僅かばかりの安息



「芥川さん、お風呂わいたのでどうぞ」
「……」
「入りましょうね。汗かいてるし」

 芥川さんにお風呂の話題をするとすごく嫌そうな顔をされた。あまり得意ではないのだろうか。まあ無防備になる唯一の場所だ。そういう意味では苦手そう。とはいえそのままで過ごすのはあまり衛生上良くないしちゃんと汗を流さないことにより体調の悪化をしては元も子もない。

「ほら、行きましょう」
「…自分で行ける」
「ちゃんと入るところまで見届けます」
「お前に其れが出来るのか」
「で、出来ますとも」
「…見抜くのは上手くとも吐くのは下手だな」

 そういう洞察力は要らない。誤魔化すように咳払いをして私は芥川さんの背中を浴室へと押し込んだ。扉を閉めてそこに座り込む。「ちゃんと入ってくれるまで此処から出しませんから」と徹底抗戦する旨を伝えると押し込まれた芥川さんは中で大きくため息を吐いていた。
 暫くするとシャワーの音が聞こえ始める。どうやらちゃんと入ってくれたようだ。一応素直な時は素直だけど基本は頑固な気がする。私も人の事言えないが。おそるおそる脱衣所だけ覗いてみるとそこに姿はなかったので問題はなさそうだ。確認し終えた私は立ち上がってそのままキッチンへと立つ。そういえば好き嫌い、聞き損ねてしまったな。苦手なものないといいけれど。



***


「御馳走様」
「はい、お粗末様でした」

 シャワーから出た芥川さん(さすがに外套は着てなかったけど傍らにしっかり持っていた)は私が予め買って脱衣所に置いていた白いワイシャツと黒いパンツを身に着けてくれていた。男の人が着る洋服なんて買ったことなかったからなんだか変な気分だった。華奢な身体つきだから小さめのものを選んでおいたけどぴったりのようだ。適当に「買ったけどサイズが合わなかったやつを引っ張り出した」なんて言っておいたけど芥川さんの云う通り私は嘘を見抜ける癖につくのは苦手だからバレてそうな気がする。
 ご飯もしっかり食べてくれたので風邪気味だと言って与謝野さんからもらっておいた薬を飲んでもらう。昨日より抵抗なく飲み食べしてくれてたけど、警戒心は解いてもらえたのだろうか…ちょっとだけ気持ちが軽くなる。

「芥川さん、明日も仕事あるんですか?」
「…明日はない。休息し療養に充てろと云われた」
「その通りですね。…成程、お休みなのか」

 意外にポートマフィアの人も気遣える人がいるようで安心した。まああの顔色なら云わずとも察するよなあ、とちょっぴり思ってしまった。
 実は彼が休みであろうがなかろうがちゃんと時間を作りたいと考えた私は思い切って有休を使っていた。滅多に使わない私が有休の申請をするもんだから国木田さんに驚かれた。太宰さんがにやにやしていたのは無視である。とはいってあちらも休みだとは思わなかったから私は何かできることはないかとプランを考えることにした。療養する時間をもらえてるなら活用する手はない。携帯で適当に検索をかける。日帰りでのんびりできる場所、そんな場所があればいいのだけど。

「もし熱が下がったら江ノ島行きましょう!芥川さん」
「断る」
「なんでですか!!」
「其方が仕事を放棄してまで僕に構う意味は、」
「お休みもらってるんです!私も仕事漬けだったので気分転換したいなあって思ってて」

 人が多い水族館ではなく疎らそうな広い公園なら人目を気にする必要はない。芥川さんでも居易い場所だと考えた。さらっと却下されたが引き下がれず休みの旨を伝えて再度提案する。芥川さんは口元を抑えて咳を何度かしながらも思案をしている様子だ。

「気分転換に付き合って欲しいだけです。芥川さんも一緒にできれば尚良いなって思ってるんですが…」
「それで此度の借りは返せるか」
「…はい!充分です」
「承知した」

 芥川さんの了承を得てつい頬が綻ぶ。場所については一任すると言ってくれた。勿論人が多いところ以外、という条件付きである。元よりそう云った場所を選ぶつもりだったから問題はない。

「ちゃんと熱下げてくださいね」
「無茶を云うな。馬鹿者」
「せっかくだし行きたいじゃないですか」
「何処までも物好きだな…苗字名前」

 フルネームで呼ばれるのはなんだかむず痒い。「呼び方、名前だけでいいですよ」一応そう言えば芥川さんは少し間をあけて名前を呼んでくれた。ちゃんと返事をすれば少し照れくさそうにしている。少しだけ距離感が詰めれたように勝手に感じて、我慢していたにやけが思わず出てしまった。


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