鬼滅の刃 - 春風
悪夢

──三年もあれば、人は変わる。子どもも変わる。
身体が成長する。精神も成長する。知識を身に付ける。

一頭寒い冬の日とある日のことである。
凍えるような寒さの中、私が買い出しから帰宅すると、土間に高級な漆塗りの高下駄が並んでいた。鼻緒も綿の芯を織物で巻かれており、華やかだ。どうやらこの家には珍しいことに来客らしい。

「何と、何と何と…!!それはありがたい!!是非持って行って下さい!」
興奮のあまりか、上擦った父の声が聞こえる。私は恐る恐る、土間へと足を踏み入れた。

「お、帰ってきたようです!泉、泉!こっちへ来なさい!!」
父の笑顔など、久し振りに見た。

──嫌な予感がする。
本来であれば良いものであるはずのそれは、私にしてみれば気持ちの悪いものでしかなかった。


「こちらは、荻本屋の遣手婆様だ」
「泉、お前は明後日からこの方に買われることになった。ありがたく思うことだね」

私は、我が耳を疑った。


「……」
「こら!!返事をし!!」



「全く、出来損ないで申し訳ありません!!申し訳ありません…!!」

呼吸が苦しくなる。


「やはり、美しい」


「この子は絶世の美女になります。きっと、将来は吉原一の花魁にもなれます。ええ、ええ、私の見立ては間違いありませんでした」

「その…これが稼いだお給金を、こちらに送って頂くことはできるのでしょうか…?」
「…ええ、もちろんにございます」
「おお!それは素晴らしい!!」

呼吸が苦しくなる。


必死で拳を握り込む。
──深呼吸をしろ。腹の底から湧き上がるこの怒りを抑えろ。感情の制御をしろ。


*****

遣手婆が帰ってから、私は自分がどうしたのかは覚えていない。夕飯の準備をする為に、火を炊き釜を乗せる。
味噌汁の出汁の味見をしたが、私の舌は何も感じ取ることはできなかった。

「泉、お前、ちゃんと稼げよぉ」

「見目は良いんだから、お前なら俺らが一生働かずに暮らせるだけの金は稼げる」


「でも…まァ、お前も経験くらい、必要だよな?」


──何故、こんな虫螻共のために。

何処かで、何かがプツンと切れた音がした。

「触るな」
父の体を突き飛ばす。予想だにしていなかったのか、父の体は意外と簡単に吹き飛んだ。目を吊り上げた父が、両腕を振り上げて私へと掴み掛かって来ようとした。

重量のある鍋を振り被る。中に並々と入った煮え滾る熱湯を、父の顔目掛けてぶち撒けた。


「ッ、ギャアアアアァァアアアアアアァ!!!」
魚屋のおじさんに借りて読み耽った物語に描かれていた断末魔の叫びとは、きっとこのことを指すのであろう。赤く焼け爛れる肌に喚き叫ぶ父を、私はジッと見つめた。これは、まるで──地獄絵図だ。

「煩い醜い。気持ち悪い」
こちらに向かって手を伸ばしてくる父の腹を鍋を振りかぶって殴る。思った以上に力が入っていたらしく、父の体は障子を突き破って体をくの字型に折り曲げたまま飛んでいった。

「あなたにどう思われようと、何を言われようと、私はもうどうでも良い」

「あなたみたいに酒に溺れ暴力を振るう何も産み出さない不要な人、この世から消えてしまえばいい。消えろ消えろ消えろ。少なくとも私には必要ない」


「泉!!すすす、すッ、すまなかった!ゆ、許してくれ…!!」
「……許す?何を言っているの?」
首を傾げる。



「私は別に怒ってないもの」
「!!じ、じゃあ、許してくれるのか…!!」
「──あなたは私に必要ないの。だから、消えて」

鍋を振り乱し、殴る。殴る。殴る。
気が付けば、父であったものは全く動かなくなって、畳に横たわっていた。
ガタン!!音がした方向を見やる。外出先から帰った祖母が、目を剥き口をあんぐりと開いて、腰を抜かしたかのように土間にへなへなと座り込んでいた。私を指差すその手は、ガタガタと恐怖に震えていた。


「ア、ァァア、ア、アンタ…!!な、何てことしたんだい!!!」
「いらないから、消したの」
そう言うと、父と同じように目を吊り上げた祖母は勢い良く私へと掴み掛かって来た。

「ば、化け物ォオオ!!!あの子を返せ!!あの子を返せぇええええ!」
喚き散らす。

「お前なんか!!あの出来損ないの嫁が出て行った時にでも、さっさと殺しておけば良かった!!!」
「あなたも不要な人だわ。散財するばかりで何も産み出さない」

「大丈夫。あなたを殺してすぐに私も死ぬから、安心して」


部屋を見渡す。酷い有り様だ。

親殺しをした私はもう罪人だ。役人から追われる身なのだ。もうこの町にはいられない。

土間に深く穴を掘り、その穴の奥底に二人の死体を埋める。荷運びで鍛えられた足腰がこんなところで役に立ってしまうだなんて、思ってもみないことであった。墓を掘る気には、到底なれやしなかった。

親切な魚屋のおじさんだけには、
でも、万が一手紙が他人に見つかってしまえば、覚えたばかりの「ありがとう」という、感謝の意を示すという言葉──たった一言だけ書いた紙切れを、摘んだ花と一緒に店の裏口に置いておいた。

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春風