月が綺麗ですね
「今日は十五夜みたいだよ」
「……へえ、そうなんだ。日本人は、昔から見える月の向こうに『あの世』を強く感じていて、満月の日には、愛しい人や親しい人を向こうの世界に引っ張って行かれないように、お供え物をして祈っていたらしいね。
月で兎が餅をついているなんて迷信もあるけど、君は信じていた?」
「昔は信じてた! 兎がお餅ついてるの可愛いって思って小さい頃は月を眺めてはうっとりしていたなぁ」
私を見る彼の顔はとても優しく、愛しいものを見るような目をしていた。
「そうだ、今日の夜お月見しない? 凪砂くんあまりしたことないでしょう?」
「……たしかにそうだね。月を見るというのは風情がありそうで興味深い」
「お月見といえばお団子だよね。 今日買ってくる!」
*
「月が綺麗ですね」
夜、約束通りベランダに出て月を眺めていると彼がそう呟いた。
「……そう、漱石が訳したという逸話があるそうだね」
突然そんなことを言うから、私の心臓は大きく跳ねる。先ほどまで他愛もない会話をしていたので、尚更空気感が変わり、彼の顔をうまく見れない。
小説を読む彼がその言葉を知らないわけはないが、突然言うなんて思いもしなかった。もちろん私もその言葉の意味を知っているが。そんな悶々としている私をよそに、彼は話を続ける。
「日本人は『愛してる』といった直接的な言葉を使わないと言っていたようだけど、やはり一般的にはそうなのかな」
「え? うーん、そうだね。愛してるって言うのは何だか恥ずかしいかも」
「……私は、言える」
「ふふ、凪砂くんなら言えそうだね」
微笑みながら会話を交わしては、また再び月を眺める。夜の風はお風呂上がりの肌には涼しくて心地よい。瞼を閉じて風を全身で感じて、深呼吸をするとまた月に目を向けた。
「愛してる」
彼が突然真剣な声色でそう呟く。驚いた私は反射的に彼を見るが、夜の街明かりに照らされた彼の顔は、冷たい風を受けているといつもとは違った雰囲気で緊張が高まった。
「……月に想いを委ねて愛を伝えることは、素敵なことかもしれないけど。君を前にすると何か考えるよりも先に、愛してるという言葉が出てきてしまうね」
「そ、そんなこと真剣な顔で言うものじゃないよ……」
「……そう?」
「そう、だよ」
彼の素直な気持ちが嬉しくもあるが、気恥ずかしくもあり思わず顔を背ける。恐らく今の私は顔が真っ赤だろう。
「君は?」
耳元でそう言われて驚いた私は思わず振り返ってしまう。
「……返事はないの?」
悪戯な顔をする凪砂くんがいて、心臓の音が煩く響く。
「し、死んでもいいわ……」
彼の言葉に応えるように呟くが、我ながら恥ずかしくなり俯く。そうするとクスクスと笑う声が聞こえ、見上げると満足そうに微笑む彼がいた。
「君はロマンチストなんだね、意外」
「ば、ばかにしてるでしょう! ……『愛してる』なんてそう簡単に言えないよ」
「……そうだね、でも。君の口から聞きたい」
先ほどよりも顔が赤くなり、もう耳まで赤いのを感じる。彼が徐々に近づき、私の手を取っては指を絡める。その動作を感じているだけでも私はもういっぱいいっぱいだ。
「あ……愛してるよ、凪砂くん」
心臓の音がうるさいのを感じながら彼に想いを伝えるため声を振り絞った。しばらくしても何も言葉を発さない彼に、不安を抱く。
また笑われるのかなと思い彼の顔を覗くと、頬を染めて固まっていた。滅多に見ない表情なので私は驚く。
「……言うことに抵抗はないけど。君からそう言われるのは、少し照れくさいね」
いつも余裕そうな彼が頬を染める様は珍しくて。たまには、はっきりと言葉で伝えるのも良いかもしれない。そう思ったのだった。