唐松に寄り添って - 春風
反撃の狼煙は上がる

視点:柳蓮二


「赤也!何だ今のショットは!」
「…すんませんッス」


遠山蘭が、ファンクラブの女子──それも首謀者の一人は、女子硬式テニス部の部長であり精市の彼女の児島瑠璃香で間違いないらしい──から、嫌がらせを受けている。
そう赤く充血した涙目の赤也から相談があったのは、つい昨日のことだった。

誰がどう見ても、アイツが部活に集中していないのは明白である。弦一郎に容赦なく恫喝されている赤也を横目に、俺は一人溜め息した。


「(早々に、手を打たねばな)」

赤也のプレイにも影響が出ている今となっては、早ければ早い程良いだろう。





下校時刻になり、遠山を下駄箱で待ち伏せをする。恐らくもうそろそろ遠山がここへ下りてくる時間だろう。
遠山の出席番号を探すと、そこは南京錠が掛けられていた。成る程、事務室に申請をしたようだ。賢明な判断だろう。

するとそこに、相変わらず生意気そうな顔をした遠山が鞄片手にやって来た。


「やぁ、お前と少し話がしたい。俺について来てくれないか」
「…別にいいっすけど」

一応俺の顔は覚えていたらしい。だがその反応を見るに、遠山は俺の名前をすっかり忘れているようだ。


「俺の名前は柳蓮二だ。…一度は自己紹介をしたのだがな」
「…すんません。人の名前覚えるの苦手で」
「気にするな。そうだろうと思っていたよ」


二人で並んで歩き出し、人の少ないであろう場所へと移動する。その間には微妙な距離が開いていて、まるで今の俺たちの間柄を示しているようで妙に可笑しくなった。


「では、早速本題に入ろう。…嫌がらせを、受けているそうだが」
「…切原が言ってたんすか」
「ああ。だが安心しろ、弦一郎には伝えてはいない」
「……どーもっす」

そしてこの彼女の愛想の欠片もない性格だ。こうなることは想像に容易い。


「…別に、気にしてないっすよ」


大半の女子から孤立させられても何処吹く風の、自他共にその神経の太さに定評のある遠山だ。か弱いという形容詞が何処の誰よりも似合わない。
だが、俺が思うに、彼女だって人間だ。少しは堪えているだろうに、こう強がる様は見ていられない。


「それは本心から言っている言葉か?」
「…私は元からの性格がこれなんで、別に大丈夫っすよ。結構慣れてるし、面倒だなって思う程度で」
「…慣れて良いものではないだろう」


俺という人間も、遠山程の生意気さは持ち合わせてはいなかったが、小さな頃から何とも鼻持ちならない奴であったと自覚している。


祖母と母が少女趣味なこともあり、姉と俺の二人は体の良い着せ換え人形のようにされた。髪型も艶やかさが生きるようにと姉は伸ばすようにと言われていたし、俺も身長が伸びるまでは禿のようなおかっぱにされていた。今思えばよくぞ抵抗しなかったものだ。今の俺であれば、流石に意思の主張くらいはしていただろう。
そんな髪型をしている男子は学校でもテニススクールでも俺くらいしかいなかったし、そのこともあり格好の苛めの対象になったのだが、俺自身好きでその髪型にしている訳ではなかったので、逆にそんな事で苛めようとする同級生が酷く幼稚に思えたものだ。

今思えば俺も髪型一つを相当気にしていたのだからやはり奴らと同じく幼稚だったのだろうが、その時は少なくとも自分より格下なのだと思うことによって、些細な事柄に傷付きやすい子供の酷く柔らかな自尊心を庇おうとしていたに違いない。


外見以外にも、俺が苛めの対象になる要素は多分にあった。皆が休み時間などで外に遊びに出る時、俺は日差しに弱かったせいで教室内で本を読んで過ごしていることが多かったし、更には成績も常に教員から名指しで褒められる程度には良かった。とは言え運動が苦手な訳でもなく、寧ろ体を動かすのは楽しく、体育の時間は模範技の指名を受けることも頻繁だった。
言ってしまえば学校の教科という教科は全て得意だったし、素行も良好な模範生代表のようなものだったのだろう。

しかしこの時の俺は意識してそれをしていた訳ではなかった。決して嫌味でやっているつもりではなかったのだが、同級生にはやはり嫌味に見えたのに違いない。
異物を排他しようとする人間の心理は、幼少期にも多分に発揮されるものだ。それは酷く小さな異物でさえも排除の対象に成り得るのだから、彼らにとって俺などは特大の異物だったのだろう。
最初は当然、目立つような苛めを受けた。それは無視だったり上履きを隠したり持ち物を汚されたりという、子供らしいとても小さなこと。勿論胸を痛めない訳ではなかったが、こちらが狼狽えれば相手を喜ばせそれを助長させるだけなのだと俺の人より打算の働く頭はそう判断し、さして取り合わなかった。


「…でも実際慣れてしまってるんで。この前は切原に助けて貰ったんで、大丈夫っすよ」
「……」


──そう言う今の遠山は、幼い頃の俺と似ている。
生意気な面構えは、一見すれば普通の可愛らしい女子のように見えるし(俺はその中身を知っているから何とも言えないが)、その肢体とて柔らかく早熟で何とも女性的なものだ。中一というまだ精神的に安定していない生徒からしてみれば、遠山という存在は格好の餌食だ。


小学校も高学年になると、そのうち皆は俺を完全な異質と認識したらしい。その頃にはもっと反応のある弱々しい子を苛めの対象にするようになり、斯く言う俺は畏怖に近い存在と認識され、他の生徒は近寄らなくなった。その頃になると、俺の庇われ続けたあの柔らかな自尊心は肥大し、近寄り難い存在でいられることに優越感すら覚えるようになっていた。
唯一その打算ら全てを抜きにして付き合っていた貞治とも小五の俺の引っ越しで別れることになり、学校の違った俺たちはその繋がりを失った。まぁその貞治は今、青学にいるということが分かっていて連絡も偶に取り合ってはいるのだが。


そんな俺だ。だからこそ、遠山を放っておきたくはない。だが、この遠山がそれに対してどう足掻こうとするのかは興味がある…自分でも趣味の悪い話だと思うが。

すると遠山は、静かな低い声で言った。


「ただ、思うのは……彼に、自由はないの?って」
「…自由?」
「一緒に過ごして会話する相手くらい、切原だって自分で決めることができるはずなのに」


それを聞いた俺は、遠山や赤也を羨ましく思えた。
そうだ、この二人は自分に素直に本能のまま生きている。打算なんて何ら必要もないと思えるその性格は、俺には到底真似できないものだ。

だが、それではこの社会は一人で生きて行けない。周囲の視線というものは付き物で、その評価とてその地位を確立するものの一部なのだ。つまり現在の立海大中等部でも、小さな社会として成り立っている以上、その打算なしでここを過ごして行くのは難しい。それを分かってしまっているからこそ俺は、遠山や赤也が不安に思えるのだ。


「…そう言うあなたたちだって同じことでしょ。常に周囲の視線に晒されてるじゃない」
「ああ、同じだ。だが俺はアイツと違って、割り切ることのできる質だからな」
「そう、あなたはね。だけど、切原はそれができない。時機にいつか…あの無邪気さが、己を貫く刃に変わる時が来る。あなただってそれは分かっているはずでしょ?世間はいい人ばかりじゃない」


しかし赤也と違って遠山は、全てそれを分かっている。全て分かっている上で、自分の思うがままに過ごしているのだ。


「……」
「だから私は…真にアイツを支えることができる、友達になりたいの」


最後にポツリとそう言った遠山。それは限りなく彼女の本心からの言葉なのだろう。
そんな彼女の姿に、俺は希望を見出した。──この女ならば、赤也を、この俺たちの環境を、変えてくれるのではないか?という、一縷の希望を。


「柳さん、一つだけお願いがあります」
「…俺にできることであれば、何でも」
「──テニスを、教えて欲しいっす。女テニ部長から試合を申し込まれました。私は、何としてでも真っ向から勝たなきゃいけない」


真正面から俺を見据えるその瞳を、美しいと思った。俺だけに向けられた瞳に少しの優越感を覚えながら、俺は小さく首を縦に振ったのであった。


──赤也、お前は良い友人を持ったな。
だが不覚にもこの柳蓮二、遠山蘭という女を欲しいと思ってしまった。計算高くはないが気の強い賢い女、この女こそ俺の好みのど真ん中だ。

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春風