唐松に寄り添って - 春風
幕は切って落とされた

視点:幸村精市


「精市っ!」


レギュラー皆で俺の教室である二年E組で昼食を食べ終えて、暫くした後のことだった。甲高い声が、俺の名前を呼ぶ。俺は内心うんざりしながらも、顔に笑顔を貼り付けて読んでいた本から顔を上げてそちらを見る。教室の入り口でこちらへと手を振るその女は、一応、俺の彼女だ。
すると彼女──一応名前は児島瑠璃香という──は、俺の方へと足を進めて来た。


「やぁ。僕に何か用かい?」


顔に笑顔を貼り付ける。今の俺はとても機嫌が悪い。俺の隣の席で雑談を交わしていた丸井とジャッカルがササッと教室を出て行こうとしたけど、一睨みして「ここにいろ」と圧力を掛ける。すると二人は、半分涙目になりながら再び席へと着いた。


「…精市。あの、何だか最近冷たくない…?」
「そんなことないよ。部長に就任してから、思いの外やることが多くてね。君も部長になってから、忙しいだろう?」
「それは、そうだけど…。でも、精市と話ができないのは、辛いもん…」

その会話が、俺にとっては微塵も楽しくないということに、この女は気付いていないのかな?全く、本当に嫌になるよ。“次期女子テニス部期待の部長”だとか呼ばれてテニスの実力もそれなりに有名だったから付き合ったけれど、彼女は予想外に中身の薄いつまらない人間だった。

世間一般的に言えば、化粧も完璧にするし(俺的には些か濃過ぎると思うのだけれど)身なりも今どきらしく派手だし、女子の間では顔が広いみたいだし。…けれど、テニスのせいで色黒の肌を、何とかファンデーションで塗りたくって、マスカラをふんだんに使って更にはカラコンを入れていることくらい俺にはお見通しだ。体型は…腹筋が少し人よりあるかな?ってくらいで、あくまでも普通。俺に言わせれば、彼女の化粧故の可愛さは俺の容姿には到底及ばないと思う。
それでも俺の彼女という位置に留まれているのは、女子テニス部部長という地位とその実力だろう。


けれど、いざ付き合ってみて、俺は幻滅した──女って、こんなもんなんだ。こんな下らない生き物なんだ。
そのままズルズルと続けている関係。だって俺が別れるとか言ったら、児島さんは勿論だけど、他の女がワイワイ騒ぎ立てて告白の嵐が起こるんだから。

初めてしたキスも、今となっては全く覚えていない。体の関係は未だに持っていないし、これからも持つつもりは微塵もない。彼女は持ちたくて仕方がないみたいだけれど、俺はそれを無視している。
それに、知らないうちに、俺が物凄いガッ付いているとかいうびっくりするくらいに出鱈目な噂まで流れているし。心外過ぎて何も言えない。俺からはキスすら一度も求めたことがないのに。多分、児島さん本人が流したのだろう…外堀から埋めていく作戦か。フフ、そんなの俺にはお見通しだよ。


「…ごめんね」
「それに精市、まだラブレター受け取ってるんでしょ?私がいるのに、そんなの酷いよぉ…」
「……」


それ、誰情報だよ。
ラブレターは、常に靴箱に入っていると言っても過言ではない。勿論直接渡されることもあるけれど、俺は一応それを受け取るようにはしている。だって、今まで頑張って来たんだ、こんなことで“優しい幸村くん”の評価を下げたくないからね。

でも、そんなことを繰り返すうちに、俺は皆とは少し距離を置かれるようになった。距離を置かれるって言っても、決して虐められるなんてことではなくって、俺は皆から“王子様”だなんて呼ばれて特別視されるようになった。だから本音を言うと、その“王子様”と付き合うだなんて、児島さんは良くやっていると思う…ある意味だけど、ね。
テニスでは“神の子”なんて二つ名を付けられているけれど、それは努力故の賜物だし、あんなテニスをする俺だから、別に文句はないし仕方ないとも思う。


こうして俺の“女”への評価は、著しく下がっていくばかり。その女の定義を見事根底から鮮やかに覆したのが、紛れもない蘭ちゃんだ。

あの小生意気な顔立ちは、化粧なんてまるで無縁だった。蓮二によると彼女は帰宅部らしい、だから肌もあんなに真っ白なんだろう。しかし、その顔立ちの通り──いや、顔立ちだけなら辛うじて可愛らしい女の子だと言えるだろう──顔立ち以上に、彼女は傍若無人で生意気で太々しい性格をしていた。毒舌にも程があると思うのだけれど、それが原因で他の女子の友達ができなくっても、そんなこと彼女は全く気にしない。


「ねぇ。今日の夜、私の家に来ない?それに、もし良かったら…その、泊まりに来て欲しいなって、思うんだけど…」


蘭ちゃんのことを頭に思い描いていると、頬を少し赤く染めた児島さんにそんなことを言われた。嗚呼、これが所謂お誘いってやつだよね。でも悪いけど、俺は君に性欲を抱くことはできないんだ…今も、これからも。
男として非情かもしれない。求めても抱かれないなんて、女のプライドってやつをズタズタに引き裂くのかもね。でも俺からしちゃ、そっちが悪いんだよ?付き合ってくれって頼まれた時に、俺が君に好意を抱くことはないと思うって予め断言しているんだから。


「…ごめん。今はそんな話をする気分じゃないんだ」


嗚呼、面倒臭い。

無性に、あの小生意気な顔を見たくなった。今の俺を見たら、彼女は何て言って一刀両断するんだろう?

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春風