あいくるしい



 鍵も持っていったし戻ってくる気はあるよね。いや悪用しないよね…流石に。盗られても困るものは特にないがちょっとだけ不安になりながらも私は消化に良さそうなものを買って帰り道を歩く。
 今日は定時を少し過ぎてしまったが直帰する為に急いで帰り支度していると太宰さんに「仕事人間な名前ちゃんが帰りたがるなんて珍しいね。もしかして彼氏でも出来た?」なんてからかわれた。「出来てないです!」とちょっとだけ強めに云い返して鞄を引っ掴んで出てきたが怪しまれたかな。尾行とかは流石にされてないと思うから大丈夫だとは思うけど。

「…あ」

 マンションの入り口には見覚えのある黒い外套の人が立っていた。サングラスをかけて何かを待っている様子にも見える。

「芥川さん」
「…戻ったか」
「待ってたんですか?…鍵渡してたのに」
「鍵を預かっていようと女の部屋に勝手に入るなど不埒な事を僕はせぬ」

 そういうこと気にするタイプなんだ。彼に気付かれたらムッとされそうなので笑うのはなんとか堪えた。
 約束通りに芥川さんが来てくれたことに少しだけ喜びを感じながら部屋に上がるのを促す。芥川さんはゆっくりとポケットから手を出して私が持っていたビニール袋を取り上げてしまう。

「あ、いいのに」
「早くエントランスのロックを開けてこい」
「…有難うございます」

 どうってことないという顔で芥川さんは荷物を持ってくれる。病人だというのに変に気を遣わせてしまって申し訳ない。慌ててロックを解除してエレベーターのボタンを押した。ゆっくりと芥川さんが私を追って中へ入る。部屋まではお互い無言のままだった。それを破ったのはエレベーターが目的地に着いたと音だ。

「お仕事、お疲れさま」
「…如何ってことはない」
「結構お疲れの癖に」
「……嘘を全て見抜く其れはお前の異能力か?」
「ふふ、どうでしょう。秘密です」

 まあ秘密にしたところで直ぐに調べ上げられてしまうだろうが。ちょっとした意地悪を云ってみたけれど芥川さんは特に深くは聞いてこなかった。(ノリ悪いなあ、なんて思ったのは内緒だ)

「戻ってきてくれて安心しました」
「余計な事を太宰さんに吹き込まれる訳にはいかない」
「云わないから安心してください」
「太宰さんには僕の強さを見せねばならん。弱さなど見せてはまた…」

 芥川さんはそこまで言うと黙ってしまった。やっぱり太宰さんと彼は深い繋がりがあるようだ。きっと彼にとっての太宰さんという存在はとても大きいのだろう。言葉の節々から其れを感じる。

「尚更、ちゃんと治さなきゃですね」

 私の言葉に芥川さんは変わらず何も言わなかった。別に何かを言って欲しいわけでもなかったけど、強がりな彼が弱さを吐き出せれるようになればいいのにな、なんていう気持ちが少し生まれていた。其れが私になればいいなんて思うのは烏滸がましいと感じたから、その気持ちには蓋をした。


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