君の鼓動と僕の鼓動 - 春風



「なら、えっと、私は準備しなきゃいけないから行くね。あの、蘭ちゃんは―」
「大丈夫、気にしないで。誰か適当に部員に声掛けるから、千鶴は行ってよ」
「で、でも…」
「私が迷惑掛けてる側なんだから。それに、今まで休んでたんだから、溜まっている仕事もたくさんあるでしょ?だから行ってよ」
「…蘭ちゃん、ありがとう。ごめんね」


そう言った千鶴は、タタタッと軽やかに掛けて行く。

あの背中がつい先日まで阻喪していたんだと思うと、妙に感慨深くて微笑ましい。


「………あ」


私は、竹刀を振る生徒らの中で、一際その一振りに躍動感のある人を見つめた。その左利きであろう竹刀の握り方は見覚えがあるんだ。
暫くその人物を見つめていると、予想は確信に変わる。やはりそれは的を射ていて、その人は一先輩。

すると、私の視線を感じ取ったのか、やがてその藍色の瞳がこちらを向き、更に連動して驚きにその双傍が見開かれた。


「一先輩、こんにちは」
「なっ、蘭!?」


私は千鶴と友達だとしても、幾ら剣道を齧っていたとしても、一先輩と知り合いだとしても、あくまでも部外者。
そう思って道場には足を踏み入れないでいたんだけど、既に中にいらっしゃった一先輩が私の手首を掴んで、彼にしては珍しく、強引に私を道場の中へと引っ張り込んだ。


「わっ」
「そんな所で突っ立ってないで、さっさと入れ」


不意に掴まれた腕の力はやっぱり男の手。握力は想像以上に強くて、私の腕は痛さに思わず顔を顰めてしまう。


「何で今日はここに?」
「それは、その…」


それに気が付いたのか、先輩はパッと手を離すと、私に向き直って率直に質問をして来た。周囲を見渡すと、近くにいる数人が興味深げに私を見ている。

その中には見当たらない、最近何かとことある毎に私に構って来るあの先輩。
良かった、どうやら沖田はまだいないみたい。


「実は―」
「蘭ちゃん!!」


そう思って安心したのも束の間、入口から沖田が駆け込んで来た。

あぁ、これから厄介なことになりそう。
そう思っていたら、自然と私の顔は険しくなっていたみたいで、それを見た一先輩が私を庇うように私の前に出て下さった。


「総司、蘭に何の用だ」
「ちょっと、一君には関係ないでしょ」


グイッ


「今日は、蘭ちゃんは僕と打ち合いするために来てくれたんだから。ホラ蘭ちゃん、こっちだよ」


沖田は私の手首を掴むなり、一先輩とは反対の方向へぐんぐん歩き出した。
迷惑としか言いようがないけど、さっさと打ち合いを済ませて沖田を満足させて帰りたいのも事実だし。

そう思った私は、沖田に引っ張られるままに付いていく。


辿り着いたのは更衣室で、沖田は中を覗いて誰もいないのを確認すると、私を振り返り尋ねた。


「胴着はある?ないならこれ貸すよ、昔の僕のだからちょっと大きいけど、綺麗にしてあるから」
「ないから借りる………ことにします」
「無理矢理に敬語にしなくていいよ。今更だし、蘭ちゃんからはタメ口の方が嬉しいしね」
「…そう。なら、遠慮なく」


つくづく沖田は変わった人だと思う。
初めは怒りに任せてタメ口で話し掛けてしまった私を全く怒りもしない。普通なら、私なんて、後輩の分際で生意気だって先輩の権力でどうにでも出来る筈なのに。


「なら、外で支度してるから。着替え終わったら出て来てね」


そう言って沖田は、扉を閉めて更衣室を後にしようとする。
少し、いや、かなり男独特のムワッとした汗臭さが気になるけど、こればっかりは仕方ないよね。


「そうだ、蘭ちゃん!」
「な、何?」


扉を閉めると思いきや、沖田は大声を上げて扉を全開にした。既に制服を脱ぎ始めようとしていた私は、若干慌てて前を隠して沖田を睨んでみせる。


「…実は僕、ホントに来てくれるとは思ってなかったんだ。ありがとう、蘭ちゃんと打ち合いが出来るなんて、夢みたいに嬉しいよ」


そう言って沖田は、はにかんだような笑顔を見せて、更衣室の扉を閉めた。


「…何か、調子狂うんだけどな」


沖田の笑顔は、無邪気な子供みたいだった。そう感じた私だけど、千鶴との沖田の関係を思い出してしまう。
そうだ、これも沖田の策略の内なんだろう。


これから行われる久しぶりの未知の男相手の打ち合いに期待を膨らませながら、私は素早く綺麗に糊をされた白い胴着に腕を通したのであった。

機嫌?
悪くはないのも、確かなの。

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春風