初めてのお酒は君とがいい BD



 
 十月。それは私が生を受けた日のある月。たったそれだけの単なる数字だったというのに、ひとと関わりを持ち、彼女とすご図ことが増えてからは、とても大切でかけがえのない日になった。

『凪砂くんにみんなが生まれて来てくれてありがとう。歳を重ねて、その瞬間を一緒に過ごせて嬉しいって伝える日なんだよ』

 そう、誕生日の大切さを伝えてくれた彼女の言葉が誕生日を控えた時期になると思い出す。
 今年もたくさんのひとと、そして彼女と過ごすことができる大切な日が近づいていた。今年は特に、二十歳という、俗に言う節目の年でもある。特別にすることや心構えは変わらないけど、年上の彼女と付き合っている私にとっては大きなことが変わろうとしている。

「凪砂くん、今年も誕生日はお仕事で忙しいよね」

 寝室でベッドに座り、待っていた彼女が思い出したかのように言葉を始めた。

「……そうだね。例年通りバースデーパーティーをESで開いてくれると思う。他のひとも今年祝ってもらっていたから」

 
「凪砂くんも今年で二十歳かあ。お酒飲みたい?」

 その言葉にピクッと反応を示す。お酒というものに特段憧れを抱いていたわけではないけど、私よりも年齢が上の彼女は既にお酒の味を知っていて、彼女と共に楽しめることができない寂しさを多少は感じていた。『飲み会』終わりにふわふわと酔った状態で帰宅する彼女を何度か目にし、私が寄ってしまったらどうなるのか興味があった。もし泣いてしまったり、怒ってしまったり、と、理性を失うようなことがあれば初めては必ず彼女と一緒がいいと思い続けていた。ようやく、彼女と楽しむことができる。

「……うん。君がいつも飲んでいるワインはどうかな」
「いいね! おつまみどうしようかな」

 少しだけ考え込んだのち、スマホを手に取り鼻歌を歌う彼女。胸を躍らせながら検索する彼女の様子を見ているだけで自身の誕生日が待ち遠しくなる。

「凪砂くんも一緒に見よ」

 布団を持ち上げ、「おいで?」と誘う彼女があまりにも可愛くて胸を打たれたように苦しくなる。なんて可愛いんだ。私の彼女は可愛すぎる。などと思いながらその言葉に甘えてベッドに入ると彼女の肩に頭を預けながら共に画面を眺めた。

「あ、これどう?」

 画面を差し出しながら私の顔を覗き込む無邪気な瞳が目に入り、愉悦に浸る。首を傾げて私の返答を待つ姿が愛おしい。

「……うん。いいね」

 再びスクロールをして「あ」と声を漏らす。

「作るのもいいけど、こういうレーズンを買ってくるのはどう? ワインと意外と合うんだよ」
「いいね」

 彼女とお酒の話をしていると思うと、彼女との年齢の差も縮まっているようで嬉しく思う。お酒を一緒に飲める。ただそれだけのことなのに、彼女とできることが増えたのだと思うと年を重ねるだけのことが大切なことに気づく。それに、自分のことかのように嬉しそうにしている彼女を見ていると、言いようのない幸福感で満たされる。

「ん〜〜、じゃあこれは?」
「うん、それもいいね」
「…………じゃあ、全部にしちゃう?」
「いいね」
「ふふ、いいの? そんなに食べられないよ」

 冗談交じりに言った彼女の言葉にも賛同する。耳に彼女の楽し気な笑い声を響かせながらそれに返事をするように彼女の方に頭を埋める。「君が作ってくれるものなら何でも嬉しいよ」。そう言いたいのに、心地いい感覚に自然と視界が霞んでいく。

「凪砂くん?」

 彼女の声も朧気になっていき、彼女の体温を感じながら眠りに落ちていった。

   ♢

 誕生日当日。ESではバースデー撮影をしてもらったり、パーティーを開いてもらったり、特別な一日はあっという間に過ぎ去っていった。

 夜までたくさんのひとに祝ってもらい、嬉しさで満たされる一日を過ごしたため、夕食は家で食べられそうになかった。事前に彼女もそのことを知っていたため、約束していたワインを簡単に飲むことになった。パーティーではお酒が出てくる場面もあったけど、初めて一緒に飲む相手は決めていたのでグラスに手は出さなかった。そもそも、茨がそれを許すことはなかったけれど。

 日が落ちるのも早くなっているからか、ESから出る頃には既に空は薄暗く深い紺色に染まっていた。辺りには秋の寒さが感じられる風が吹いていた。

 もう夜も遅いからと茨が車を手配してくれた。車中から見える外の景色も街灯に照らされた枯れた葉が道端に落ちていてどこか寂しい空気が漂っていた。早く彼女の待つ温かい家に帰りたい。

『もうすぐ帰るよ』

 彼女の顔を思い浮かべながら、メッセージを彼女に送信した。
 

 玄関のドアに手をかけて、ガチャリというさほど大きくはない音を立てただけなのに、その微かな音に気付いた彼女がリビングのドアから顔を出していた。 

「ただいま」
「おかえり!」

 ぱあっと明るい表情で出迎えてくれる彼女に、先ほどまでの殺風景な外の様子を忘れるぐらいの温かさを感じた。彼女の笑顔はいつの季節も温かく穏やかな気持ちにさせてくれる。寒さのせいで強張っていた私の顔も、鏡のように自ずと微笑んでいた。

「お疲れ様。楽しかった?」
「うん。たくさんのひとたちに祝ってもらえたよ」
「それはよかった」

 ニコニコという擬音語が当てはまるほどの表情に、喜びを感じる。彼女の声でその言葉を聞くだけでほっと胸を撫でおろすように安心する。 

「あ、先にお風呂入るよね?」
「そうしようかな」
「その間におつまみの準備済ませておくね」

 手際よく私の荷物を受け取った彼女がお風呂まで誘導してくれた。至れり尽くせりという言葉はこういう時に使うのだろう。

「外寒かったよね。お風呂沸かしておいたよ。ゆっくり入ってきて大丈夫だからね」

 彼女のことを待たせていた事実に罪悪感を抱いていたこともお見通しのようで「ありがとう」とその一言に感謝の気持ちを込めた。

 
 身体が温まり、髪を乾かしてリビングに戻るとキッチンに立っている彼女がおつまみを作っていた。

「いい匂いだね」
「ふふ、凪砂くんが言ってたように全部用意してたら食べきれないから、私も食べたいのにしてみた」
「うん。美味しそう」

 彼女を後ろから抱きしめて彼女の温もりを感じる。「でしょう?」と誇らしげに語る彼女の横顔が愛しくて無意識に抱きしめる力が強くなる。
 くすぐったいのか笑いを溢す彼女に、私の口角も同時に上がっていた。

「よし、できた」
「手伝うよ」

 料理をテーブルに持っていくと、冷蔵庫から取り出してきたワインボトルとグラスを手にしていた。

「これは白ワイン?」
「うん。スパークリングワインだよ。飲みやすくて好きなの。凪砂くんも好きかはわからないけど……」

 そう言いながグラスにワインを注いで渡してくれた。彼女もソファに並んで座り顔を見合わせる。

「改めて、お誕生日おめでとう。乾杯」
「乾杯」

 グラスを傾け、硝子の音を鳴らす。グラスを口元に運んでワインを口に含むと仄かな香りと酸味が口の中に広がった。喉を抜ける炭酸は不思議な感覚だった。

「どう?」
「不思議な感覚だけど、思っていたよりもさっぱりしているね」 
「凪砂くんもこれで大人の仲間入りだね」

 悪戯な笑みを浮かべながら話す彼女は私の成長を喜んでいるようだった。

「……うん」

 楽し気に話す彼女のワインを飲むペースは、パーティーで大人が飲んでいる場面に会うことはあるため、速いというのはわかった。グラスに口をつけるスピードが徐々に速くなっている気がした。

「この間まではこんなに小さかったのに」

 ふわふわと揺らぐ彼女に、いつものような酔っている姿を見られて嬉しい。ふにゃっとした柔らかい笑いを浮かべながら以前の私を懐古していた。

 複雑に動く彼女の濡れた唇に視線が落ちる。自然と私の顔は彼女に吸い寄せられるように彼女の唇に近づいていた。ちゅっと軽い音を立てて口づけた。

「ワインの香りがするね」
「な、凪砂くん?」
「……でも、甘い」

 舌で唇を舐めると彼女は口を開けながら徐々に目を見開いていた。酔いが冷めたかのように先ほどまでの表情とは打って変わって正気に戻ったようだった。

「な、なんで」
「……君を味わいたかったから」
 顔を真っ赤に染めながら震える姿が愛らしい。
「突然キスしてくるなんて……!」

 上目遣いで唇を噛む姿は怒っていると言いながら私にとっては可愛い姿にしか見えない。彼女が怒っているのだから真剣に聴こうと深刻な顔を装う。が、頬が緩み口角が上がってしまいそうで片手で口元を覆う。

「でも今日は私の誕生日だから」

 いいよね。その一言を耳にした途端、ばつが悪そうに目を泳がす。彼女の中で私の行動に許しを与えるか、与えないか。そんな葛藤が繰り広げられている。

「わ、私、怒ってるからね!」
「うん、知ってる」

 冷静に返事をして彼女の唇に再び近づくと、彼女の手に素早く阻止される。

「だめ! このままキスされたら流されちゃうから! 待って!」

 手で押さえられながら頷く。恥じらう彼女が可愛くて疼く胸の中。キスをされれば流されてしまう自覚をしているのがとても愛らしい。
 手が離れた瞬間に、彼女の顎をすくう。怒っているという割には私の目をじっと見つめて瞳を濡らしている。言葉とは裏腹に彼女の瞳は蕩けそうで期待していた。

「な、凪砂くん、もしかして、酔ってる?」
「…………そうなのかな」
「凪砂くんて、酔ったらキス魔になる、とか……?」

 キス魔。キスをする悪魔ということだろうか。酔っているわけではないが、彼女がそう言うのであればそうだということにしておこう。

「ふふ、そうなのかな」
「……え。だ、だめ! 凪砂くん、外で絶対にお酒飲まないでね……?」

 話の内容は全く別の方向へと変わり、拍子抜けする。彼女も私にそんな風に可愛い我儘を言ってくれるなんて。

「安心して、君の前でしか気を許したりしないから」
「ほ、本当?」
「うん。だから――――今は黙って」

 顎をすくわれながらほっと胸を撫でおろす彼女に今は気持ちの隙を与えられない。それほど今は余裕を持ち合わせていない。

「ん、んぅ」
「っは、」
「……ん、ふっ」

 彼女の吐息とワインの酸味を感じながら蕩ける瞳に支配欲が擽られていく。私を独占したい彼女を、私は独占したいというのに。ずっと私以外の異性の前で本当はお酒など飲まないでほしかった。家まで無事に帰ってくるとはいえ、誰かに送ってもらうこともあっただろう。社会人としては当たり前にあることだと理解していても、どうしても歯がゆかった。早く私もお酒を飲める年齢になって、彼女と大人の時間を過ごしたい。そう、思っていた。

 だが、ぐちゃぐちゃに乱れる彼女は私しか見られない姿だ。胸の奥にしまっていた浅ましく黒い欲望をぶつけてしまう。自分の中でお酒を飲んだことによって焦点が合わないだとか、頭痛がするだとか、大きな変化は見られないが、こうして理性が少しだけなくなっているのはお酒のせいなのだろうか。それもあるかもしれないが、彼女が無防備なのが悪い。

「なぎさく、ん」
「ナマエちゃん、愛してる」
「っ!」

 彼女に言葉を溢す余裕も与えずに愛を囁いては唇を重ねる。

「ま、って、なぎ――」 

 待てないよ、の一言を放つのも惜しいほど、私の理性は崩壊寸前だった。

「まって!」

 弾かれるように、彼女に強く胸元を押し出される。

「今日は凪砂くんの誕生日だから。私も、凪砂くんに好きって言いたいよ……」

 肩を大きく動かし、消え入る声でそう呟いた。涙を浮かべながらに放ったその言葉に、胸を鷲掴みにされたように胸を揺さぶられた。彼女の願いを尊重したく、この衝動を抑える。

「凪砂くん、私も愛してる。だから、今日は私からキス、してもいい?」

 彼女の絞り出した言葉に驚きを覚えながらも、静かに頷いて彼女からのアクションを待った。胸に手を置いて体をしならせ、唇が近づく。瞼を閉じて、ふにっと柔らかい感触を覚えたところで、すぐに離れた。
 恥じらう瞳に、耳まで染まった真っ赤な顔。全てが可愛くて、喉の音を立てながら唾を飲み込んだ。もう一度してほしいと催促をする前に、彼女の唇が再び重なる。あまりの嬉しさに離れる彼女を逃さないよう抱き寄せた。

「……嬉しい」

 肩に寄せた頭に頬を摺り寄せる。しばらくの間幸せに浸っていると彼女の重みが増した気がした。彼女の顔を覗きこむと眠りについていた。

「ふふ。おやすみ」

 私の声が届いたのか、柔らかく微笑んだ。彼女が眠ってしまうほど私の腕の中は安心できるのかと思うと、何にも代えがたい幸福感が込み上げた。

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