唐松に寄り添って - 春風
幕は切って落とされた

視点:遠山蘭


切原に「親友になろうよ宣言」をされたその翌日。登校時間直前の下駄箱は、人が疎らだ。いつもの時間に登校した私は、自分の下駄箱を開けた。

その途端、息を呑んだ。


「……は?」


下駄箱の中が酷い状態と化していたのだ。
美術室で嗅ぐような独特の人工的な匂いが漂う。恐らく絵の具を使ったのだろう、赤く染められた上履きの中を覗き込むと、更に追い打ちを掛けるように沢山の画鋲が入っている。


「……」

随分と古典的なことだ、なんてまるで他人事のように靴箱を眺める自分に、何を呑気に!と少し喝を入れたくなる。けれど私は何も悪くないだろう。
弁償してくれる訳ではない癖に、考えなしに他人の物をその手で汚すなんて。買い直したとて同じことをされるのは目に見えているから、これからは暫く来客用のスリッパを使うしかあるまい。


「…チッ」

口からは思わず舌打ちが漏れる。なんて面倒臭いことになったんだ。


普通の女子生徒であれば、ここで泣くのだろうか。誰かに助けを求めて、泣くのだろうか――泣いたって、どうにもらならいのに。
そう思ってしまう私は性格が悪いのだろうか。確かに良くはないだろう。けれど、泣いたところで問題は何も解決しない。今までもそうだったし、それはこれからもきっと変わりやしない。

口が悪いとはこれでも流石に自覚はしている。がしかし、もうこればかりは直せないのだ。私は直情的なのだろうか。けれどアメリカではストレートに物を言うのが当然だった。





「…あざっした」


事務室から出て借りたスリッパを履いて教室へと向かう。すると、リノリウムの床がきゅ、きゅ、とスリッパを履いているせいですり足気味の私の合わせて身を捩るように鳴いた。登校時刻を過ぎてすっかり人気がなくなった廊下には、私の小さな足音だけが響いていて、教室から漏れる内容の聞き取れない会話や張り上げられた先生の声が、それを避けるように漂っている。

不意に足の付け根がブブブとこそば痒くなった。あー鳴ってるな、とは思ったけれど、面倒くさくて放っておいた。しかしそれでもブブブ、ブブブと震え続けるスマホがいい加減うっとおしく思えて仕方なく取り出すと、画面には“切原赤也”の四文字。彼が電話をして来た理由は分かりきっているけれど、今出ておかないと後で五月蝿いのは確実なので画面をタップして着信を受けた。


「はい、もしもし」
『あ、やっと出た!蘭!お前、今日どーしたんだよ?休み?風邪でも引いたのか?』
「あー、もうすぐ着くよ。寝坊してちょっと遅刻した」
『なんだよ、良かったー!風邪だったら帰りにお見舞いに行こーって思ってさ。じゃ、待ってるから早く来いよな?』
「はいはい」

電話を切って視線を落とすと、金文字で“来賓用”と書かれた臙脂色のスリッパが目に入る。


「…これを見て、ざまあみろと嘲笑う人がいるのか」


けれど、これを見て声を掛けて来る友人なんて、今の私にはいない。


私はここまでかなり沢山の女子クラスメイトから、“友好的な関係を築こう!”という旨のお誘い(「遠山さんとお友達になりたいな〜?」「蘭ちゃんって呼んでいーい?」「私たちのグループに入らない?」)を受けたことがある。ハートマークを飛ばしまくって言われたそれを断り続けて今日に至るわけだ。その誘いを断わり続けたのは、彼女たちが私を引き入れたがる理由が分かってしまった為である。

それは、典型的な自己陶酔だ。
人が善良な自分を他人に見せることによって周囲から評価され、その評価の高さに悦を覚えることは、この日本の学校社会であれば誰もが一度は通る道だろう。“いつも一人でいる孤独な子”というブランド、それは“話題性”へと繋がる。
そして、“孤独な子に優しくしている自分”と“孤独な子に好かれている自分”という肩書きが大切なのだ。“優しい子”であるという評価は、男子女子関係なく学校中に広がることになるし、仕舞には教師までもがその噂を知ることになる。その株は鰻登りに上がる──その快感が蜜のように甘いのは、皆が存じていることであろう。


「(…下らない)」


それらを、この一言で一蹴してしまいたい。何て下らないんだ。そんなにまで仮面を被って、息が詰まるというものだろう。気も合わない奴と共に行動して、一体何の意味があるんだ(…こんな考え方をする自分は、捻くれているのだろうか)。

だがそれに対して、この剥き出しにされた嫉妬という感情は、まだ可愛げがある方だと私は思う。この方がまだ幾分と人間らしいじゃないか。


ただ、こうも実害を被るとなると、話は別だ。私はこの現状を目の当たりにして、惚けていられる程に優しくはない。
──やられたらならば、やり返す。泣かすけど、泣かされてはならない──いつの間にか妙な対抗心が湧いてしまった自分を見て嘲笑う自分が、心の中の何処かにいる。

そうやって私は、自分を塗り固めるのだ。弱音なんて、吐いて堪るか。そんなもの、頭に浮かぶ前に捻り潰してやる。

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春風