黒髪のウィーズリー成長記 - 春風
ハロウィーン

ランは、天文塔へと続く一番下の階段に腰掛けて小さく蹲っていた。膝を抱えた腕の中に、顔を埋めている。
あの場から走り去ったランは、自分がどこに向かっているのかも分からないまま、何かを振り払うようにただただ廊下を走り抜けた。例えすれ違ったゴーストを通り抜けようが、例えピーブズがランへ向かって大量の水風船を投げ付けて来ようが、決して立ち止まることはなかった。
漸く辿り着いたのは、ホグワーツで最も高い位置にある塔で天文学の授業の際にしか立ち行ってはいけない、誰もおらぬ静まり返った天文塔であった。普通の生徒であれば怖くなるような暗闇ですら、今のランにとっては、酷く落ち着く心地の良い場所であった。冷ややかなる夜風が吹き込み、涙で濡れたランの頬を撫でて、ローブを揺らした。

「…ここにいては風邪を引きますぞ」

何故、ここが分かったのだろう。ランはそう思ったが、それを尋ねる気力すら、今はなかった。

「…ごめんなさい」
「……」
腕に顔を埋めたまま上げようとしないランに、スネイプは眉を顰めた。

「…ミス・ウィーズリー。私の言うことが聞こえなかったのかね」
「いいえ、聞こえています。…ごめんなさい」
ランは顔を下に向けたまま、ごしごしとロープの袖で顔を拭った。同年代の女子に比べて見目を全く気に掛けないランとて、教員に対してこんな悲惨な泣き顔を晒すことは気が引けるのだ。
ランは漸く腕の中から顔を出したが、まだ俯いたままだ。

「…私だって、先生からしてみれば寮を抜け出した生徒には変わりないのに、同じように心配を掛けたのに…ごめんなさい」
ランは、静かに涙をポロポロと落としていた。噛み締めた唇からは、じんわりと血が滲み出ている。
その子どもらしからぬ泣き方に、スネイプは眉を顰めた。

先生にとってはどうでも良いことだろうにと、ランは頭では分かってはいたが、一人、まるで懺悔するかのように言葉を紡いだ。

「今まで私、あんなにロンに怒ったことないんです。それどころか…誰に対しても、怒ったことって、ないんです。良いお姉ちゃんでありたかったし、家にとって良い子でいたかったから。でも、もう……壊れちゃったかもしれないわ」

スネイプの前だというのに、敬語すら忘れてさめざめと泣くラン。絶望感漂うその様子は、ただの子どもの喧嘩の一言では片付けられない何かがあることまを、彼は感じ取った。──ダンブルドアが憂慮していたことは、これであったか。

スネイプは、ゆっくりと口を開いた。
下らないと一蹴されるだろうか、ランは俯いたまま唇をより一層に噛み締めた。


「──きっと、完璧な失神呪文であったのだろう。あのトロールは、完全に意識を失っていた」
「!!」

ランは漸くまともに顔を上げた。スネイプの陰鬱だが静穏とした瞳と目が合う。涙で濡れた澄んだ瞳と月光に照らされ濡れた白い頬に、スネイプは顔を背けたが、そのままゆっくりと続けた。

「君が勤勉であったからこそ、あの混乱した場で冷静に状況を判断できたからこそ…今のあ奴らの命があるのだ」

今度こそ、二人の目線がしっかりと交差した。その表情からは何の感情も読み取れやしないものの、吸い込まれるようなその黒曜石の闇の瞳と優秀と知ったる教員からの評価は、ランの荒れ狂った大荒れの波模様のような心情を、石が落とされた後の水溜まりの波紋の如く鎮めた。
スネイプが音もなく杖を振るう。妙な感覚にランが顔に手をやると、唇の血は止まって、傷口も塞がっている。頬を滴っていた涙も、乾き切っていた。


「先生、一つだけお尋ねしても宜しいですか?」
「…手短に済ますように」
「何故、ここに来て下さったのですか」
部が悪い質問かと思われたそれに、スネイプは当然のように淀まず言った。

「あ奴らの無謀さは、私とて甚だ遺憾であり、君の怒りも大いに理解できる。…彼らにとっては良いお灸になったであろう──教師としては、君に礼を言わなければと思ったまでだ」

それを聞いたランは一瞬唖然としたが、直ぐにくすくすと笑った。こんな冗談をこの先生の口から聞けただけで、明日からも変わらず笑える気がした。

「だが、君とて危険なことをしたことには変わりはない。…マダム・フーチから、君がハッフルパフの女子生徒を助けるために、箒を飛ばしたと聞いたが」
「…はい、それも事実です」
「君とて周りに心配を掛けている。それを頭に置いておくべきだと、私は思いますな」
「はい、分かりました」
スネイプの静かな注意に、ランは素直に頷いた。

「だが、身に降りかかった危険を覆すその勤勉さと冷静な判断力に、私からも十点を送ろう。…早く寮へと帰るが良い」

そう早口で告げるなり、スネイプはその身を翻して、階段を滑るように駆け下りて行こうとした。ランは暫く反応が出来なかったが、スネイプが姿を消す前に漸くその口を動かすことができた。

「あ、あの!…ありがとう、ございます」

ランの声にスネイプは一度立ち止まったが、特に何も反応することなく、その場を足早に立ち去った。遠ざかるその背中を、ランはジッと見つめた。そしてランは、スネイプの去った方向に深々と一度頭を下げて、西の塔へ続く帰路へ足を向けたのであった。
──その頬には、もう涙はなかった。


- 続 -

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春風