綺麗な凪砂くんと出会った普通科の女の子のお話
過去軸なので凪砂くんの話し方が今とは違います。
⚠︎夢ノ咲学院の土地について少しだけ捏造している部分があります。
⚠︎糖度は低めのお話です。
彼との出会いは突然で、冷ややかであり美しいものだった。彼との出会いは私の日常をがらりと変えた。それほど、彼の存在は私にとって大きかった。
あれは喉がカラカラになるほど暑い夏の日の出来事。
いつも通りこなす体操を適当に済ませた後、集合がかかったと思えば、今日は自由時間だと先生に伝えられた。
クラスメイトは喜んでいて、各々がなにをするのかを話していた。
私はというと、暑くて何をしたいか考えるのも億劫だった。しかし、クラスメイトたちはこの状況を目一杯楽しもうと、目をキラキラと輝かせて今からすることを話し合っていた。
「じゃあ、決まり!」
ぼーっとしている間に決まっていたのか、外で野球をすることになった。この灼熱の中、外でだ。正気なのかと呆れていた私だが、友人に腕を引っ張られて参加する羽目になった。
乗り気ではなかったのことを友人は知っていたため、一部の女の子は観客としてプレイを見ているだけになった。参加している女の子もいて、クラスの仲の良さを肌で感じることができ手微笑ましかった。ただ見ているだけの私たちは、木陰で涼みながら駄弁っていた。
すると、クラスでもいつも元気な男の子が力強く、そして快い音をたてながら大きくバッドを振った。「ホームランじゃない?」「やったー!」などという声が上がり、誰もボールの行方を最後まで見ていなかった。
運良く(良いのか悪いのか)私は最後までどこに落ちたか見ていた。何やらテラスの方まで行っていたようで、ボールは飛んでいるところを捉えられないほどには遠くへと飛んで行ってしまった。校庭をゆうに超えているため、私は心配になり「取ってくるね」と一言残してボールが飛んだ方向へと駆けた。
落ちたと思っていた場所よりも遠く、この暑い中走っていた私は早々に息をあげていた。すると水道の蛇口がある給水所を見つけて一休みすることにした。
一体どれだけ遠くまで飛ばしたのか。野球部に入るべきなのではないか。などと、呑気なことを考えながら口に含んだ水道水をゴクゴクと飲み干した。
この距離からも聞こえるクラスメイトの声が耳に入るとハッとする。そういえば授業中だった。こうしてはいられないと思った私は再び重い足を一歩、一歩と踏み出した。
すると、華やかな庭園のようなところへと抜けていた。こんな場所、学院にあったの?
色とりどりの花たちが咲いている。私はまるで御伽噺に出てくるような非現実的な光景を目の当たりにして、そろそろ熱中症ではないかと疑った。
くだらないことを考えていると行き止まりになっていた。思ったよりもこの庭園は広く、迷ってしまったみたいだ。
しかし、この方向であっているはず。ふと目に留まったのは、大人がひとり通れそうな穴だった。腕時計を見ると授業が終わるまであまり時間がないことから、ここを通るしかすべがないとその小さな穴から進むことを決めた。
進んだ先には大きな木々が連なっていて、木の根本にはうちのクラスが飛ばしたであろう野球ボールが転がっていた。
「あった!」
ふと顔を上げると、その木々の向こうからは、眩しいくらいに明るい光がこちらに差し込んでいた。
暗い茂みを照らすように。
この先は確か、兎小屋。
眩しい光に目を細めて悪戯に木々の向こうへと足を動かしていた。
そこにいる一人の生徒を見かける。盗み見ているも同然なので、バレてはまずいと思い何も言わずに静かに戻る。が、その人の顔の綺麗さに圧倒されてしまった。
「あんなに綺麗な女の子、いたんだ」
我に返り、すぐに戻らなくてはと来た道を素早く駆け抜けた。
見慣れたグラウンドが目に入った。
私は少し足を止め、今来た兎小屋がある方向を見つめ返した。女の子。いや、スカートではなかった。一般的に女性生徒のほとんどはスカートを履いているはずだ。
それに、あんなに綺麗な女の子がいればみんな噂するはずだ。違うとすれば、それは――
「もしかして、アイドル科の生徒?」
あの綺麗な子は男の子だったのかもしれない。
そんな確信に変わった私は、嬉しくて涙がこぼれ落ちそうになった。泣きそうな割には口角は目一杯上がっていたと思う。
「ナマエ、遅いよ〜。って何その顔」
「……へ?」
友人の問いかけにもまともに答えられないほど、私の頬は緩まっていた。
「なんでもないよ!」
嬉しそうな声色でそう言うんだから何もないわけはない。が、勢いに圧倒されたのか、友人たちはハテナマークを頭に浮かべているだけだった。
そんな友人たちを他所に、私の頭の中では彼女――改め、彼の綺麗な横顔、伏せ目がちな瞼、そして白い肌が私の脳裏を過ぎって離れなかった。
私立夢ノ咲学院には複数の学科がある。普段私の所属する普通科はアイドル科との関わりが少ない。
最近ではドリフェスと呼ばれるアイドル科が不定期に行っているイベントがあるらしく、私の友人も観覧しに行っているみたいだ。
今の今までアイドルに興味がなかったため、どういった人たちなのかは知らなかった。それに、最近までアイドル科はあまり治安がいいイメージもなかった。
彼がアイドル科だということも定かではないが、私の直感がそうさせていた。アイドル科以外にあんなにも綺麗な人がいれば私でさえ認知するだろう。
それでも見かけたことがないのは、関わりが少なく稀有ではないアイドル科なのではないか、という仮定だった。
あれからというものの、私は彼のことが忘れられずにいた。授業中にはずっと彼のことを考え、部活中でも家でも幻のような彼を思い出す。
彼のことを思い出してはため息をつく。これは紛れもなく恋煩いだった。考えるだけで胸はきゅんとときめいていたからだ。
また彼に会いたい。
そう思った私は、この間のように暑い日。再び兎小屋に赴いた。
前と同じように木陰に隠れる。やはり、今日もいた。美しい『彼』が。
『麗しい』という言葉は彼のことを言うんだろう。彼の周りだけがぼんやりと明るく輝いている。
うさぎに餌をやる姿に胸が強く疼き、愛しさが溢れていた。彼とはまだ話したことがないのに。
これが彼の魅力とも言えるのかもしれない。妖しくて吸い込まれてしまいそうな美しさ。
話したことがない。なら、話してしまおう。そんな悪魔の囁きが私の脳裏に横切った。
拳をぎゅっと握り、深呼吸をする。手には汗が滲み出ていた。
兎小屋に近づくと、彼の姿を明瞭になっていく。遠い、見ているだけの彼から、目の前の、話しかける対象としての彼だ。
「あのっ……!」
フェンス越しに話しかける。兎を撫でていた手がとまり、こちらをゆっくりと見上げた。
すっと立ち上がった彼はきゅっと結ばれていた唇を開いた。
「……えぇっと。こんにちは、です。」
「こ、こんにちは」
妙に片言な彼の言葉遣いはより一層、彼の人となりを不思議なものに見せていた。
「あの。……お、お名前を伺っても良いですか!」
「……私は、私の名前。なぎさ、乱凪砂。です」
「なぎささん……」
何も言わずに地面にしゃがみこんだ彼が草をかき分けて近くの砂に指で何かを書き示したと思えば、自分の名前を文字に起こしていた。
「わ、あっ! そんな地面にわざわざ書かなくても!」
必死に彼に説くが、何も気にしていないような素振りで私を静かに見ていた。「大きい声をあげてごめんなさい」と思わず謝ってしまうほど、彼は私を見透かすような瞳をしていた。
彼の気迫に思わず後退りしてしまう私に、彼は言葉を続けた。
「……見ていた人。ですね」
「はい、そうです……え?」
もしかして気づかれていた? 気持ち悪がられているだろうか。もうここには来られないのだろうか。何も言わずに百面相をする私に対して何も言わず再びうさぎに餌をあげていた。
思っていた以上に不思議な人柄をしているようだ。もう私のことに興味がないようだった。
不思議なひとだ。
それが彼への二度目の印象だった。彼の話を聞いていると不思議な気持ちになった。
「あの、入ってもいいですか……?」
「……私の許可は必要ないと思う。思います。ここは私の場所ではないから」
これは良いということなのだろう。小屋の扉を開いて中へと入った。
その時には彼の関心はすでにうさぎへ戻っていた。
「凪砂さんは、アイドル科ですか?」
「……はい、そう。そうです」
拙い言葉に、拙い話し方。益々彼への興味は湧いていた。
しばらく会話を続けていると(というか私が一方的に話しかけていたに等しい)彼がこの世界に嘆き、悲しんでいることを知った。
脆く、儚いひとだと思った。
それでも、不思議と失望はしていないようだった。目には光が宿っていたから。
楽しく話を続けていると、兎小屋の扉がギイっと開いた。
突然のことにビクリと体を動かした私は兎を驚かせてしまった。
「あれ? 凪砂くん以外にもひといたんですね。どなたですか? もしかしてファンの子ですか?」
見られてしまった驚きと焦りでガバッと立ち上がった私は、「失礼しました!」と声をあげてその場を後にした。
ひとに見られてしまった。
そのことが気がかりで、冷たくも、彼との暖かみを感じるあの兎小屋から一目散に逃げていた。
私はしばらく例の兎小屋に寄ることはなかった。
あの暑い日など忘れてしまうほど、もう季節も変わっていた。
以前は授業中でも家でも胸の高鳴りを抑えられずにいたが、今では何をするにも脱力感がついてくるようになった。
友人には「ナマエ最近どうしたの?」と心配された。しかし今までアイドルに興味のなかった私が「アイドル科の人を見に行っていて、」なんて説明することはできなかったし、誰にもこの胸の内を明かすことなんてしたくなかった。
神秘的な雰囲気を纏った彼の存在は、私の日常をいつの間にか非日常へと変えていたのだった。
そんな中、fineと呼ばれるユニットがあることを私は知る。彼はfineと呼ばれるユニットに所属しているらしい。
情報はそれだけだった。友人や周囲の人に聞けば答えてくれるだろうが、今まで興味を示さなかった私が尋ねたら不審がられるだろう。
そう思った私は、彼のことを忘れるようにあえて口にはしなかった。
後日、先生にアイドル科の職員室へ持っていって欲しいものがあると頼まれごとを受けた。あの一件があったこともあり、気が進まなかった。
それでも、内心彼にまた会いたいと思っている私がいた。
職員室へと届けると、あの兎小屋が目に留まった。窓から見下げるそこは、この間よりも小さなものに見えた。
私は導かれるように足を動かしていた。
人影が、彼が見えたから。
私が小屋に近づくだけで、気づいていたようだった。ただ、私が小屋に近づいているだけであって、それが彼の興味の対象ではない。
この間のように兎小屋に入って彼と話したいと、浅ましくも思ってしまった。
ああ、やはり彼を目の当たりにすると離れることなどできない。
「……この間の」
「はい。お久しぶりです」
「……最近は来ていなかった。ですね」
何か言わなくては。
「ちょっと、部活が忙しくて」
「……『部活』」
はい、と言うと何やら頭を巡らせた彼が言葉を紡いだ。
「それは楽しい、ですか?」
「え? あ、はい。友人と楽しく活動してます」
納得したようにうさぎを見つめていた。何を考えているのか、わからない。
それでも不思議と怖くはなかった。
彼と私は同い年のようだったが、彼は話し方を模索している最中のようだった。以前と変わらない。それが少しだけ嬉しかった。
しばらく沈黙が流れる。それでも負けじと、彼に話しかけたかった。話したかった。
「……凪砂さん。凪砂さんって、『fine』と呼ばれるユニットに所属しているそうですね?」
「はい。そう、です」
その話題は正解だったのか、途切れ途切れではあるが、語りはじめていた。
拙い言葉で紡ぐ彼の話には、度々『日和くん』という名が出てきた。彼にとって大切な友人らしい。
楽しく『日和くん』のお話だけをしているので、ふと、他のメンバーは? と質問をした。単なる興味からだった。
すると、雲行きが怪しくなっていた気がする。高揚していた表情が打って変わって、少しだけ冷たいような、悲しいような。そんな表情をして、先ほどよりも口数は少なくなった。
微妙な空気が流れていると感じた私は、話題を変えようとした。が、水滴が空から降ってきた。
ポツン、ポツンと控えめだったソレは次第に強まっていた。
うるさい雨足が、彼と私の間を遮る。
校舎に戻らなくてはと思った私はうさぎを小屋の中に避難させて彼を連れて出た。
雨が当たらない場所に移動しても、彼との会話が続くことはなかった。雨の音も大きく、彼の言葉はもう、聞こえない。
勝手に気まずくなってしまった私はその場を去り、重い足で家へと帰ったのだった。
それから。
それからはよく覚えていない。
いつの間にやら季節は変わっていたので恐らく半年近くは経っていただろう。
友人たちがアイドル科で何かあったことを騒いでいて、『fine』が解散をしたと聞いた。それに驚いた私は友人に問いただし、会っていたことがバレてしまった。
友人たちの驚きように、彼が偉大なひとだったことを知った。そして、もうすでに学院にいないことも。
いつかまた、会えるだろうか。そんな想いを馳せながら、退屈ないつもの日常に戻っていった。
否、以前よりも胸にぽっかりと穴が空いたような。そんな悲しい事実を持ちながら。
思えば、彼を初めて見た日。
通ってきた場所はいつもの見慣れた木々とガーデンテラスだった。なぜあのガーデンテラスが色とりどりの花々で埋め尽くされていたと感じたのか。
もしかすると、彼との出会いがそう思わせたのかもしれない。
暑い真夏に見た幻は、彼との思い出を美化するかの如く、私の中でキラキラと輝いていた。
冷たくも、凍りついた彼の心の中には、綺麗な花が咲いていたような気がした。