唐松に寄り添って - 春風
衆目を集める一騎打ち

視点:第三者


「ま、まさか…」


ギャラリーは皆、その光景に総立ちし、震え上がった。


「ゲ…ゲームセットアンドマッチ遠山!6-0!」


審判である穂坂が若干震え気味の声でそうコールするものの、テニスコートはシンと静まり返ったままだ。
遠山蘭の勢いは全く衰えることなく、彼女はただただ相手コートへボールを叩き込み続けたのである。


「ふーん…つくづくつまんない女っすね。化粧の時間と私にちょっかい掛ける時間を練習に充ててれば、そんな惨めで無様な姿晒さずに、もう1ポイントくらいなら取れたんじゃないんすか?」


ネット越しで地面に膝を付き肩で息をする女子テニス部部長である児島瑠理香を見下し、蘭は容赦なく吐き捨てた。肩に担がれたラケットがなんとも生意気だが、どこか様になっている。
どこまでも人を踏み躙ることしかできない奴である。彼女は思いやりというものを母親の腹の中に置き忘れてきたに違いない。

瑠理香が息も絶え絶えに、蘭へと無い声を絞り出した。


「あ、あなた…初心者だったんじゃ、ないの…?!」
「テニスは初心者っすよ。ラリーも数回しかやったことないし、ラケットだってこの為に買ったんすけど」
「私ッ…努力して今の所まで上り詰めたのに…!」
「過去の努力も何も、今アンタが自分を驕り高ぶったからこの結果なんじゃなんでしょ。過去のアンタは今の私には関係ないし特に興味もない、私にとっては別にどうでもいい」


蘭は吐き捨てるようにそう言うと、地面に這い蹲る瑠理香を見据えた。相変わらず言葉をオブラートに包むということを知らない人間だ。


「…無様な惨敗っスね。手応えなさすぎて、私もいい気分しないや」

握手も求めずに蘭はコートを立ち去った。その足取りは何とも悠々としている。
瑠理香は、小柄ながらも途轍もなく大きなその後ろ姿を、いつまでも見つめていた。


──これじゃあまるで、どちらが悪者か分かったものじゃない。

審判を務めていた男子テニス部平部員である穂坂は、去り行く蘭の思っていた以上に小さな背中を見詰め、一人そう思ったのであった。





ラケットを置いた蘭は、ベンチへと置いていた切原から貰ったスポーツドリンクを手に取り、ゴクリと喉を鳴らして一口飲んだ。汗は余り掻いていない様子である。
この騒ぎの当事者である蘭がその場から動いたものの、それでも辺りは沈黙に包まれたままだ。

するとそんな空気を切り裂くように、コート外で試合を見守っていた切原が、ズダダダと足音荒く蘭の元へと走って行った。


「おい!蘭!お前テニスけっこーできるじゃん!」
「…できるも何も、ただボール見定めてラケット振っただけ」
「お前、そんな当たり前な言い方してるけどそれがテニスだからな!今度俺ともやろーぜ!」
「イヤに決まってるじゃない」


全く空気を読めない切原が蘭に話し掛けて、空気なんて微塵も気にもしない蘭がそれに応える。中々のコンビである。二人とも、人間としての要素が色々と足りていない。


「いいじゃんよー、俺お前のことチョー心配したんだぜ?それの礼だと思って、な!」
「心配しないでいいって言ったじゃない」

切原が蘭の頭をぐしゃぐしゃと撫で付ける。蘭はそれを避けようと軽く抵抗するが、決して邪険にはしないところを見ると、彼にはそれなりに気を許しているらしい。


それを境にギャラリーらは、先程の静けさが嘘のように騒めきを取り戻したのであった。
それでも尚切原と蘭の周囲には、一向に人は寄り付こうとはしなかった。





「…出鱈目なゲームメイクに乱雑な試合運びだったが、磨けば全国…いや──あれならば、世界にだって通用するだろう」
「…あぁ」
「……」


三強は揃って、未だに試合が終わった後のコートを見詰めていた。
そんな沈黙が支配する中、柳はここ約二週間蘭を教えた者として、真田と幸村にそう洩らした。真田は相槌を打ったものの、幸村は一点を見詰めて動こうとしない。

すると幸村が、僅かに震える声で言った。


「……ねぇ、真田に蓮二」
「む、どうした」


声を発した幸村を見遣った真田と柳は、思わずそれに瞠目した──幸村の瞳孔が、信じられないくらいにまで散大している。


「…彼女、今度の合宿に呼ばないかい」


未だ震える声でそう言った幸村に、真田と柳は二人揃って顔を見合わせた。そして、二人揃って悟った──彼が、これまでにないくらいにまで、蘭に対して深く興味を抱いたのだということを。


「…お前ならばきっとそう言うとだろうと思っていたよ、精市」
「うむ、異論はない。…男女は厭わず新しい世代を育てることとて、俺たちの役目だろう」

そう。それに彼女は、明らかに本気を出していなかった。何ともつまらなさそうな顔で、しかし瞳だけは爛々と輝かせ相手とそのコートを見据えて、ただただラケットを振っていただけだ。そのフォームや技術は優れていたと共に尚も多少の改善点は見受けられるものの、あれでは試合を楽しむことはできていないであろう。
女テニ部長と付き合っている幸村は、彼女の実力はある程度認めていたつもりではあった。だから、告白されて了承して付き合っていた。しかし、その彼女が、全く手も足も出ない結果に終わったのだ。興味を抱くのとて、当然のことと言えるであろう。


「…彼女のデータを、もっと集めたいものだ」


誰に言う訳でもなく、柳がポツリとそう呟く。


王者立海大。つまり全国で一番強い彼らに今足りないものは、“刺激”であった。しかしその刺激を、こう思いもよらない形で、他の誰でもない、それに同じ性別の“男”ではなく“女”の遠山蘭によって与えられたのである。


──幸村精市が、彼女である女子硬式テニス部部長をこっ酷く振ったという話が急速に校内へと広まったのは、その翌日の朝であった。

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春風