黒髪のウィーズリー成長記 - 春風
クィディッチ

ランはグリフィンドールの夜の宴会にも誘われたが、流石のランとて他寮のそれに参加できるほど神経は図太くはない。

レイブンクロー寮へと向かって廊下を早足で歩く。もうこの廊下も随分と慣れたものだ。肖像画の中の見慣れた魔法使いや魔女達が、ランに向かって和気藹々と話し掛けてくる──朝の散歩の良い影響は、こんなところにもあるのだ。

ランははたと立ち止まった。とある人影が見えたのだ。

スネイプだ──脚を剥き出しにして、その傷を確認している。
ランは思わずはっと息を呑んだ。ハリーの言っていたことは事実であったのだ。

視線を感じたのであろうか、スネイプはバッと顔を上げる。そして視線の主がランであることを確認すると、ガウンを降ろして脚を隠した。

「…こんばんは」
ランは恐る恐る挨拶をしたが、スネイプは無言でその身を翻して立ち去ろうとした。しかし、傷口が酷く痛むのであろう、その脚は前にランが見かけた時よりも更にずるずると引き摺られている。ランは思わず声を掛けた。


「…肩を、貸しましょうか」
「消灯時間が近いですぞ。早く寮へと戻れ」
スネイプは即座に断ったが、ランはそれを無視することはできなかった。

ランはスネイプの行く手へと回り込んだ。かなり驚いたのか、スネイプは瞠目した。
ランは普段は聞き分けの良い生徒である。だからこそ、教師の指示に反対した行動を起こす訳がないと思われていたのであろう。

「いいと言っているだろう!」
「いえ、肩を貸します。私、こう見えても普段から鍛えているのでヤワじゃありません。先生を担ぐことだってできます、ご遠慮なさらず」

意思の強い有無を言わさぬ瑠璃色ラピスラズリの瞳に、スネイプは押し黙らざるを得なかった。何故なら、ランはいざとなったらスネイプを担いで送り届けようとさえ考えているのである。そんなことは、教師以前に男性としてのプライドが流石に許さないのであろう。
ランは同年代の生徒から比べてはかなり身長が高かったが、大の大人のスネイプと比べてしまっては流石に小さく、少し肩を組みにくい。何とか組むと、ランはスネイプの顔を見上げた。

「!!」

思いの外顔が近いところにあって、ランは目を大きく見開いてパチクリと瞬いた。スネイプの大きな鉤鼻とランの小鼻の小さいツンと尖った鼻が今にも触れそうな程近くにある。ランが顔を逸らすより早く、スネイプが横を向いた。

スネイプの真っ黒な蝙蝠のようなローブからは、様々な種類の薬品が染み込んだような匂いがした。ランはこの匂いを嫌いではないと思った。さらに言うなれば、どこかで嗅いたことのあるような匂いだとも感じた。

「先生、どこに行きますか」
「………地下牢だ」

低い声でまるで唸るようにそう言ったスネイプに歩調を合わせて、ランは階段をゆっくりと降り始めた。

*****

地下牢に辿り着くと、スネイプはそのまた更に奥の部屋へと向かった。その部屋の扉を開くと、スネイプは自然とランの腕を外した。
どうやら魔法薬学の準備室のようだ。

手持ち無沙汰になったランは、その部屋を不躾にならない程度に視線だけで見渡した──どす黒い色や蛍光色のように様々な色をした魔法薬の入ったクリスタル製の瓶や、大量に積み重ねられて今にも崩れてしまいそうな羊皮紙の束、数えきれない程の分厚い書物が所狭しと並んでいる。
一向に無言のままスネイプは椅子に座った。ランは思い切って尋ねてみることにした。

「…それは、咬み傷ですよね」
「……」
しかし、どうやらスネイプは無言を貫くことにしたらしい。それに構うことなく、ランはそのままスネイプの暗い目を見て続けた。

「…魔獣の傷に魔法は効きにくいとは知ってはいましたが、本当なのですね」
「……」
「そんな危険な生物が、このホグワーツにいるのですか」
「……生徒には関係のないことだ」
ランの視線に耐えられなくなったのか、スネイプは立ち上がり、片脚を引き摺りながら歩いた。

──ランには、とある懸念があった。これに関しては、友達の誰にも相談などできやしない。

「私の弟たちが…また危ないことに首を突っ込もうとしている様子なんです」
「……」
「先生方も、既に気付く人は気付いていらっしゃいますよね。例えば──校長先生」

ランは、勘付いていた。たかが一年生の生徒が、三頭犬のいる四階の禁じられた廊下に入ったことを、ダンブルドアともあろう人が見逃すはずがない。その侵入者が手練れの闇の魔法使いであれば話は別であろうが、今回の相手は彼等教師からしてみれば精々ひよっ子である、それくらいの監視の目は行き届いているはずだ。
だからこそ、それを見逃している理由が、ランには全く分からなかった。その危険な行動を注意して多少痛いお灸を据えて貰った方が、ランとしては気が楽であるというのに。

シューというお湯が沸く音が地下牢に響く。スネイプは何か作業をしながら、ランの方を見ないまま低く言った。

「…校長は忙しいお方だ。生徒に構っている暇はないのだろう」
「例え、それが命に関わる程の危険だとしてもですか」
「くどいですぞ、ミス・ウィーズリー」
スネイプは振り返った。ここでスネイプは初めてランの目を見た。そして──その瑠璃色ラピスラズリの瞳が不安げに揺れ動いていることに、彼は漸く気が付いた。

「私には分からないです。…彼らは、危険だと分かりきっていることに、何故自ら首を突っ込もうとするのでしょう」
「……」
スネイプは沈黙を保った。ランは続けた。

「まさか、自分自身の好奇心を満たすため?そんなもののために、命を危険に晒すのでしょうか」
暗にスネイプの脚の傷のことに触れて来るランに、スネイプは気付かないふりをした。

「……ごめんなさい、先生には何も関係のないことですよね」

ランはスネイプに頭を下げて、この地下牢から立ち去ろうとした。

コトンと言う陶器の音に、ランは顔を上げた。ランの目の前に繊細な作りのマグカップが置かれている。茶葉の深い香りが、ランの鼻腔を擽る──とても良い匂いだ。


「…アールグレイだ」
「!!」
「生憎砂糖は切らしておりましてな。嫌であれば飲まずに帰りたまえ」
「……ありがとうございます。私、甘いものは苦手なので、嬉しい」

ランはゆっくりと小さな椅子に座り、早速口を付けた。凍えていた体が、芯から温まっていく──とても美味しい。茶葉も去ることながら、その淹れ方が非常に良いことが分かる。

「……」
そんなランをチラリと確認するように見て、スネイプも同じように紅茶を啜った。

「私もそれに関しては同じ意見だ。ポッターは、英雄気取りの傲岸不遜なただの目立ちたがりだ」
「……」
それに関してはランとて思うことがあったが、ここで発言はしないでおこうと口を閉じた。スネイプのハリーに対するそれは、多くを知らないランからしてみても、明らかに私怨が含まれていることは、彼の様子からして明らかである。


「──それが、グリフィンドールがグルフィンドールたる所以ゆえんなのだろう。…私もスリザリン出身だ、そうとしか言えん」

酷く抽象的ではあるが、それがどういうことであるのかはランには良く分かった。

「寮が違えば価値観も違う。我々は所詮、互いに理解し合えぬ間柄だ」
ランはその言葉を理解すると同時に、胸が縛り付けられるような感覚に捕らわれた。


「私はレイブンクロー生だから、分からないのでしょうか。私も──ウィーズリー一家の娘なのに」

自分自身で言ったことにもかかわらず、目の前が真っ暗になる感覚というものを久し振りにランは味わった。手足や唇が小刻みに震える。カップの中の琥珀色の液体が波紋を作り大きく波立つ。ランは慌てて震える手を抑え込み、カップをソーサーにゆっくりと置いた。
様子のおかしいランに、スネイプは直ぐに気が付いた。

「……誰かに、何かを言われたのかね」
「…ッ、」

瑠璃色ラピスラズリが再び僅かに揺らぐ。その覚束ない揺らぎを、漆黒は離そうとはしなかった。
スネイプの視線がランを射抜く。ランは、重たい口を開いた──今の今まで、家族や友人の誰にも話したことのないことだ。


「──私は、本当にウィーズリー家の子どもなのでしょうか」
「!!」

つまりランは、自分がロンとは双子ではないと──ウィーズリー一家の子どもではないと、考えているのである。

ランができるだけ両親に迷惑を掛けない良い子でいようと決意したのは、一体いつ頃であったのか、ラン自身も正直に覚えていない。だが、今となっては思うのだ。きっとその時、自分が心の何処かでそう決心したに違いないと。

「それからずっと、私の頭の中にしこりがあるんです。……ずっと」
そう、これは憶測に過ぎないのだ。だが、ランは自分自身の勘にはある程度の自信がある。当たっていて欲しくないという気持ちの方が無論大きいが、それが事実であるとすれば、そう簡単に済まされる話ではないということも察していた。

「その件に関して、ご両親を問いただしたのかね」
「……そんな勇気は、私にはありません」
その答えを冷静に聞けるような自信はランとてない。ランは十一歳には思えない程にしっかりとした子どもであるが、未だそこまで大人ではないのである。
すると、スネイプがランの目をしっかりと見て、ゆっくりと言い聞かせるように言った。

「よく考えろ──壁を作っているのは、お前の方ではないのか」
「!!」

ランの目が見開かれる。
目の前の霧が晴れたような、今まで悩んでいたことがまるで嘘のように、ランの目の前に広がる暗雲が切り開かれたような気がした。

盲点であったと、ランは感じた。物事は、見方を変えると全く異なるものが見えるということを、ランは改めて思い知った。しかし、それと同時に、ランは自分自身が家族──特に母であるモリー対して、どれだけ残酷なことをしていたのであろうかという懸念も浮かんできた。物心の付いた子どもの頃から、ランは無意識に自分自身を守ろうとする余り、家族へ心を開き切ってはいなかったのだ。意識はしていなかった以上、ランとて具体的なことの全ては分からないが、思い当たることはいくつかあった。
母が、我儘を言わない自分に対して、眉を下げて笑っていたこと。父が、他の兄弟には内緒でこっそりと何かを買ってあげようと言ってくれた時に、自分はいいのだと断っていたこと。

「…ありがとう、ございます」
ランは、ゆるゆると眦を下げて笑った。何か憑き物が落ちたような、吹っ切れたようにすっきりとした顔をしている。

「スネイプ先生は凄いですね。正しい方向へと導いてくれる…そんな気がします」
「……私はこれでも教師だ。当然のことだろう」
居心地悪そうに視線を逸らすスネイプに、ランはより一層に破顔して、静かに紅茶を飲み干した。そんなランの様子を、スネイプはどこか穏やかな眼差しで見つめていた。

「…早く寮へと戻れ、私の方からフィルチには伝えておく。尤も、お前ならば得意の身のこなしで撒くことができるであろうが」
「…それこそ、買い被り過ぎですよ」

ランがおかしそうにクスクスと目を細める。
そこでランは、思いがけぬ光景に瞠目した──スネイプが、頬を緩めて微かに笑ったような気がしたのだ。


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春風