ただ彼を目で追うだけ 03
彼にここまで好意を抱いているにも関わらず、一度も声をかけることなく三年が経とうとしていた。
彼に話しかけてはだめだと私の中で遠慮していたからだ。彼は席官で、私は一隊士。そしてあまりにも容姿端麗な彼に自分が釣り合うとは思えない。ただ彼のことを眺めてそれを糧に日々を頑張る、そんな距離感で良かった。今後も彼を見かけては小さな喜びとする、そう決めた。今の満たされた状態が崩れてしまうことが怖かったから。
しかし、そんな私の意志など揺らいでしまう出来事が起こる。
「十一番隊の皆さんが重傷を負って、今向かっているようです!」
頭から血の気が引く、という表現は今使うべき言葉だろう。彼は大丈夫だろうか、彼は無事なのか、そんな考えが頭をよぎる。今まで彼が重傷を負うなんてことはなかった。
そんな私の不安が的中するかのように、隊舎に到着した彼はいつも以上に傷を負っていた。頭から血を流し、片腕は動かないようだった。他の隊士に支えられて訪れた彼の姿に心がひどく抉られる感覚に陥った。
皆が慌ただしく治療をしていく中で、たまたまそのタイミングで手の空いた私が彼を担当することとなった。彼の悲惨な姿に衝撃を受けた私は一瞬何も考えられなくなってしまう。
「早く綾瀬川五席の治療を!」
その声と同時にはっと我に返り、いつもの調子を取り戻す。ベッドのある奥の部屋へ行くよう誘導して彼を治療しに行く。痛くないですかと声をかけ、肩に腕を回して横になるのを手伝った。
「すまないね……」
聞いたことのない弱々しい声だ。いつも楽しそうに笑い、いつも笑顔で友と語らう彼。そんな彼が衰弱する姿を見るのは心苦しい。目頭が熱くなるが、いまはそれどころではない。歯を食いしばり彼に「大丈夫です。すぐに治しますから」と言葉をかける。
「そうか、君が治療してくれるんだね……」
「はい。すぐに回復するよう努めますので、ご安心ください」
その言葉に安心したのか、彼は目を瞑り身を委ねてくれた。
通常では考えられないほど重傷を負う隊士が今日は多かったため、既に多くの霊力を使用していた私は無理をしていた。彼がいち早く癒えるように、元気になれるように。自らの力をすべて出すかのように彼の治療に専念した。例え、自らの霊力を使い果たしたとしても。
「大丈夫です。大丈夫……」
その言葉は彼に言っているのか、それとも私自身を鼓舞しているのか。私の霊力はいつ崩れてもおかしくないほど不安定だったと思う。それほど何も考えられず必死だった。
七割ほど回復しつつあったが、しばらくすると自らの霊力が危ないと感じた。こんなに肝心なところで。莫迦みたいに必死な私に気づいた周りの隊士は彼の治療を手伝ってくれた。情けなさを一瞬感じるも、その助けなしには難しいことが自分でもわかっていた。
「……ごめんなさい」
「何言ってるんだ、いつものお前の働きに比べればどうってことない」
「そうだよ。もっと頼ってよね」
皆は私が何か拘りを持って彼の治療をしていることを薄々気づいたようで私を止めることはなかった。仲間の優しさに触れることで乾きそうになっていた心が沁みるように温かく潤う。先程とは異なる胸の疼きで目頭が熱くなる。
そうだ、落ち着こう。今はただ彼の回復に尽力しよう。
他の隊士の力も借りてようやく彼の容体は落ち着いた。治療中にいつの間にか眠っていた彼は穏やかな表情に変わっていた。今しがた力のこもっていた手はよく頑張ったなと先輩に言われてことですっと力が解ける。近くにいた隊士も労りの言葉をかけてくれた。
辺りも一段落ついたのか、先程の凄惨な現場とは打って変わって和気あいあいとした雰囲気に変わっていた。
十一番隊の隊士は既に元気を取り戻したのかいつものように騒いではすぐに帰ろうとしている。すると卯ノ花隊長の笑顔が彼らに向き、大人しくなる。いつもの治療後の光景だ。
「よかった……」
その様子を見てほっとした私は突然大きな眠気に襲われた。彼の穏やかな寝顔を見て安心しきったのか、彼の優しい表情の記憶を最後に私の意識はそこで途絶えた。
遠くで話し声が聞こえる。段々それが近くなる。バタバタと忙しない足音と共に聞こえるのは楽しそうに笑う同期たちの声だった。人が行きかう気配にハッと意識を取り戻す。目を覚ました頃には、すっかりいつもの隊舎の雰囲気に戻っていた。皆が慌ただしく片付けをしている最中だった。
「あ、起きた?」
「……今日はもう終わり?」
「そうだよ。いつも出さないほどの霊力を無理して使ってたんだって? ぐっすり寝ていたよ〜」
どうやら四時間近く眠っていたらしい。いつのまにかソファに移動しており、毛布がかかっていた。
私が綾瀬川五席を治療した後はもう重症の隊士は来なかったようで、それからは他の隊士たちも一息ついていたらしい。
先ほどまでいた重傷者はいつものように詰所へと運ばれ、軽傷者は既に四番隊舎を後にしていた。落ち着かず見回しても綾瀬川五席の姿もなかった。
「私が治療した方は……?」
「あぁ、もう帰ったみたいだね?」
「そっか。よかった」
彼は無事に元気になり帰ったそうだ。皆、仕事が終わったとはいえ片付けに掃除にとまだまだ大忙し。私も片付けをしなくては。そう思い、かかっていた毛布を畳んですぐさま立ち上がった。
「ソファまで運んでくれてありがとう」
「え? 運んだのは私じゃないよ。他の人じゃないかな」
「あぁ、そうなんだ……」
自らの手のひらを見ては虚しさを感じた。彼を治療したのは幻だったのか、そう思わせるほど抱えた時に感じた彼の体温も、治療をした彼の面影も四時間経った今では既に残っていなかった。
それでも微かに残った彼の霊圧だけは確かにそこにあった。私は少しだけ彼のいた病床を見てすぐさま片付けを始めた。