶりのことだった。
聞けば、僕はいつもの起床時間に目を覚まさなかったらしい。昨晩の打ち合わせは長引いていたし、そのまま夜間の見回りにも出ていたのだから無理もなかった。様子を見にきた二人も、疲れているだろうから、と気を遣って声をかけなかったのだという。
そしてその後、朝食の支度をしていた彼女が目に入って、特定の時間に僕を起こすように二人が彼女に頼んだ、ということだったらしい。お前たち、後で覚悟しておけ。
「しかし、どうしてその、布団の中に入っていたんだ?」
「え、えっと…それは…」
「起こすだけなら、近くで声をかけるだけでも良かっただろう」
「……はい、すみません」
彼女は下を向いてしまった。強く言い過ぎただろうか。彼女は頼まれて僕を起こしにきて、それを実行しただけなのに、こんな風に叱られるのは確かに理不尽だ。脅かすつもりはなかったことを伝えなければ。
「ああ、いや、責めている訳ではないんだ。君はまだ完全に克服できた訳ではないのだから、もし僕が起きるのが遅ければ、大変なことになっていたかもしれない。自分の身は大事にした方がいい」
「…………」
やはり言い過ぎたみたいだ。顔を上げてくれない。怖がらせてしまった事実に胸が痛む。今後距離を置かれたらと思うと、すごく心配だ。それに、心配事はもう一つある。
「…それと、」
「…はい」
「その、僕は君に対して何か、していなかっただろうか…?」
僕に無意識の挙動が発生していたかどうかだ。眠っている間なんて、それこそ意識もないのだから、見て把握することもできないし、自制が効かない。彼女がいることを感じ取って、何かをしていたとしてもおかしくはない。しかし実際に意識がなかった僕が何をしていたかなんて覚えていないので、近くにいた本人に直接聞き出すしか、知る方法がなかった。
「い、いえ、そんな、大したことは」
「隠さなくていい、言ってくれないか」
「ほ、本当に、何も、ないので…」
目を合わせてくれなかった。どうも何かを隠しているような気がしてならないけれど、あまり食い下がるのは流石に不自然だろう。何があったのかは気になるが、ここは堪えて、せめて一連のことを謝罪しなければ。
「謝らせてほしい」
「だ、だから、何も…」
「ついさっきだって、怖がらせるつもりはなかったんだ。本当に、すまなかった」
「や、やめてください、私は、大丈夫ですから…」
謝りすぎるのも、余計に気を遣わせてしまうため悪手だった。さらに気まずい空気になってしまう。
「…あ、あの、お二人がお待ちでしょうから、私、もう行きますね…!」
居た堪れなくなったらしく、そう言って彼女はベッドから降りた。まだ回復しきってはいなかったようで、少しふらついた足取りで扉へと進み、逃げるように部屋から出て行った。僕は引き止めることもできず、彼女の姿が見えなくなった後になって、起こしに来てくれたことへの感謝の言葉を伝えられなかったことに気付き、後悔した。
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