王様と猫 - 春風
慮外千万な逢着

しかし。──その心地良い音楽を遮るような鋭い大声が、私の耳へとぐわんと届いた。


「オイ!通れねぇぞ!」
「ッ、は?」
その鋭い声に、思わず振り返ると──何と信じられないことに、彼は、先程購入したばかりの切符を、まるでICカードの如くタッチしていた。

「……、え?」

全く、何という世間知らずな人だ。余りにも常識外れが過ぎるだろう。もう、ツッコミどころが満載だ。

「ちょっと、切符をタッチなんてできるはずないじゃないですか!!そこに入れるんですよ!!」
「そこってどこだよ!!」
「“きっぷ”と書かれている投入口があるじゃないですか!まさか……あなた平仮名読めないんですか?」
「ンなワケねーだろ!!バカにしてんのか!」

思わず勢いそのままに叫んでしまって、私たちの横を通り過ぎる人から二人揃って変な目を向けられる。
漸くのことで改札を通り抜けたその男に、思わず溜め息が漏れた。物を知らないにも程があるだろう…。

「フン、いちいち難解なんだよ」
「ちょっと、さっき入れた切符を放出口から取って下さい。それがないと降車駅で降りれなくなって、また恥をかくことになりますよ」
「……」

私がそう言うと彼は無言でこちらを睨み付けて、放出口から飛び出る切符を粗雑な動作で掴み取った。
改札を通れない人間なんて、初めて見た。そして、この一連の流れから更に嫌な予感がした私は、彼へと尋ねた。


「…さすがにホームの違いは分かりますよね」
「ホームだァ?一体なんのことだ」
「……ハァ。仕方ないのでご案内します」
「オイ、隠そうともせず盛大な溜め息をつくな」
「こちらです」
「テメェ、人の話を聞き流してんじゃねぇ!」


──気分は宛ら、幼い子どもの初めてのおつかいを見守るスタッフだ。


**********

駅のホームで電車を待っている間に、どの電車に乗れば良いのかを尋ねられたので軽く説明をする。彼の降りる駅までは乗り換えがないから恐らく大丈夫だとは思うのだけれど、何せこの人は改札口で切符をタッチする強者なのだ。舐めてはいけない。


「……」

電車に乗り込んだ彼は、明らかに周りから浮いていた。纏う空気が余りにも非日常的過ぎる。非現実的なまでの眉目秀麗と言えば聞こえがいいのだろうが、こんなにも電車が似合わない人間がまさかこの世の中にいるなんて。テレビに出ている今をときめく俳優の方が、まだ馴染めるに違いない。

所々座席に空きのある車内で、何やら感心したように窓の外の景色を眺めている彼を見る。私はいつものようにヘッドホンで周囲から音を遮断して、横へ横へと流れていくいつものように蒼い海を見つめた。

「……」
「……」

まるで、この広い世界に二人きりになったようだ。私は気不味さなどは感じたところで全く気にも留めやしないが、この男は見た目に違わず意外と気にする性質タチらしく、外の景色を気にしながらも、チラチラとこちらを伺っているのが分かる。

行き先がテニスガーデンであることと大きなテニスバックを担いでいることから、どうやら彼はテニス部に所属しているようだ。


「……。今日はテニスの大会か何かですか?」
「!!あぁ、そうだ。部活の団体戦がある」
「へぇ。…それは、遅刻する訳にはいけませんね」

私が話し掛けてくるとは思っていなかったのだろうか、彼は少し瞠目はしていたものの、返事が返って来た。


「しかし、何でまたあんな人気のない田舎の駅で立ち往生していたんです?」
「…今度練習試合をする相手に書類を届けに来たはいいが、帰りの道路が渋滞していやがってな。仕方なく車を降りて電車で向かうことになったってワケだ」
「となると、電車に乗るのはやはり今回が初めてなんですか?」
「…悪いか」
「いえ、別に。何となくそんな気はしていました」

徐々に窓の外の景色は海から街へと変わってゆき、閑寂とした田舎の心地良い空気から都会独特の喧騒へと変化する。


『次は緑ヶ丘、緑ヶ丘〜。お出口は左側です。お足元にご注意してお降り下さい。次は緑ヶ丘、緑ヶ丘──』

比較的人が少なく静かな車内に車掌のアナウンスが響く。私は流れる景色を眺めるその人へ声を掛けた。


「次ですよ」
「…ンなことぐらい分かってる」
「はい、降りますよ。忘れ物なんてしないで下さいよ、車と違って取りに戻るのは大変なんですからね」
「……お前は俺の母親か」

その蒼い目を少し細め可笑しそうに肩を震わせた男に、私も釣られて少し笑った。


*****


緑ヶ丘駅では初めて降りたけれど、かなり大きな規模の駅であった。周りには、彼と同じようにテニスバックを背負った学生がたくさんといる。
これなら、この男も大丈夫だろう。


「…なら、私はこれで」

男が無事切符を入れて改札を出たことを確認して踵を返そうと挨拶をする。すると、彼は勢い良くこちらを振り向いた。目を見開き口を唖然と開けていたが、すぐにまたこちらを睨み付けた。

「ハァ?!なら、お前は何でここで降りたんだ!」
「私はただ迷子を目的地まで送り届けただけですよ」
「誰が迷子だ!!」
「違うとでも?」
「……チッ」

「…元々一度乗りかかった船でしたし、別に気にしていませんよ」

私がそう言っているにも関わらず、男は何やらそれが気に食わないらしく、相変わらず眉間に皺を寄せている。


「礼を言う。…悪かったな」

少し偉そうな物言いが気になるけど、やはり悪い人ではないようだった。

「なら、私はここで」
「ッ、待て!!」
「…まだ何か?」
気持ちだけ軽く頭を下げて再び踵を返すが、改札の柵を打ち壊すような勢いでまたもや男に止められた。一体何なんだ。

「連絡先を教えろ。…また今度、礼をする」
「あー、別にいりませんよ」
「いいから教えろ!」
「……あなたという人は、どこまでも高圧的なのですね」
「教えろ!」
「……」

わざと今までで一番大きな溜め息を吐いてやる。
彼はそんな私を眉間に皺を寄せたまま柵の向こうから見下ろしていたが、私が渋々ポケットからスマホを出すと、漸くその目元の渓谷を浅くした。

──駅の改札のフェンスを挟んで、携帯電話のやり取りをする…なんて、まるでドラマのワンシーンじゃない。


正直、周囲の人々から向けられる好奇な視線にはたまったものではない。しかも、何せこの男はただでさえ目立つ容姿をしているのだ。ヘッドホン越しに女子の甲高い声が聞こえるのにも頷ける。けれど、居心地が悪い。
私は早くここから立ち去りたくて仕方がなかった。


「また連絡する。必ず返事を寄越せ、いいな?」
「気が向いたら返信します」
「このアマ…!!」
「お礼される側の私が何故脅されなきゃいけないのですか、明らかに不当でしょうに」

──でも、まあ。何やかんやで終始結構笑えたから、良いとするか。

- 3 / 6 -
春風