とある訓練兵Aについての周囲の考察 - 春風
地味で無口なあの女の子

今日の午後は、久しぶりの休暇だ。訓練兵にとっては滅多にない、“自由”という甘美な響きのもたらす至福の時間。与えられた時間を、それぞれ皆が思い思いに過ごすことが出来る。
読書に勤しむも良し、内地に出掛けて貯まった給料を使い果たすも良し。時間を気にせずに寝こけて体を存分に休めるも良し、友人と下らない雑談をするも良し…。

こうして例を上げてみる限りあくまでも何気ない日常風景のようだけれど、兵士である僕等にとっては、何よりも大切な、遠いものだ。過酷な日々の訓練を挫折せずに乗り越えることが出来るのは、こうして偶に訪れる安らぎという希望の存在があるからである。

けれど、どちらにせよ現実を見なくてはならない。一時の快楽も良いけれど、僕は…現実から目を逸らしてまでその快楽に身を委ねようとは思えない。
そこで僕は、教官から出された課題を終わらせる為に図書館へと足を運ぶことにした。


「どちらにせよ、課題は終わらせないといけないし…」


課題が早く終わったら、いつものようにエレンやミカサと下らない話をして過ごそうかな。
そう思った自分の頭を、その十数分後に叩きのめしたいと思うことになるとは、いざ知らずに。


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図書館の扉を押し、中に足を踏み入れる。それと同時にフワリと古紙の匂いが漂って来る。
この独特な匂いも、随分と嗅ぎ馴れた。それに伴って、試験日の前日以外には大抵誰もいない備え付けの机だって、見慣れた光景だ。

けれど、すぐに違和感を感じた。


「(あれ……?)」


微かながら、人の気配がする。サッと図書館の中を見渡してみる。そして、入り口から一番離れた席に目をやって、思わず目を瞬かせた。奥の席に、誰かがいる。

その人物は、開いた分厚い本の内容をせっせと手元の羊皮紙に写し取っているらしく、その視線を落として首を左右に行き来させている。ペンを動かす手を止めてペラペラ―…と本のページを捲る。そして新しいページを開き、その本に視線を落としたまま思案するようにジッとその内容を読んでいた。


「ぁ……」


横顔を見つめて、その人物が誰であるかを理解した僕が発した、小さな声。それは聞き取れるか聞き逃すかとの境目くらいの大きさだったけれど、静寂が支配する図書館ではその声がやけに大きく響くのは当然のことだった。
僕の声に気が付いたのか、その人物がパッと勢い良く顔を上げた。


「………!」
「………」


目線が交わり、お互いの体が強張る。先に行動を起こしたのは、相手の方―――シノノメさんの方だった。

硬直から解放されたシノノメさんは、それはもう物凄いスピードで勉強道具を片付け始めた。その数秒後には、机に広げてあった全てを胸の前に抱いて、顔を俯けながら足早に僕の横を通り過ぎようとした。
すると。


「あ……」


ハラリと自分の足元に落ちたそれを、しゃがみ込んで拾い上げて手に取る。…羊皮紙だ。
それに目をやり、内心少し驚いた。丁寧な字が連なっている。それは羊皮紙の役目としては普通のことなんだけど、僕が驚いたのは、その字が僕に負けず劣らず細かいことと、その内容の秀逸さだ。

けれどシノノメさんは自分が羊皮紙を落としたことに気が付く様子はなく、既に図書館の扉を引いて外へ出て行こうとしていた。


「っ!ま、待って!」


慌ててその小さな背中に向かって声を上げて、呼び止めた。
ピタリと足を止めたシノノメさんは、ゆっくりと静かに僕の方を振り返った。その視線に気圧されるように、手に取ったそれを差し出した。


「その……これ、落としたよ」
「………」


シノノメさんは、僕の顔を見つめて僕の手元を見つめて、漸く事態を理解したらしい。ゆっくりと(けれどその動作は決して落ち着いたものではなく、何だか警戒したように)僕に歩み寄って、僕の手から差し出されるそれに、手が伸ばされた。


「………ありがとう、アルレルト」
「!」


僕の名前、覚えてたんだ。そんな僕の小さな感動を他所に羊皮紙を受け取ったシノノメさんは、小さな声で僕に礼を言うと、クルリと素早く踵を返した。
けれど。


「(駄目だ、待って。まだ行かないで)」


この子と、もっと話してみたい。
何故かは分からない。けれど、この時の僕は、確かにそう思ったんだ。


「ま、待って!」
「ッ!」


咄嗟にその手首を掴んでしまった。するとシノノメさんは鋭く息を飲み、パシッと僕の手を払い除けた。
自分と手が、シノノメさんに払わた。その現状把握に時間の掛かった僕に向かって、シノノメさんが少し戸惑ったように小さな声で言った。


「………ごめん」
「…あ、いや!い、良いんだ!僕がいきなり掴んだのが悪かったんだ。僕の方こそ、ごめんね」
「…アルレルトは何も悪くないから、気にしないで」


………その、何か用?
そう続けたシノノメさんに、ハッと我に返る。そうだ、僕がこの子を呼び止めたんだった。

目の前の彼女に伝わるようにと、ゆっくりと言葉を選んで言った。


「その…僕が来たからって、態々ここを出て行かなくっても、良いんだよ…?」
「………!」


僕が必死に紡いだその言葉に、シノノメさんはパッと顔を上げて口をポカンと開けた。

アレ?意外とこの子って、親しみやすいのか…?
案外分かりやすいその反応に、僕は驚きのあまり口をぽかんと開けてしまった。


「……アルレルトは、私といて、その…嫌じゃないの…」


そんな間抜けな顔を晒すも束の間、僕はシノノメさんに質問をされた。


「…シノノメさんは、どうしてそう思うの?」


質問を質問で返すだなんて無礼をしたすぐ後に、僕は気が付いた。

そうだ。分かった、分かってしまった。ただ僕は、自分は他の人達みたいな人間じゃないと、自分に言い聞かせたかっただけなんだ。自分は悪人ではないと、自分を安心させたかっただけなのだ。
罪悪感に苛まれた僕は、シノノメさんの顔を見ていられなくなって、顔を俯けた。


「ごめんっ…こんなこと聞くなんて、僕、最低だ……!」
「…気にしないで」


僕を罵倒もせずに静かにそう言ったシノノメさんの声に、俯けていた顔をゆっくりと上げた。


「…あなたは、私に声を掛けてくれた。…だから、充分に優しい」


それは、耳にスッと馴染む、柔らかな声だった。
その瞬間、と言っても本当に一瞬だけだったけれど、彼女の眼鏡の奥にある瞳が見えたような気がした。


「ありがとう……」


シノノメさんが言った言葉は、女の子とは思えないようなぶっきらぼうな言葉ばかりだったけれど、何だか僕は心が温かく包まれるような気がした。
そこで僕は勇気を出して、シノノメさんに話し掛けてみることにした。


「えっと…あのさ、良かったら、一緒に課題を終わらせない?あ、でも、シノノメさんが嫌じゃなければ、だけど…」
「………私で、良いなら」
「そ、そっか!じゃあ、シノノメさんって呼びにくいからさ…その、ランって呼んでも良い、かな?」
「………なら私も、あなたのこと、アルミンって呼ぶ」


そう言った目の前の彼女は、見逃してしまうくらいに少しだけ、はにかんだように口元を綻ばせて小さく笑った。
嗚呼。この子も、一人の女の子なんだ。こんな当たり前のことなのに、それが今やっと分かった。

とにかく僕等は、良い勉強仲間になりそうだ。ランの内容の詰まったレポートを見た限りだと、それは確実だろうと思う。そして、その時間が僕にとって大切なものになるだろうということは、容易に予想出来た。

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春風