「明日、君は来るの?」
主語を言わない彼だが、"明日"といえば一つしかない。
「うん、凪砂くんのアイドル姿、見たいから。」
「……良かったのかな。茨に頼めば、君にいい席を用意できたのに」
何度もそう言う彼。本当は私を招待したかったのかもしれない。それでも彼に甘えず、一ファンとしてアイドルの彼を見たい。
「こういうのはプライベートで行くから良いの! 会場真っ暗だし、私もそんなに近い席じゃないから私のこと見つけられないかもね」
「……見つけられると思う」
「え? どうして?」
「君は他の人と違うから。すぐにわかる」
どういうことなのか全くわからずに頭にハテナマークを浮かべる私を見て凪砂くんはふふっと笑う。さすがの彼でもあんなに暗い場所では私のことは見つけられないと思う。
でも本当にどこにいても見つけられるならばとてもロマンチックなお話だ。
「疑っているの? ……絶対に見つけられるよ。もし見つけられたら、何かしてほしいな」
「うぅん……わかった」
自信満々にそう言い放った彼を見ているともしかして……と思うがいやいやまさかとすぐに否定する。彼を何だと思っているんだ私は。これはファンに対してアイドルが言うようなリップサービスみたいなものじゃないか。
そう思っているうちにこんな会話をしたことなど、ライブに行く楽しみと興奮でいつの間にやら記憶から抜け落ちていた。
*
賑わった会場に入ると、突き抜けた天井にキラキラと輝く照明や大きなステージがあった。周囲では皆思い思いの胸の内を語っていて、緊張感が高まる。もう少しで開演する。
ナレーションの声に喜びの声があがる。私も胸が高鳴って仕方なかった。
私は"良い席"とはお世辞にも言えない場所で、どのアイドルたちからもファンサービスを受けても一人一人の顔は恐らく見えない。こちらの方向にファンサービスをしてくれている、と感じるような。そんな遠い席だった。
彼はいつ来るのかとそわそわしているうちに彼が所属するEden以外のユニットは曲が一通り終わった。そして、大きい歓声と共に現れたのはEdenだった。圧倒的な実力と孤高の存在を見せつけるかのような雰囲気を漂わせていて、普段の彼からは想像がつかないほどのギャップにクラクラする。
彼女だとか彼の知り合いだとかを抜きにして、私は一ファンとして惹かれていた。ステージ上の彼に。
ライブを楽しんでいると、曲中に花道をメンバーが歩いて移動していた。多方向にファンサービスをしてはファンの歓声は鳴り止まない。
私は相も変わらず彼ばかりを目で追っていた。こちらを向いてくれないかな、と思いながら持っているペンライトを振っていた。
その時、突然彼がこちらの方を振り返り、鋭い瞳を向けながら投げキッスをした。これは比喩などではなく、本当に心臓が撃ち抜かれたような、そんな衝撃が体中に走った。
「 キャー! 」
そんなに珍しいのか、彼がファンサービスをした瞬間に会場は今まで以上に沸きに沸いた。
盛り上がるファンたちとは裏腹に私はただただ驚く。これが「私にファンサしてくれた!」と勘違いする思考なんだろうか。確実に私と目が合って、私にしてきたのではないかと錯覚する。
そんなはずはないとは思いながらも彼のその行動にえも言われぬ高揚感に襲われた。その後も彼はこちらの方向にファンサを多くしてきた。気がする、多分。
しかしこんなに遠くて暗い場所にいる私の顔なんて到底見えるわけがない。気のせい、たまたま、偶然だろう。そう言い聞かせながらも、アイドルの彼はこういうサービスを雄々しく、そしてどこか艶めいた表情でファンにするんだなぁという複雑な気持ちも生まれた。
彼がアイドルをしていることは重々承知の上で、生意気な嫉妬心だ。この気持ちを彼に言っては困らせてしまうので、内緒にしよう。ただ、今日の私は彼女ではなく彼のファンとして楽しむことができたのだから、満足だ。
ライブが終わって興奮が収まらないまま私は家へと帰った。まだ晩になったばかりだが、慣れない場へ赴いたことと興奮し切った心身は疲れ果てていた。
彼はライブ後の打ち上げなどがあるだろうと思い、「先に寝てるね」とだけ送って疲れた身体を休めるように眠りについた。
*
朝目が覚めると、隣で彼が眠っていた。いつの間に帰って来たのか、既に着替えを済ませていた。スマートフォンを手に取ると彼からのメッセージが1件届いていた。よっぽど眠りが深かったのか、通知には全く気づかなかった。送られていたのは昨晩の22時。ちょうど彼が打ち上げに行こうとしていたあたりだろうか。
メッセージを開くと「見つけたよ」と、その一言だけが送られていた。何を見つけたのかよくわからなかった。彼をチラリと見ても深く眠っているようだった。起きたら確認してみよう。
疲れている彼を起こさないようベッドから離れ、いつものようにキッチンで朝食を作る。彼は例え休日だとしてもいつも通り起きて1日を過ごす。
今日はライブ後なこともありお休みだと聞いていたが、いつも通りの時間に起こしに行く。朝食を作り、彼を起こしに行く。それがモーニングルーティーンのようになっている。
寝室に入ると、静かに寝息をたてていた。暫く彼の寝顔を見ていると、うぅんと唸った彼が重たい瞼を開ける。眉間に皺を寄せて眩しい光に負けないよう手で光を遮っていた。その行動もなんだか愛らしくて知らないうちに口角は上がっていた。
そんな私がいることに気づいたのか、朧げな目で私を捉えるとすぐに「……おはよう」と柔らかく微笑んだ。昨日のステージ上での姿とは打って変わっていつもの彼だ。
このギャップはとんでもなくズルい。私をどこまでときめかせるんだこの人は。胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
「凪砂くん、朝だよ。もう起きる?」
「……うん」
「じゃあご飯食べよう」
「昨日のライブ楽しかったよ。行けて良かったぁ。凪砂くんすっごくかっこよかった」
「ありがとう」
「あまりステージから近い席じゃなかったから表情とかがはっきりと見えなかったのは残念だったけどね」
昨日の熱が冷めず、彼に長々と昨日の感想を語っていた。
「……たしかに、君はDブロックのスタンド席だったもんね」
「そうなんだよね〜、すごく遠くてーーん?」
私の話に耳を傾け、綺麗な所作で物を口へと運ぶ彼は、私が固まっているとはつゆ知らず、丁寧に朝食を口にしていた。彼はどうして私の席を知っているんだろう。
「な、凪砂くん」
「どうしたの?」
突然名前を呼ばれた彼は頭にはてなマークが浮かぶような表情をしていた。
「あ、いや凪砂くんに座席って教えたかなって思って」
「いや、教えてもらっていないよ」
「……だよね!?」
「……言ったはずだよ。君がどこにいてもわかるって」
嬉しそうにそう話す彼は、伏せていた瞼を開き、しっかりと私の瞳をを捉えた。そういえばライブ前日にそんなことを言っていたかもしれない。彼の冗談だと思っていたらまさか本当だったとは。
「どうしてわかったの? 暗かったし顔はっきりとは見えなかったでしょう?」
「君の気配がしたし、君からの視線を感じたから」
「す、すごすぎる……」
「……君のことが、好きだからね」
ふふっと瞼を閉じて自慢げにそう言う彼。誰でもできるようなことではないと思う。私が彼の立場だったら見つけられる自信はない。彼は本当に凄い人なんだと改めて感じた瞬間だった。
「……君は私に持ってたった一人の愛する人だから、不思議と輝いて見えているのかも。ステージから君を見た時、少し素が出てしまいそうになったけど抑えたよ。あくまでも私はEdenの乱凪砂だからね」
「さすがだね」
「……」
彼が黙ってじっと見つめる。もしかして褒められたいのかな。
「凪砂くん偉いね」
「そうだね、私は偉いんだ」
得意げに笑う彼は可愛くて、頭を撫でたくなる。そう思い、腕を伸ばすと私の手は簡単に彼によって取られる。
「だから。約束通り、して欲しいことがあるんだ」
「……え?」
「見つけられたら。お願いを聞いてくれるって、約束した」
「あ、そうだった……? 何かしてほしいことあるの?」
「うん。……君からキス、してほしい」
そう真剣な表情で告げる彼は、ステージ上での彼と少し重なるが私にしか見せない表情だった。
「えっ、そんなことでも良いの?」
「君にとってはそんなことでも、私にとっては重要なことだから」
「そ、そうなんだね」
「……君からして貰えると、疲れも取れる。と思う」
「わ、わかった。でもその前にご飯ーー」
と言って彼の前にある食器を見るといつの間にか空になっていた。どうやらすぐにするしかないようだ。椅子を引き、立って彼の方まで行くと待っていたと言わんばかりに体ごと横を向き顔を突き出した。
思えば私からキスすることなんて、数えるぐらいしかなかったかもしれない。そう考えると、特別なキスを今からするという引き締まる思いになる。
少しだけ彼の唇に触れると「もう一度して」とねだられる。もう一度啄むようにキスを落としても再び催促される。
それを何度も繰り返すうちに、彼も堪えられなくなったのか、私を追いかけるかのように彼からもキスをするようになって、腕を捕まれ引っ張られた。バランスを崩すも、彼の強い力によって背中を支えられ、彼の腿の上に跨るようにして座った。
先ほどよりも密に触れる体のせいで私の心臓の音が鮮明に聞こえた。彼の体にも響いているのではないかと思えるほど激しく音をたてる心臓はもう破裂しそうだった。
彼もキスに夢中で熱が高まっていき、私の唇を食べてしまうように角度を変えてキスをせがんだ。腰を支える彼の手も心なしか熱くなっているようで、彼が触れている所から熱がじわりと伝わってくる。
「ん、はぁ。……なぎさく、私からのキスがご褒美じゃ、なかったの……?」
「……私がねだったのは君からのキスだけど、私からしていてもすぐに君からキスをしてくれるから。間違いではないよ」
「う、屁理屈」
ふふ、と笑う彼をキッと睨んでも、口付けられて余裕のない私の表情は全く怖くないのだろう。彼が楽しそうに笑っているから。
「……君とこうしていられるなら、私はどんなことでもしてしまうから。覚悟していて」
真っ直ぐな瞳でそう言われては目を逸らすこともできなかった。彼の熱い瞳は私を誘っているようで、彼に触れたい、愛し合いたい、という衝動に駆られる。
ぐっと近づき、彼を見下すと私の髪が彼の顔を囲って影を作る。私と彼だけの小さな空間は私たちを満たすのに十分だった。幾度も角度を変えた口付けをするたびに私たちは溶け合って一つになっていた。
お互いもっと近づきたい、という気持ちが加速してキスが止まらなくなっていたのだろう。私が息苦しくて参ってしまうまでそのキスは続いた。