唐松に寄り添って - 春風
改革へ向けての出立

視点:仁王雅治


「あ、雅治!」
「…ちょっと今ええかの」
「う、うん!勿論いいよっ!」

昼休みの中頃の時間。俺は三年のとあるクラスへと顔を出していた。すると、数人で集まって話しをしとった女の内の一人が、高いソプラノの声で俺の名前を呼んだ。俺が教室に自分から足を向けることが少ないからか、むっちゃ嬉しそうな顔をしてる。他の女がキャアキャアと囃し立てる声を背中に、俺はソイツを連れていつもの空き教室へと向かった。


「ねぇ、雅治…今日はどうしたの?」

教室に入った途端、ソイツはとろんとした目付きで俺の方へと身を寄せてくる。…だが、すまん。


「──すまんけど、俺もう、おまんのことは抱けへん。今日は俺と別れて欲しいって思って、呼び出させて貰った」
「……えっ?ま、雅治、今、何て?」
「…俺と、別れて欲しいんじゃ」


俺が再びそう言うと、目の前のソイツは信じられないと言ったように、思い切り目を見開いていた。アイラインとマスカラで黒く縁取られたその目が、俺を映して絶望の色に染まる。


「な、何、何で?何でなの、雅治!私、何かした?」
「…いいや、おまんは何もしとらん」
「じゃあ何で!!イヤ!イヤよ雅治ッ!」

そう言って涙を浮かべて俺に縋るソイツ。一般的に見れば文句なしに可愛いって評価されるんやろうけど、今の俺はそれを抱き締められる腕は持っとらん。性格も文句なしにいい子やと思うし(ちょっと股が緩いんが玉に傷やけども)、俺になんか勿体ないくらいやとも思う。


「ねえ!!な、何で?!私が重たかった…?なら、抱いて貰うだけでもいいから、ダメなの…?」
「……すまん。俺が悪いんじゃ。ホンマに、すまん」

言葉少なく頭を下げる俺に、ソイツはその後何も言わず、ポロポロと大粒の涙を流してその場からバタバタと走り去って行った。

嗚呼、全部今までの俺が悪いんに。でも、それでも、こうまで胸が痛む。溜め息を吐かずにはいられなかった。





「ねぇ雅治ぅ〜!今日、私大丈夫な日なんだけど、家行っていーい?」


同じ日。廊下を歩いていると、見覚えのあるようなないような女が腕に絡みついてきた。ベタベタとしたその語尾を伸ばす声とそのキツい香水の匂いに、思わず眉間に皺が寄るのが分かる。
…コイツも、いつかの俺が抱いたんか。いつかの俺、趣味悪過ぎじゃ。いや、そのいつかの俺が悪いのは分かっとるんやけど。


「…もう、俺に触るな」
「……はぁ?」

俺が思わずその腕を振り払い冷たくそう言うと、その女はそのけばけばしい顔を見る見るうちに歪ませた。


「もう!!何よ?!意味分かんない!もう雅治なんて知らない!」

するとその女は鼻息荒くそう叫び、規定より遥かに短いスカートを靡かせて、足音荒く去って行った。

再び俺は思わず溜め息を吐いた。…もう、イヤんなるぜよ。





うーわ、最悪じゃ。俺はまたもや溜め息を吐いた。
その放課後、ある女を呼び出して別れを切り出しとったところ、まだ切れてへん女と鉢合わせ。嗚呼もう、ほんま最悪じゃ。


「アンタ、今さっき別れようって言われてたんでしょ?!ならとっとと別れて別の男に尻振ってればいいじゃない!」
「意味分かんない!何でアンタにそんなこと言われなきゃなんないの!!大体何よ!雅治がアンタみたいなまな板女にキョーミある訳ないじゃない!!勝手に彼女面してんじゃないわよ!」

目の前でなされる甲高い声と両者の下品な言い合いに、俺は頭痛がしてきて思わずそれを断ち切るように言った。


「おまんらいい加減うるさいぜよ。どっちもさっさと俺と別れんしゃい」

すると、次の瞬間。バチン!と派手に肉を打つ音がその場に響く。

──嗚呼。俺、叩かれたんか。


「…ッ!何よッ!!元はと言えばアンタか二股なんて掛けてるからこうなったんでしょう!今まで散々振り回しておいて!!アンタなんか、その内痛い目見るわっ!!」
「ふん!アンタなんて、私と別れてもっと不幸になればいいのよ!!より戻そうったって、もう知らないんだから!」

すると二人は、それぞれ反対方向に走って行った。
叩かれた頬が、ジンジンする。今まで何度も打たれたことあんのに。それこそ同じように別れようって言った女にも、真田からの遅刻やらサボりやらで受けた鉄拳制裁も。

断トツで真田の鉄拳の方が痛いはずやのに、頬の痛みは止もうとはしなかった。


「…不幸、か」

あんな酷いことしたんじゃ。俺なんか、ほんまに不幸になるかもしれんのう。


「…おや、仁王くん。今回はまた派手にやりましたね」
「……プリッ」
「フフ、私に誤魔化しは効きませんよ」

叩かれた頬をそのままに部室に行くと、ジャージに着替え中で上半身裸の柳生がそこにいた。すると柳生は俺の頬っぺたを見て、困ったように眉を下げて苦笑した。
何かさっきまでいっぱいいっぱいやった俺やが、そんな柳生の顔を見た途端、緊張が解けたみたいに涙腺がグッて緩んでしもた。


「悪いのは、全部俺なんじゃ…」
「……」

泣くな、泣くな。自分に言い聞かせて、唇を噛み締める。
そうじゃ、全部全部、俺が悪いんじゃ。分かっとる、分かっとるはずやのに、何でこんなに胸が痛いんやろう。


「…俺もう、こんな最低なこと、止める」

一度吐き出したら、止まらんくなった。言葉もやけど、涙も溢れ出してくる。悪いのは俺やって分かっとるのに、辛いし、怖い。


「でも俺、蘭ちゃんのこと好きじゃなくなったら、また、前の自分に戻ってまうかもしれんっ…!」
「仁王くん…」
「そんなん、イヤじゃ…。俺、もうあんな自分は、イヤなんじゃ。あんな自分には、戻りとうないぜよ…」

自分の口から、嗚咽が漏れる。嗚呼、気心知れとる柳生の前とは言え、何て情けないんじゃ俺。柳生かて、沢山忠告してくれとったやないか。それを無視して散々酷いことしやったんは、俺や。

すると柳生が、しゃがみ込んで目を抑える俺の肩にその手を置いて、いつもの静かなバリトンの声で言った。


「仁王くん、聞いて下さい。…あなたがそう思えているのなら、もう大丈夫ですよ」
「……ヒック、それ、ホンマか?」
「ええ、本当です。それにどうです、遠山さんの魅力は計り知れないものでしょう?あなたが遠山さんを嫌いになることなんて、この先ないと私は思いますよ」

そう泣き出した俺を宥めるようにそう言った柳生は、やっぱり俺の一番の理解者なんやと思う。渡されたハンカチが清潔なええ匂いがして、再び溢れ出した涙をそれで抑えた。


「…ヒック、やーぎゅ、協力してくれるんか?」
「それはどうでしょう?遠山さんは非常に可愛らしい女性ですからね。私も好意を抱いてしまうかもしれません」
「プピーナ?!」
「…ふふっ、冗談ですよ」

俺を叱咤激励する為にそう言ったのか、はたまた本気なのか。でも今は、どっちでも嬉しかった。


「ほら、仁王くん。早く着替えないと真田くんの鉄拳制裁が待っていますよ?」
「……それはイヤじゃ」
「それに、遠山さんももう既に来て仕事を始めています。相変わらずの仕事ぶりです、先程は洗濯籠を二つ担いで洗濯機までダッシュしていましたよ」
「ククッ、ホンマ蘭ちゃんは面白い女の子ぜよ」
「女性として如何なものかと思い手伝おうとしたのですが、あっさりフラれてしまいました」
「…柳生、その言い方止めんしゃい」
「ふふっ。…それに彼女は救急箱も用意していましたよ?」
「ッ!し、湿布貼って貰いに行ってくるぜよ!やーぎゅ、ありがとさん!」

制服を脱ぎ捨ててユニに着替えて、部室を飛び出す。抱えたクーラーボックスをコートの脇へ置こうとしている蘭ちゃんの姿を見付けて、全速力で駆け寄った。


「蘭ちゃん!頬っぺ手当てして!!」
「…それ、どうしたんスか」
「ぶつけた!!」
「…どこに」
「壁に!!」

恋敵は、案外身近にいるのかもしれん。それに、コートの反対側から「仁王!遅れて来るとは全くたるんどる!」とか何とか言っとる真田の声が聞こえた気がする。
それでも、何だか気分は良かった。

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春風