唐松に寄り添って - 春風
反撃の狼煙は上がる

視点:遠山蘭



すると切原が、未だ涙袋に残るそれを手の甲でグイッと拭うなり、明るい声で私へと言った。


「なぁ、ずっとここにはいれねぇだろ?またアイツらが来たらイヤだし。俺ちょっとそこら辺の様子見てくるから、誰もいなかったらさっさとここ出るぞ。あ、お前荷物は?」
「あー、教室に置きっ放し」
「なら様子見てくるついでに取って来てやるよ!お前はそこぜってー動くんじゃねーぞ!!」
「はいはい」


私へとそう念を押した切原が出て行ってから、先程のことを思い出して考え込む。

ふと床を見ると、そこに何かが落ちているのが見えた。あれは──生徒手帳だ。
拾い上げて中を見ると、私へと鉄パイプを向けて来たあの女子生徒の顔写真が貼られていた。名前を確認すると“二年C組児島瑠璃香”と書かれている。どうやら相手は一つ上の先輩だったようだ。


「……ムカつくなあ」

自分のこの状況にだって、それは勿論少しは気に障る。だがそれよりも、切原を取り巻く環境についてだ。
彼に、自由はないのか。男子テニス部レギュラーだからという理由で、会話をする相手までもが制限されるものなのか。あの人達だって、確かに人間離れした所は多々あるのは否めないけれども、ただの学生だ。
そんなの間違っているとしか思えない。子供じゃあるまいし、自分の話し相手くらい自分で決めることができるだろう。

確かに私はいい人間からは程遠いかもしれない。けれど、アイツが私にとってとてもいい奴だということくらいは、私にだって分かる。


──自分が思っていた以上に、私は切原のことが大切になっているみたいだ。


「…ホント、呆れた」
「え?蘭、何か言ったか?」


するとそこに切原が色々と荷物を抱えて戻って来た。恐らく今から部活に行くのだろう、いつもの重たそうなテニスバックを肩に担いでいる。


「…さぁ、空耳じゃないの」
「そうか?あ、蘭、ほらこれお前の荷物な。分かんなかったから適当に鞄に詰めて来たけど。あ!それとこれ、俺のタオル使えよ」
「……ありがと」


そう言って自分のタオルを寄越した切原。…やっぱり私はもう、コイツとの友達を止められそうにない。

この時を境に、彼は私にとっての光になったのである。





「……でけぇな」
「そうだね、意外と大きいみたい。でもまぁ、着れないことはないかな」
「意外とってなんだよ!」

これは、私が切原のジャージに着替えからのそれぞれの感想だ。
切原から借りたジャージは、思っていた以上に私の体には大きかったのだ。切原もまだ成長段階だとは言え、一応は男だってことだろう。


「なら俺、家まで送るぜ」
「別にいいって」
「いいや、今日はぜってー送る。ほら、早く帰ろうぜ」
「別にいいってば」
「言っとくけど、お前が着てるその立海大テニス部ジャージって、ここら辺じゃ結構有名なんだぜ?それを女のお前が着てるってなって絡まれたらややこしいことになるかもしんねーじゃん?」
「…でも、アンタ部活は?」
「……副部長に、ちょっと遅れるって言ってくる」


そうだ。何よりも問題なのは弦一郎さんだ。
あの堅物が、理由も問わずに切原の遅刻を認める訳があるまい。


「ちょっとだけ副部長に行って来るから、そこで待ってろ──」
「赤也ァ!!そんなところで何をしている!」
「げ!真田副部長!」


するとそこに、芥子色のジャージを纏って黒い帽子を被り腕組みをして不機嫌丸出しの弦一郎さんが現れた。全く弦一郎さんめ、何てタイミングの良さ(悪さとも言う)だ。

すると彼は、切原の背後にいる私に気が付き、更に私が彼と同じ芥子色のジャージを着ているのを見て、その意志の強い漆黒の瞳孔を散大させた。目元はいつもの皺を伸ばすくらいにまで、大きく見開かれている。


「蘭、お前…」
「…あー、ちょっと制服にお茶を溢しちゃって、切原のジャージ借りたんです。別に大丈夫っすよ」
「……、そうなのか」


私のそれに、納得したのかどうかは分からない。けれど彼は、それ以来口をギュッと真横に引いてしまった。オロオロと慌てた切原が、その様子を伺いながらおずおずと私を家まで私を送って行くと言っても「……そうか」としか言わなかった。それを見た私は早足で、弦一郎さんの横を通り抜けた。


「(…バレたか?)」

元々、他人の素行にアレコレ煩い人だが、私に対するそれは何だか行き過ぎてる気がする。
実際、彼は融通が利かず悪く言えば頑固だ。しかしだからこそ正義感が強く、きちんと筋が通った行動をしている。だからこそ、彼にバレたらお仕舞いなのだ。正義感の強いあの人が、私へのこの仕打ちを受け入れ黙っていられるはずがない。

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春風