誰にも話してはいけない話



 携帯のアラームが鳴り響いたことにより私の意識は覚醒した。布団から腕を伸ばして枕元の携帯を掴む。無機質なアラーム音をオフにして私は欠伸をしながら布団から身体を起こした。

「…あれ、芥川さん?」

 布団から起き上がって横を見ればベッドにあったはずの姿はなかった。一気に目が覚める。壁にかけてあったはずの外套もない。もしかしてあの身体でもう戻ったというのだろうか。
 慌てて布団から出て自分の髪型がだいぶぼさぼさになっていることにも気を留めずに居間への扉に手をかける。荒っぽくドアを押すとそこには音に驚いている芥川さんの姿があった。

「…あれ、いた…」
「…朝から騒々しいな」
「外套、なかったから居なくなったのかとてっきり…」
「この外套は僕にとって身体の一部。意識ある時は肌身離さず過ごす。」

 芥川さんは黒い外套をそう言って優しそうな手つきで触れる。ひどく儚い表情に少しどきりとしてしまう。ああいう表情もするんだ…なんというか本当に思った以上に表情と感情がころころ変わることに驚いた。彼とまともに話したことなんて一回もなかったからイメージが先行していたというのもあるがいい意味で覆してくれた、と思う。

「大事なものなんですね」
「…ああ、」
「事情は解りました。…それで、体調は如何ですか?」
「問題はない。もう行く。……世話になった」

 そう云う芥川さんの言葉に私は少し疑問を持った。昨日よりは幾分か顔色は良くなっているが熱っぽさは抜けてなさそうで気怠い表情のままだ。拒まれるかもしれないが確認をしなければ、と私は不意に彼の額に手を伸ばした。

「…嘘吐き」
「っ、此れくらい如何ということは、」
「それも嘘。無理しようとしてる」

 図星のようで芥川さんは唇を少しだけ強く噛む。とはいえ私にも仕事があるように彼にだって仕事がある。無理をしてでもこなさなければならないことなんて理不尽だが世の中には沢山あるのだ。

「あの、芥川さん」
「…止めるな。お前も僕が何者かは判っている筈だ」
「判ってますよ。だから此れも何かの縁と思ってせめて本調子になる迄の間は世話を焼かせてください」

 テーブルに置きっぱなしだったメモとペンを使って数字を書き殴る。探偵社で使っているものとはまた別で持つ私用の携帯電話の番号だ。そしてキャビネット内に保管しておいたスペアキーを取り出しメモと一緒に彼に差し出した。芥川さんは私と手元のそれを交互に見る。

「何の真似だ」
「体調不良を他の人に云うつもりがない間は私の所に来てください。こういう時に一人だと治るものも治りませんし。一応此処は結構セキュリティー万全なマンションなんですよ」
「赤の他人である僕に何故其処まで構う必要がある。そのよう慈善じみた活動をしたところでお前に利益など、」
「そんなの知らないし要らない!貴方の心にちょっとでも迷惑かけたなって気持ちがあるなら大人しく従って完治させてください。でなきゃ太宰さんに世間話ついでに今日のこと言いますから」

 芥川さんは太宰さんに強い執着心がある。そんな話を敦から聞いた記憶がある。太宰さんは「昔のことだよ」なんてはぐらかしてしまったから詳細はわからないけど、雰囲気察するに太宰さんがポートマフィアに居た頃の部下なのだろう。今は私がそんな彼の部下であってある意味複雑な関係だ。
 そんな記憶を掘り起こして材料としてきってみたが太宰さん、という名前を聞いた芥川さんの目がこれ以上にないくらい開かれた。さらに彼の唇が噛まれる。

「ならぬ。云うなら手段を選ばずその口を塞ぐ」
「い、云いません。だから少しだけ貴方に関わること、許してください」
「…此処以外で僕に構わぬと約束しろ」

 私の手から鍵とメモをひったくるように持っていった芥川さんはそのまま玄関へと向かってしまう。慌ててその背中を追いかける。「気を付けて、無理はしないように」月並みだがそんな心配を伝えると芥川さんは「何処までも能天気だな」なんて言葉を吐いて出ていってしまった。
 そもそもポートマフィアを部屋に連れて来た、なんて話誰にもできる筈がないのに。熱のせいなのかそれともただならぬ太宰さんへの執着のせいなのか判らないが芥川さんが冷静になって私の心情の判断ができなかったことに少し救われた。


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