「あ゙〜〜〜〜」
布団に違和感を抱いた途端一気に覚醒し、ガバっと布団を勢いよく退けると案の定衣服に染みをつけていた。
「…………最悪だ」
またやってしまった。
最近見るのは『彼女』が出てくる夢。
それだけなら聞こえはいいが、内容があまりにも酷い。彼女を一方的に犯す夢だ。
「欲求不満なんすかねぇ……」
誰に聞こえるわけでもない呟きを溢せば、生温いベッドを後にした。
――――彼女への感情。
それはドス黒くて醜い欲の塊だ。
『思春期』と言ってしまえば聞こえのいいことかもしれないが、付き合ってすぐの彼女としたいだなんてあまりに身勝手な欲求だ。もちろん彼女のことを大切にしたいと思っている。段階を踏んだ上で行為に臨みたいというのも頭では考えてる。が、本当のオレはそうじゃないようだ。
穏やかな青空がオレを嘲笑っているかのようで清々しいとは言い難い朝だ。天気は良いというのに胸はざわついたまま。
「ジュンくんおはよう!」
「うあ゙っ!」
「わっ! どうしたの⁉」
突然背後からした聞き覚えのある声に不自然に大きな声を出してしまう。振り返るとオレの反応に驚いた彼女がいた。ちょうど朝見た夢に出てきた例の彼女だ。
純粋な眼差しが今はあまりに眩しい。陽の光のせいなのか、オレの心が汚れているからなのか。そんなことはどうでもいいことだった。いずれにせよオレが彼女に抱いている感情は褒められたものではないから。
不意に指先が絡み、柔らかい手で包み込まれた。何が起きているのか理解するのにそう時間はかからなかった。反射的に身体を大きく動かしてしまう。
「う、わぁ!」
彼女が触れた所からぶわっと熱が身体中を駆け巡る。無意識に発した声は自分でも驚くほど大きく、気づいたときにはもう遅かった。
「……ジュンくん」
「な、なんすか?」
「最近、私のこと避けてる?」
「え。あ、いや……」
「私、何かした? 嫌なことしてたならごめんね」
眉尻を下げて元気がなくなる彼女にズキリと胸が痛む。一人歩きする妄想のせいで彼女に迷惑をかける自身を許せなかった。自然と手は離れ、オレより先を歩く。
トボトボと聞こえそうな小さな背中に何か言わなくてはという衝動に駆られる。
「あ、あの!」
焦りを含んだ声に彼女はピタリと足を止める。振り返ったことで見えた切ない彼女の表情にまた胸が痛くなる。
「すみません。その、いざ付き合うってなるとどう接していいのかわからなくて……」
言い訳がましいがこれは嘘じゃない。付き合ってから彼女に近づくのが怖かった。これ以上近づいたら何も考えずに先走ってしまいそうだから。あの夢のように。
「私もジュンくんのことが好きで無意識に変なことしてないかなってちょっと気にしてる時あるよ。一緒だね」
クスクス笑いながら、オレの目を真っすぐ見て嬉しそうに微笑む。
違う。
オレが悩んでたのは彼女みたいに清廉なことではなくて、もっと薄汚いものだ。
それでも、彼女もオレを好きで気にしていることがあるんだと思うと不思議と口角が上がっていた。
「はは、そっすね」
嬉しそうに、恥ずかしそうに頬を赤くする彼女が可愛くて今朝の重苦しい心は自然になくなっていた。
「そうだ。今日ジュンくん、部活ないんだよね? じゃあ、放課後どこか遊びに行かない?」
「いいですね。どこ行きたいすか?」
「そうだなぁ。最近できた――」
暖かい陽だまりのような彼女の笑顔に罪悪感を抱きながらも、嬉しそうに話す姿が可愛くていつも通り話せるようになっていた。
その日は授業中もずっと放課後の彼女との時間を思い浮かべてはニヤニヤする顔を抑えていた。楽しお時間が待ってるかと思うと時間が過ぎるのも早かった。
はずだったのに。
「はぁ……」
待ちに待った放課後。オレは正面玄関で足を止めた。外にはザーッと激しい音が鳴り響く。
その光景を目の当たりにして思わず溜息をついた。昼過ぎから徐々に雲行きが怪しくなっていたが、ここまでとは。
オレの気持ちを踏みにじるように雨脚は止まりそうになかった。
「大人しく帰れってことっすか」
雨が降るなんて知らなかったので傘は持っていない。これはどこにも寄れずに帰るしかなさそうだ。
「ジュンくん、行こう」
騒がしい雨音に紛れた明るい声。振り返ると、この悪天候には似つかわしくない満面の笑みを浮かべた彼女が立っていた。
「こんな天気なんで、このまま帰りましょうか」
明らかに残念だという表情をしながら彼女にそう伝えると、返答がないまま空を見上げていた。彼女も激しい雨脚にショックを受けているのかもしれない。あんなにも楽しそうに放課後の話をしていたのだから。
「……走ろっか!」
そう言って突然走り出した彼女に驚く隙もなく手を引っ張られた。慌てるオレのことなど構わずに嬉々とした思いが滲み出る背中を見つめて足を早める。
「風邪ひきますよ!」
「え?」
騒がしく打ち付ける雨音のせいでオレの言葉は彼女にうまく届かない。
「だから! 風邪!」
「かぜ?」
オレの声を聞こうと走りを止めた彼女。
「そうっすよ。風邪引いちゃいますよ」
「大丈夫!」
ふふっと微笑んで濡れた髪を気にせず再び走り出した。大雨なのに、びしょ濡れになっているのに、何故か彼女は楽しそうだった。そんなオレも楽しそうに笑う彼女が可笑しくて思わず頬が緩んでいた。
「やっと着いた〜〜!」
互いに呼吸を確かめ合うように目を見合わせ、嬉しそうな声をあげていた。立ち止まった先は彼女の家だった。
鍵を開けて玄関に入ると二人とも雨でびしょ濡れだった。
「濡れちゃってごめんね。でも、青春みたいだったね」
悪戯をする子供のように無邪気な笑顔を浮かべる彼女。そんな可愛い表情をされては何も言い返すことができない。
「今日は行けなかったですけど、次こそは行きましょう」
「うん。あ、タオル持ってくるから待ってて」
「そんな良いっすよ。すぐ帰るんで。あんたも早くシャワー浴びた方がいいですよ。風邪ひきますから」
繋いだままなのを良いことにグイッと手を引っ張る。彼女の視線が落ちたことに気まずさを感じ、パッと手を離した。
「傘、貸してあげようか?」
「すぐそこですから走れば大丈夫です。それにもうびしょ濡れなんで」
早口でまくしたてるように言葉を繋げてへらっと笑っう。その勢いのまま「じゃあ、また明日」と玄関を後にしようとした時、
「ジュンくん」
彼女が改まった声色でオレを呼んだ。ガラリと変わる空気に緊張が走った。
「な、なんですか?」
「……今日、家に誰も帰ってこないの」
「え」
「だから、ね。せっかくだからうちに寄って行かない?」
「へ? あ……え、えっ⁉」
気の抜けた声が出て、一瞬耳を疑った。変な声に変な動きをしてしまって格好悪い。こんな状況で彼女の家になんて入ったらどうなってしまうんだ。
ほんの一歩。この玄関口に足を踏み入れるだけで何かが一気に崩れてしまう気がして躊躇う。ドンッドンッとありえない心臓の音がする。俯きながら裾を引っ張る彼女に固まることしかできない。そんなオレの様子を伺うように潤んだ目をこちらに向ける。
そんな目で見つめられては断ることもできなかった。彼女に流されるまま靴を脱いで家に足を踏み入れる。
「失礼しますよ……」
おずおずとした足取りで廊下を歩く。
一歩、ニ歩と足を進めるたびに鼻を抜ける香り。まるで彼女に包まれるようで心拍数は徐々に上がっていった。
洗面所に案内されてタオルを探してくれる。オレは気持ちが落ち着かない。何か見てはいけないものがあるかもしれないと思うと迂闊に見回すこともできなかった。
「ふふ。ジュンくん、借りてきた猫みたい」
気まずい気持ちが明らかに出ていたのか、オレの反応を見て面白そうに笑っている。オレにとっては一大事だというのに。
こんな欲だらけのままではオレの理性がもたない。雨によって濡れて肌に張り付いた髪。シャツから透けている彼女の下着。視線だけをさりげなく落とす。彼女に気づかれないようチラリと。
「どうしたの?」
「……いやなんでも。ないっす」
早急にタオルを受け取って視線を彼女から他のものに移そうとする。
「ねえ、やっぱり風邪ひいちゃうからシャワー浴びよう?」
その言葉を聞いた途端、頭にカッと血が上った。俺の気も知らないでそんなことを言うなんて。悪魔のような囁きにこれ以上は耐えられる気がしなかった。
「あっちで待ってるんで、あんただけでもシャワー浴びてきちゃってください。オレはタオルがあれば大丈夫なんで」
そう言って洗面所を出ようとした途端、彼女に服の袖を掴まれた。
「だめだよ。ジュンくんも風邪引いちゃうから、一緒に入ろう」
「は、はあ!?」
手を伸ばせばすぐに触れられる距離。彼女は何を言っているんだ。額に筋を立てながら若干怒りを覚えてしまう。わかって言っているのだろうか。オレが彼女をどれだけ邪な目で見ているのかを。
上目づかいで見上げる彼女の艶やかな唇から危険な言葉が発せられる。耐えられる気がしない。自らの意思とは裏腹に下半身が疼き、痛いほどに心臓もえぐられる。
オレは彼女の両肩を持ち、勢いよく体を突き離した。
「これ以上、オレをどうしたいって言うんすかッ……」
これ以上近づいたら思春期特有の彼女への深い欲を止められることができない。
何も言わずにいる彼女の顔をよく見ると、ほのかに染まる頬でオレの視線を避けていた。彼女も少しは期待しているのか。伏目がちの瞼に目を奪われ、期待ばかりが膨れ上がっていく。このまま彼女と――。
が、これがオレの勘違いだったらと思うと、彼女へと伸びる手がためらう。妙な沈黙が二人の間に流れる。しっかりしろ、オレ。
力の入る手を必死に抑える。自ずと震えていて、優しくしたいという気持ちから手は宙を空回る。触れられない距離でもないのに、触れた途端に理性を失ってしまいそうで触れられない。
「痛かったっすよね。すみません」
首を振って口を噤む彼女。せめて怖がられないようにしなくては。華奢で小さい彼女は力の強いオレによって簡単に屈してしまうかもしれないから。彼女の言葉で、行動で確かめたい。
「あの……触ってもいいですか。あっ、変な意味とかじゃなくて、その。いや、変な意味か……」
慌てるオレの姿を見た彼女は、目を丸くしたのちに笑っていた。
「ふふ、ジュンくん慌てすぎ」
「……優しくするんで、あんたに触れたいんです」
「うん。私もジュンくんに触れられたい」
その言葉が放たれた途端、オレの中の何かがプチンっと切れた。彼女の頬に優しく触れると瞼が静かに閉じる。彼女に近づく瞬間は短いはずなのにゆっくりと時間が流れているようだ。ふわふわと柔らかい肌を両手で包み込んで徐々に距離を詰めていく。震えながらも必死に唇を差し出してくれる彼女に自然と口角が上がる。小動物のような姿はいとも簡単にオレの手に落ちてしまいそうで激しい衝動を堪える。優しく唇を重ねる。少しだけ触れる軽いキス。
余韻に浸るように少しだけ瞼が開いたと思えば、瞳が揺れて視線が落ちる。オレが触れている部分が熱を帯びていく。その姿が愛しくて胸の奥がギュッと苦しくなる。もう一度その存在を確かめるかのように軽いキスを落とすと恥じらうように体をしならせていた。
もっと。もっとこの表情を観たい。そんな小さな欲が大きく膨れ上がっていく。唇を再び重ねて、そのまま彼女の唇を甘く噛む。すると彼女の丸くて潤んだ瞳が現れた。動揺する彼女をよそに腰を抱いて距離をグッと近づけ、角度を変えて丁寧に何度も交わした。
柔らかくて艶やかな唇。合間に漏れる彼女の吐息。オレの自身が痛く反応する。早く、早く彼女を組み敷いて滅茶苦茶にしたい。そんな気持ちを奥歯で噛み締めながら必死に欲を抑えて丁寧に唇を重ねていく。ふにゃっと形を変えながら、絡みつくように唇を絡める。
「んっ、ジュンくん……」
オレの名前を呼ぶ熱を孕んだ声。いつもの明るく呼ぶ声とは違う。今はただ毒でしかない。
彼女の耳を両手で塞ぎながら唇に神経を集中させる。噛みつきながら、時にはペロリと舐め上げながら。いつの間にかオレの硬い胸と彼女の柔らかい胸がいつの間にかぴったりとくっついていた。それほど余裕はなくなっていた。
朦朧とした彼女の瞳に映るオレの瞳は理性を失った獣のようだった。彼女に怖がられたくない。彼女に優しくしたい。そんな思考がぐるぐると渦巻く。早くオレを受け入れてどろどろに溶けてオレを求めてほしいから。
そんな気持ちの一方で、彼女を壁に徐々に追い詰めて、逃げられないようにしている。故意的に。ずっと触れられなかった彼女が腕に納まっている事実が嬉しくて、いつもはしない距離の詰め方に彼女も期待しているように頬を染めていた。潤んだ瞳は揺れていて滲んだオレの姿を映し出す。
これ以上は爆発しそうな欲を抑えられなさそうだった。どんなに彼女との距離を無くしても、彼女に噛みついて、唇を重ねても、オレの欲は留まることを知らなかった。この身勝手で底を知らない欲を満たすには一つしかない。が、誰も居ない間に彼女の家でこんなこと最低だと思われるかもしれない。でも、彼女がオレのことを許してくれるのであればこのまま――。
「このまま、シャワー浴びちゃいましょうか」