唐松に寄り添って - 春風
鳴り響く警告音

視点:真田弦一郎


俺には遠山蘭という幼馴染がいる。彼女は今、中等部一年であるにも関わらず、家庭の事情で一人暮らしをしている。蘭は昔から男勝りな気質をしていたが、料理や洗濯、掃除以外…つまりは自分自身の体調や身嗜みなどに関わることについての生活力が、彼女は皆無なのだ。
幼い頃、お爺様とアイツとで登山へ行った時、蘭が山林の間をまるで猿のように枝から枝へとあちこちに飛び回っていたことを、俺は今でも鮮明に覚えている。あの時は本当に肝が冷えた。もしも万が一落下でもしたらどうするのだ。怒鳴り付けても全く言うことを聞かない蘭に対して、俺は幼いながらも思い切り裏拳をかましてやった記憶がある。


そんな俺は今、蘭の家の固定電話に電話を掛けている。今日は、一週間に一度の“電話の日”なのだ。これは、一週間の内の休みの日の内の最終日の夜──つまり学校が始まる日の前日と二人の間で決められていて、俺が蘭へと電話を掛けて彼女に近況報告をさせるという日であった。いつもであれば日曜に掛けているはずの電話ではあるが、今日この月曜が祝日である為に、俺は今電話を鳴らしているのである。


「……」


しかし、何故だろうか。普段から大した外出をしない蘭が、こともあろうことに、電話に出ないのだ。現在の時刻は夜の八時十分。彼女が風呂に入るのはいつも九時以降、普段であればこの時間は夕飯の支度をしているか、若しくは夕飯を食べているかのいずれかであるはず。けれど、今日は何故か電話に出ない。
虚しく鳴り響く機械音に、俺の胸には漠然とした不安感が広がって来た。……もしや、蘭の身に何かあったのでは。

すると、突如ガチャという受話器を取る音がすると同時に鳴り続けていた呼び出し音が途切れ、待ち侘びていた声が聞こえて来た。


『っ、もしもし、遠山です。遅くなってすんません』
「ッ!蘭、俺だ!…もしやお前、今帰ったのか?」
『そっすよ。一昨日から今日まで、いつものアイツが日本に来てたんで。空港まで見送りに行ってて、今急いで帰って来たところっす』
「そうか…ふむ、成る程な。だが蘭!お前今が何時だと思っておる!女の一人歩きは危険だと、いつもあれ程散々言っているだろう!」
『っ!弦一郎さん、電話口で怒鳴らないでって前も言ったじゃないすか…』
「む、すまん」
『あー、でも私もすんません。…たくさん、電話してくれたんすよね』
「当然だ!あと数回電話を掛けても出ないようであれば、お前の家へ走って行こうかと考えていたところだ」
『…すんません』
「もう良い。無事ならば何も言わん。ただ、これからはあまり心配を掛けてくれるな」
『はい』


今となっては携帯電話とやらでメールをすればいいのだろうが、蘭も俺も文明の叡智にはどうも疎く、好んでこの固定電話を使用しているのだ。


「ところで蘭、夕飯はきちんと食べたのか?」
『あー…今日はいいっすよ。昼にアイツといっぱい食べたんで』
「何だと?!全くお前という女は…!」
『しっかり風呂は入って寝ますってば』
「馬鹿者!女たる者毎日身を清めることは当然だろう!髪はしっかりと乾かして寝ろ、風邪を引いたら承知せんぞ!」
『うぃーっす』


俺はここ数年、蘭に女子らしく慎みを持たせなければ、という使命感に燃えている。これの幼馴染として、嫁に行くまでに恥のないようしっかり躾なければならぬ。…娘を持つ父親というものは、皆こういう心境になるのだろうか。

だが、このような関係も存外悪くはない、と思う自分もいるのである。しかしやはり、こう手塩に掛けて育てた女が己が元を旅立つと言うのは…考えると淋しいものがある。いっそのこと娶ってしまおうか。彼女を嫁にするとならば、より一層淑女としてのいろはをきちんと覚えさせねばならぬ。どちらにせよ、今後のことを考えるに、俺はこれからも蘭に世話を焼いてやるべきであろう。

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春風