唐松に寄り添って - 春風
反撃の狼煙は上がる

視点:遠山蘭


「(…嗚呼、そういうことか)」


クラスでの話し合い。面倒に思い頬杖を付きながら話しを聞いていると、私がテニスに出るなんて全く心当たりのないことを言われた。けれど、直ぐに気が付いた。
──これがあの女テニ部長の言ってた“最高の舞台”とやらなのだろう、と。


これだけ好き勝手にされたんだ。相手の土俵で叩きのめしてやる方が、幾分か気分がいいってものだろう。





あの時引っ叩かれた頬は、何故か一向に良くならない。体の回復は人一倍早いのはずなのだが、自分が思っていた以上にかなり強い力で殴られていたらしい。湿布臭さにはもううんざりしているから、さっさと治って欲しいというのが本音だ。

そんなことを考えながら歩いていると、廊下の曲がり角で誰かとぶつかりそうになった。慌てて避けると、あちらもヒラリと何とも軽く身を躱して私を避けてくれた。


「あ、すんません」
「こちらこそ、ごめんね。少し考えごとをしていて──」

そう言って言葉を止めた相手の顔を見る。その相手は、確か幸村さんだっけ、弦一郎さんと同じ男子テニス部の人だった。
幸村さんは私の顔を凝視した。まるで幽霊かそれに似た類の何かにでも出会ったかのような、そんな酷い驚きようだ。


「…ああ、丁度良かった。蘭ちゃん、君に話があるんだ」


すると、まるで聖母のような笑みを浮かべてそう言った幸村さん。私に話なんて、恐らく弦一郎さんか切原のことについてだろう。そう思い余り深く考えずにそれに頷くと、彼は更にその笑みを濃くした。

その途端、私は彼に手首を掴まれた。その力が顔に似合わず案外強いことに、少し動揺する。弦一郎さんのような見るからに体格の良い男から繰り出されるのであれば分からないこともないけれど、男にしては華奢に思える幸村さんが、まさかこんな握力をしているなんて。


そんなことを考えていると、人気のない教室へと連れられて来ていた。


「…こっちを向けよ」

すると幸村さんは、先程までの柔らかいそれとは正反対の強い口調で言うと、何を思ったのか両手で私の顔を挟み込み、ぐいっと捻って正面を向かせた。当然私の視界に映るのは、幸村さんの綺麗過ぎる顔だけだ。幸村さんの指が頬へと食い込む。怪我をしている左頬がジンジンと痛い。


「…あの、離して欲しいんすけど」
「……君は相変わらず生意気だね」

そう言って眉を下げて笑った幸村さんは、少し乱暴な手付きでその手を離した。しかし、その目は全く笑っていない。


「誰に、何をされたの」


ゾクリ──顔に似合わぬ低い声に、背筋がぞっとする。この人、何てオーラを出すのだ。
そう言えば確か切原が「幸村部長って女テニ部長と付き合ってんだぜ?」とかって言ってたっけ。幸村さんが弦一郎さんを抑えて部長である理由が、今の今になって分かった気がした。


「…僕を目の前にして考えごとだなんて、いい度胸だね?」


すると考えごとをしていたのがバレたのか、幸村さんは今度こそその笑みを消して、私へジリジリと歩み寄って来る。私はそんな幸村さんに、本能的に危険を察知して同じくジリジリと後退りをした。

こんなこと。バラす訳には、いかない。
とうとう壁まで追い詰められた私、しかし幸村さんは未だにジリジリとその距離を詰めて来る。遂に彼は、私の顔の横へと手を付き、私の顔を覗き込んで来た。その澄んだ色素の濃い茶色の瞳に全てが見透かされていそうな気がして、胸がチリチリと痛みを訴える。


「…アンタには関係ないことっすよ」
「……ふーん?そんなこと言うんだ?」

何としてでも、この人には言う訳にはいかない。
私が唇を真横に引っ張って沈黙すると、幸村さんは私が何も口を割ろうとしないことを察したのか、ハァー…と呆れたように溜め息を吐いた。


「…もう、いいよ。ごめん、ちょっと手荒だったね。それに、干渉し過ぎちゃったみたいだ」
「……」

そう言い捨てて去って行った幸村さんの背中を、何となく見送る。


言いたくない訳ではない。だけれど、言う訳にはいかないんだ。
あっちから吹っ掛けてきた、公での喧嘩だ。私は、負ける訳にはいかないのだ。日本で初めてできたあの友達を、失いたくない。


「…私は、必ず勝つ」


──その言葉を、去ったと見せかけて物陰に隠れていた幸村さんに聞かれているとは、知らずに。

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春風