唐松に寄り添って - 春風
衆目を集める一騎打ち

視点:児島瑠理香


──まさか、私が。
私が、無名で初心者の女に、負ける訳がない。負ける訳がない、はずなのに。何で。

最後に向けられた私を白眼視するあの瞳がこちらを見る様子が忘れられず、私は体を縮み込ませて一人涙した。

恐ろしい。私は、あんな化け物を相手にしていたのか。私だってそれなりに強いはずだった。けれど、あの化け物は、爛々と輝く瞳で私の一挙一動を見詰めて、明らかに私よりも優れたテニスをしていたのだ。





あの悪夢の後、女テニの仲間の一人が私の腕を掴んで何とか立たせてくれて、教室へと戻ってたどたどしい手付きで何とか制服に着替えた。その時のことは余りよく覚えていない。ただクラスメイトが、更には女テニ部員までが私を遠巻きにしているのだけは脳裏に焼き付いている。

そして私はその放課後である現在、精市に呼び出されていた。


「やあ。…少し話があるんだ」


廊下に佇みそう言って口元に笑みを浮かべる精市に、私は嫌な予感しかしなかった。


「もう俺とは、別れてくれないかい」
「……」

私を人気のない校舎裏に連れて来るなり案の定、精市は冷ややかな口調で簡潔にそう言った。けれど、今の私には言葉を紡ぐことだけで精一杯だった。
ただ、女としての私を、精市が否定するのか。キスしてくれた精市、あれは全部嘘だったのかと思うと、自然とその理由を彼に問い掛けずにはいられなかった。


「……な、何で」
「…へぇ。それを、君が聞くのかい?」


全身を、ゾクリと寒気が襲う。今まで見たこともないような余りに冷徹な視線をした精市が、私を見下していた。


「…君ってさ、俺と付き合うまでも、沢山の女の子に対して嫌がらせをしていたみたいだね。まさか俺が知らないとでも思っていたの?俺と付き合い始めてからも、自分の気に入らない女の子にはそういうこと続けていたらしいね。そして挙句の果てには──遠山さんに暴力行為を働きかけたってことも、柳から聞いた」
「……」

侮蔑の念が込められた冷淡な視線に、思わず体が震えて泣きそうになる。そんな私を一瞥して、精市は鼻で嘲笑してみせた。


「…自分が悪い癖に泣くのかい?そういう奴って俺、一番嫌いなんだよね」
「ご、ごめんなさ──」
「俺に謝ってどうするのさ。まあ俺も、君との変な噂を流されたことには、多少なりとも憤りを感じているけど」


──全て精市は、知っていたんだ。知っていた上で、私にあんな虚像の微笑みを向けていたんだ。

それが分かってしまい、私の自尊心は粉々に打ち砕かれた。
もう何もかも、終わりだった。


「…もう限界なんだ。君の顔も二度と見たくないよ」


そう吐き捨てて私へと背中を向けて、さっさとその場から去って行った精市。精市がそこからいなくなると同時に、緊張から解かれたように全身から力が抜けて、その場にへたり込む。


──全ては、あの化け物の正体を見抜けずに、喧嘩を吹っ掛けてしまった私が悪いのだ。
思えばキスだって、いつも私から精市に求めてたっけ。そうだ。抱いてくれないかと思って誘っても、精市は一度も私の体に手を掛けてくれなかった。
精市は、初めから私なんて好きじゃなんてなかったんだ。


けれどそれに気が付いた時には、もう何もかもが既に遅過ぎた。





「…瑠理香」


その放課後、私はフラフラとした足取りで女テニ部室に足を運んだ。するとそこには、既にレギュラー全員が勢揃いして、私の方へ複雑そうな視線を向けていた。


「……その、瑠理香。し、試合、お疲れ様」
「あ、あの遠山ってやつ、案外強かったよね!初心者だなんて、絶対嘘に決まってるよね!」

態と出したような明るい声。いつもの私なら、それに乗っかって馬鹿みたいに騒いでいただろう。虚栄に虚栄を重ねて、笑っていただろう。
けれど今の私には、それをする気力さえも残っていなかった。


「私はあの試合、全力で戦った。でもっ…でも!私は、あんな無様に、遠山蘭に負けたのッ!!」


気が付いた時には私は、気狂い染みたようにそう叫んでいた。皆がシンと静まり返って、私を見詰めているのが分かった。


「…皆には、テニスを続けて欲しい。部長の座は、副部長の平野に任せる」


そう言って私は、荷物を適当に纏めて、部室を後にした。


嗚呼。私の青春は、ここで終わったのだ。
恋愛だってしたかった。精市に告白をオーケーして貰った時は、私が世界で一番幸せな女だとも思えた。毎日が花畑だった。
だけど、実際は何て様だ。


──その一週間後、私は女子硬式テニス部を退部した。そして同時に、立海大附属中学校も転校した。両親は五月蠅かったけれど、毎日泣きじゃくる私の様子を見て眉を顰めつつもそれを了承してくれた。
テニスを生き甲斐と言いながら怠惰な練習をしていた自分への、けじめのつもりだった。そして何よりも、逃げたかった。あんな化け物がいるなんて、聞いてない。

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春風