02
音もなく、街が寝静まった時間。彼の静かな寝息が耳に入る。この感覚も初めこそ慣れなかったが、今では日常だ。
隣には綺麗な寝顔をしている彼、凪砂くん。
彼とは同じベッドで寝ている。世間体は良くないだろうけど、彼の要望だ。
もちろん同居してすぐの頃は別々で寝ようと提案し、しばらくは別のベッドで寝ていた。しかし、一人で眠る日が続いていると、人の温もりがないと不安で仕方ないと言っていた。
今の自分が何のために生きるのか、何をすればいいのか。沸々と湧き上がる苦悩が徐々に増え続け、隣に誰も居ない、一人孤独な時間を夜遅くに感じる。そんな寂しい気持ちが彼を絶望へと導いていたようだった。
夜遅くに物音がしたかと思えば、彼が布団から出て私の方へと歩みを進めていたのに気づいた。私に近づいたかと思えば、私の手を握ってベッドに腕を預けて床にしゃがみこんでいた。ただ手を繋ぐ彼に私の心は引き裂かれるように痛んだ。
私が気づいたのがたまたまその日であっただけで、もしかするともっと早くからSOSを出していたのかもしれない。最初は一緒に寝るなんてと躊躇った私だったが、しばらくその様子を見ていると、しびれを切らしてしまった。見て見ぬふりができなかったから。
「凪砂くん、私にしてほしいことはある?」
口を噤んで黙りこくる彼は、明らかに何かを訴えかけようとしていたことはわかっていたから。
彼から切り出してくれることを待っていたが、彼は自らの意見を発するのは苦手で、何かを頼むことなど難しいだろう。そう思い、私は彼に改めて尋ねた。彼が言葉を紡ぐのをゆっくり待って。
しばらく、私の目をみて様子を伺っていたが、私は彼がいつでも言えるように優しく微笑んだ。あなたは我儘を言っても良いんだよという気持ちを込めて。
「……一緒に寝てはだめ?」
それは彼から溢れた初めての願望だった。「だめなわけがない」と答える前に、同意を含む笑顔を彼に向けていた。その日の夜から、彼とは一緒のベッドで寝ることとなった。決してやましい気持ちなどはなく、これは彼に安心して眠ってほしいという私の勝手なお節介だ。
一緒に寝たいという意思を彼が言ってくれただけでも十分だったが、それでも彼は私に遠慮をしているようだった。
一人だけなら十分にスペースのあるそのベッドは二人眠るには多少なりとも狭いが、彼との間には少しの空間があった。手を伸ばせば触れられるほんの数センチの距離。彼との心の距離を見せつけられているようで心寂しかった。彼は私に完全に心を開いてくれていないのかもしれない。あんなことがあったのだから、ひとを頼るというのも無理かもしれないけれど。
それでも、いつも一人で眠っていたその寝床は、ひとが一人増えるというだけで温かく心地よいものへと変化した。
彼の寂しさを物語る背中を目の当たりにすると胸が痛んだ。彼の方が痛いはずなのに。
「まだ起きてる?」
「……どうしたの?」
私の突然の呼びかけに、こちらを向いた。私は彼に何ができるだろうか。そんな思いが私の中を駆け巡る。が、寂し気な表情を見るだけで答えは一つしかなかった。
彼を優しく抱きしめて、凍ってしまった心を温めてあげることだ。
黙って見つめる私の顔を不思議そうに見つめる彼の瞳には、興味と関心、そして年相応の好奇心が垣間見えた。痛む胸がさらに押しつぶされそうで、一呼吸おいて布団に手をかけた。
「おいで」
その言葉の意味を噛み砕くのに、少しだけ時間がかかっていた。しばらくすると、二人の間にあった距離が縮まる。部屋に差し込む月の光は彼の整った造形を引き立てた。トクンと心臓が鼓動した、気がした。
そんな熱のある考えは恐る恐る伸びる彼の腕によってかき消される。私に触れて良いのかという迷いからではなく、ひとに甘えても良いのかという迷いからだろう。
その様子を見ていると、言いようのない愛しさで溢れた。「大丈夫だよ」と言う代わりに優しく微笑むと、きゅっと私に抱き着いた。甘え慣れていないのが彼の力のない手から見て取れる。彼は今まで、無償の愛情を全身で受け止めたことがないのかもしれない。そう思うと、愛しさと哀しさで無意識に彼の背中を強く抱きしめていた。壊れものに触れるように優しく撫でながら抱きしめると、彼もそれに応えるかのようにすり寄った。
胸元にある温もりは、私にとって愛おしくて仕方ない。
静かな部屋で二人の呼吸だけが聞こえる。暗い部屋、月明かりが入りやすい位置のベッド。暗闇で私たちだけがスポットライトに当たるように指す外灯の光。そんな一筋の細い光でさえ、今の私たちを物語っているようだった。
眠りについた腕の中の彼はまるで幼い子供だ。彼は私より背が高いし体格も違う。そんな大きくて逞しい彼の脆い本心を見抜いて優しく包み込んであげられるひとは誰かいるのだろうか。いとも簡単に腕の中に納まってしまう彼を愛しく感じてしまう。いつもはできない彼への抱擁もここでならできる。そんな庇護欲を、彼を癒したいという建前を使って自身を満たしていた。
彼の息遣いが平和さを物語るように穏やかで心の底から安心する。腕の中にいる大きい彼、それでいて小さい子どものような彼に私の精一杯の愛を注ぎたいと思った。