Agapanthus

甘やかな支配者




 彼女は私のことを甘やかしたがる。

「凪砂くん、もっと我儘言ってもいいんだからね」
「髪、乾かしてあげるからおいで」
「凪砂くんは偉いね」

 私の気持ちなど他所に私を蕩けてしまうほどに甘やかす彼女の姿は微笑ましい。

「凪砂くん、かわいいね」

 こうして私は今日も『お利口さん』な振りをしている。彼女の喜ぶ姿を見るために。
 しかし、呑気にも私を撫でる彼女に腹立たしさを感じる時がある。私も男で、彼女よりも逞しい自覚はあるからだ。彼女は私を異性だと思っていないのだろうかと不安を抱く時があるほどに。
 そんなある日、撮影の仕事が終わっていつもより早く帰ることになった。

『今日はもうすぐ帰るよ』

 電話越しにそう伝えると、ガサガサという音が耳に入った。「え」と声を漏らした彼女は慌てた様子で、「わかった! 気をつけてね!」と勢いに任せたように電話を切った。
 異様な言動に靄が残りながら、何かあったのではないかと疑った私は足早に帰ることにした。

 家のドアに手をかけて玄関口に入った途端、彼女が駆け寄ってきた。目を煌めかせながら私を迎える。どうやら、何かあったようだ。
 尋ねても「ふふ」っと笑うだけ。いつもと異なる様子に気がかりを抱きながらも、明るい表情を浮かべている時点で悪いことではなさそうだと思った。これはどちらかというと私に何かを隠していて、早く見てほしいという意味だろう。
 背中をか弱い力で押されながらリビングに足を入れると、見知らぬものが目に入った。

「じゃーん! 炬燵買っちゃった」

 それは『炬燵』だった。リビングの空きスペースを占有していた。真新しいものがあるという事実に、心を擽られるような感覚だった。

「これで寒い冬も安心だよ。凪砂くんは炬燵初めてだよね?」
「……うん。見たことはあるけど、使うのは初めて」

 大きな布団に包まれるテーブルは見ているだけで暖かそうだ。対象に興味をそそられた私は、それに近づいて柔らかい布団に触れた。

「なんと、暖めてあります」

 そう言って布団を捲ると、既に赤く照らされていた布団の中は熱が篭っていた。

「……今すぐにでも、使おうか」

 そう言った途端、その言葉を待っていたのかパッと明るく灯された表情が浮かんだ。ある程度部屋が暖まっているとはいえ、足先は冷えるので炬燵を待ち望んでいたのだろう。
 私が帰ってくる前に入っていればよかったのに。
 その言葉が喉元まで上がってきたが、上機嫌な彼女を見ていると、私と『初めて』を共有したかったのだと理解する。彼女なりの優しさと愛情表現だ。
 早速炬燵の中に入った彼女は蕩けた表情をしていた。

「早く凪砂くんも入ろうよ。あったかいよ〜〜」

 やわやわとした声を漏らす。私も入ろうと彼女の入っている側に腰掛ける。

「ん?」

 彼女を後ろから抱きしめて脚を入れた。

「んん……?」

 不思議そうに私の顔を見上げる。何をそんなに驚いているんだろうか。動揺している彼女も可愛い。

「…………凪砂くん、違くない?」

 『違う』という言葉の意味が理解できず、首を傾げる。

「どうしたの?」
「普通、炬燵なら向かい合って座るものでしょう?」
「……『普通』がわからないから」

 「あっ」と声をあげて目を泳がす姿に焦りが見え、悪戯心が擽られる。消え入りそうに謝罪をする彼女は小動物のように縮こまっていて可愛い。

「ふふ、冗談だよ」

 頬を膨らませながら拗ねる彼女が愛しくてより一層強く抱きしめる。

「君にくっついていたいだけ」
「もう〜〜。暑くないの?」
「……うん」

 身動きをとってはいるが、耳を赤らめているから、嫌ではなさそうだ。

「ねえ、テレビ観ようか」
「ん? うん、そうだね。いいね」

 彼女がテレビのリモコンに手を伸ばした。その前に私はそれを手に取って電源をつける。

「あ、そうだ。炬燵といえば蜜柑だと思って買ってあるんだよね。持ってくる──」

 ね。と言い終わる前に立ち上がりそうになった彼女を引き寄せて再び座らせる。

「私がとってくるから、大丈夫」

 唖然とした表情をしながらも私の意思を尊重してくれた彼女は「ありがとう?」と何故か最後にはてなマークを浮かべて感謝を述べていた。

 炬燵に戻って蜜柑をテーブルに置く。疑問を残しながらも蜜柑を手にした彼女は少し加虐心を揺さぶるものだった。彼女の手に自身の手を重ねて今からしようとしたことを制止する。その代わりに私が手の中にあるものを手に取った。

「剥いてあげるね」
「え、え……? どうしたの凪砂くん」

 矢継ぎ早に私から行動したからか流石に恐怖を抱いたのだろうか。驚きのあまり心配で顔が少しだけ青ざめていた。
 そんなに心配するほどでもないのだけれど。

「……いつもナマエちゃんが私を甘やかしてくれるから、今日は私が甘やかしたい」
「え、でも──」

 彼女の反論を許さないと遠回しに示すかのように畳み掛けるように彼女を絆す。

「炬燵、ありがとう。私が喜ぶから内緒にしていてくれたんだよね」
「うん。そうだけど……」

 狼狽えながら私の服を摘むのは『甘える』ことを自覚的にしているわけではなさそうだ。

「なら尚更。そのお礼だと思って今日は私にたくさん甘えて」
「でも、甘えるって何をしたらいいのか」
「……大丈夫。私に身を預けてくれればそれでいいから

 私の放った言葉に唇をきゅっと結んだ彼女は、ようやく『甘やかす』の意味が理解できたようだった。

「……そんなに可愛い唇をしていたら、口付けたくなってしまう」

 可愛く無自覚な行動に若干の嬉しい苛立ちを覚えながらも、彼女を暑さで蕩けてしまうほどにその日は十分に甘やかした。

「こんなに甘やかされたらダメになっちゃうよ……」
「ふふ、私の前では『だめ』になってしまって」

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