01
思えば、私は彼と出会ったあの日から目が離せなかったと思う。
家の付き合いで巴家に縁があった私は、そこの次男である日和くんと年齢が近いこともあり親しかった。
ある日突然、巴家で一人の少年をしばらくの間引きとることになった。それが私の人生を大きく左右する出来事になる。
彼と初めて会った時のことは今でも鮮明に覚えている。まだ人生の十分の一も経験していなかったが、私はあれほどまでに美しいと思えるものに出会っていなかったからだ。
白くて透き通った肌。長くて繊細な睫毛。銀色に輝くシルクのような髪。
彼を構成するすべてが現実離れしていた。
しかし、彼の瞳だけはその輝かしい容貌とは異なり空虚を見つめているようだった。
「今日からこの家で引き取ることになった子だよ」
私は一瞬目を疑った。彼を取り巻くすべてのものがとても神秘的で、現実離れしていたからだ。
「……はじめまして。私は、らん、なぎさ。です」
『凪砂』
それが彼の名前だった。風が止むという字が使われる彼の名は、吹いている風など気にならないほど彼の存在がそれをかき消してしまう。そんな彼そのものを言い表していた。
「凪砂くんはじめまして。よろしくね」
日和くんは目を輝かせて、ようやくできた初めての友人に心を躍らせていた。
最初は外界から閉ざされていたところで過ごしていたこともあり、話し方もおぼつかず、会話も難しかった。日和くんも幼いなりに、凪砂くんの感情表現が乏しいことに気づいていて、たくさん話しかけては庭へと連れて行き、たくさん遊んでいた。
「凪砂くんは私が守ってあげるからね」
かくれんぼをしたあの日。庭園の花のツタに隠れて小指を交えたそれはまだ子どもだった私たちの可愛らしい約束だった。
結局、家族のもとへ行くということで彼らは離れ離れになってしまった。
そうして現在に至る。私は現在、彼、凪砂くんと同居している。決して何もないクリーンな関係だ。
私が彼と共に住み続けているのは、ある意味私の我儘だ。最初はすぐに解消するものだと思っていたが、私が彼を簡単に手放すことができなかったからだ。
*
「一人暮らし?」
凪砂くんが秀越学園に通ってしばらくした頃。彼の逃亡癖というか、奔放ぶりに困り果てていた茨くんは住まいを変えようという提案をした。
「えぇ。閣下も仕事上楽になるようアパートの一室を借りようかと」
「凪砂くん、一人で大丈夫?」
「それではご家族と一緒に住みますか? 保護者はやはりいた方がいいですかね」
彼の家族との関係は少し複雑だ。仕事場とは少し遠いので送り迎えは家族へと頼むことになるかもしれない。その間、彼はストレスを感じてしまうのではないか。
「自分は未成年ですし、いくら閣下の面倒を見たくとも限られてしまいますから」
「でも、凪砂くんの意見も聞かなきゃ……」
「ええ。閣下はどうお思いで?」
彼は何も言えず静かに座っていた。何か言おうとしていたが、こちらの様子を伺っているようだった。静かな沈黙を破ったのは日和くんだった。
「むりだね! 凪砂くんを一人で住まわせるなんて可哀想!」
先ほどまで眉間に皺を寄せながら顔を顰めていた日和くんが突然大きな声を出して反論した。彼は凪砂くんが一人で暮らすことに猛反対した。彼の『家族』と住むことも。
「慣れない家族と住むことも反対だね!」
「じゃあどうするの?」
「うぅん。ぼくが一緒に住みたいけどぼくには玲明の寮があるからね。それに保護者にはなれないし……」
玲明学園に通っている日和くんは寮に住んでいるため、一緒に住むということはできない。部屋を開けることはたやすいだろうけど、彼が最近気に入っているという子を放っておくわけにはいけないのだろう。本当は日和くんも凪砂くんと住みたいはずだ。彼は凪砂くんのことを気に入っているから。
眉間に皺を寄せてしばらく考え込んだ日和くんは茨くんの顔、凪砂くんの顔と順番に見ていくと、最後に私を見て突然何かを閃いたかのようにパッと顔が明るくなった。
「あぁ! ナマエちゃんと住めばいいね!」
「え?」
「はい?」
「きみなら保護者になれるしぼくも安心だね! うんうん、決まりだね。ぼくってば天才だね!」
彼の畳みかけるような言葉に驚いて何も返せない。まさか日和くんに提案されるとは。確かに私の家は事務所に近いかもしれないし、成人している身ではあるけど、大丈夫なのだろうか。あくまでも異性だ。
あっけに取られた茨くんは何も言えずにいて、私は凪砂くんの様子を伺った。
しばらく考え込んだ凪砂くんは静かに拙い言葉を紡ぎ出す。
「……一人で暮らすのは難しいかもしれない」
元よりこの話が出た時から心配だった私は「私と暮らせば良いのに」、そんな淡い期待を心のどこかで寄せていた。日和くんからその言葉が出た瞬間に希望を見出した。と、同時に心の中で青信号が点滅している気がした。このまま彼を受け入れてもいいのだろうか。
そんなぐるぐると回る頭の中を打ち砕いたのは彼の一言だった。
「……でも、ナマエちゃんとなら安心」
俯きがちだった顔は私の目をしっかりと捉えた。その言葉に嘘はなく、純粋に嬉しいという気持ちが勝ってしまった。そんなに真っすぐな瞳で言われてしまっては断れまい。
「わかった。凪砂くんのことしっかり面倒見るね」
「……よろしくね」
私が了承した途端、花が開いたようにふわりと表情が柔らかくなった。安心したのだろう。それはそうだ、私のことを姉のように慕ってくれているのだから。
脆く壊れやすいガラス玉を扱うように、大切にしよう。彼と暮らすことを決意したその時、私は誓った。
凪砂くんを見ていると茨くんが咳払いをした。それに反応するように彼の顔を見るとまたいつもの張り付いた笑顔に戻る。
「心得てはいらっしゃると思いますが、閣下は我が事務所の大切なアイドルです。決して不埒がないようにお願いしますね! まだまだブランディングもままならない状態でスキャンダルなどと――」
「わかってるよ」
笑顔を取り繕いつつも長々と話を続けて少し機嫌が悪そうな茨くんを宥める。
私はうまく笑えていただろうか。もしかすると嬉しい気持ちを抑えられず頬が緩んでいたかもしれない。
彼の『家族』も彼の扱いに慣れていなかったのか、心配をしていたようで、私が一緒に暮らすと伝えたところ快く了承を得られた。誰にも心を許さなかった彼が、私にはなぜか日和くんの次に心を開いてくれている部分が多かったからだ。