01


父さん母さんのもとに生まれ、弟のハリーが生まれ。4歳のハロウィーンを何事も起こらず無事に過ごして、親友や友人達と次々と再会した。何事もないまま学生時代を謳歌するフツーの人生を送ってきた。俺が望んでいた、穏やかな半生。
ここは平和な世界なのかもなあ、とこの頃から思い始めていた。
連続殺人鬼が一家を襲ったりとか、弟が物語の主人公になったとか、突然何かの戦いに巻き込まれたりとか、まか不思議な現象に出くわしたりとかが、ない。わけの分からない事態に巻き込まれたりとか、そういうのが一切ない。
なんて素晴らしい。出来ることならそのまま、このまま、素晴らしい人生を謳歌し続けることができないもんかね。
真冬のキンとした冷たい空を眺めながら、ぼんやりと思う。

「縁側で緑茶啜ってる校長先生みたいな顔してるよ。ケニー」
「マジ?」
「パブでビールを傾けるティーンのする顔じゃないなあ」
「ぴちぴちの10代捕まえて老成してるって言いたい?」

思わずバシッと叩くと、俺の10年来の友人はからからと笑った。

「レグルスもお前の成人祝いに参加できたら良かったんだけどな」
「仕方がないさ。急な呼び出しみたいだったしね──これ、開けてもいいかい?」

セドリックがうずうずと肩を揺らすので、俺は笑って頷いた。
プレゼントの包み紙の中から出てきたのは、オレンジ色の表紙の本だ。セドリックが思わず歓声をあげた。

「これ、これ、ヤマカワ出版の日本史じゃないか!どうやって手に入れたんだい?」
「ネット上にある密林」

誰にでも手に入れられる手段で買ってごめん。世の中はとてもべんりです。
喜び浮かれるセドリックの顔が見れてとても嬉しいんだけど、それはいいとして、どうしてこいつはこんなにも日本かぶれになってしまったんだろうね?
俺がこいつと再会した時にはもう日本文化に狂ってたんだよね。きっかけはいつだったかの世界にあるらしい。日本史の教科書でこんなに喜ぶ人間を俺は見たことがないから新鮮だ。
勝手にベラベラと日本の歴史について語り出したセドリックに許可をとって、ぱらぱらとページをめくる。懐かしい漢字かな混じりの日本語がつらつらと並んでいた。
本の真ん中よりも少し後半に入ったところで手を止める。ポケットの中のスマホを取り出して、翻訳アプリを起動した。日本語の読み書きなんてもはや記憶の彼方で摩耗してるんだよ。察しろ。
アプリを駆使してなんとか読み取った歴史の一節。江戸時代末期を綴ったその文章に、俺はなんとなく魅入った。

「(ヒジ、カタ──って、西南戦争で死んだんだっけ)」

ヒジカタ。土方、歳三。
人物名を検索した。英語でつらつら書かれた文章で、摩耗した記憶を繋げていく。
ナントカ戦争で彼は武士の魂を率いて戦い続けた。戦いの果てに死んだ。無念だったのかな。そこは分からない。
それはさておき、俺はもう一度教科書を眺めながらスマホの翻訳アプリをいじった。いじらなくても、ローマ字表記された日本語くらいなんとなく読めるけど、念のため。

土方歳三は、セイナン戦争で死んだらしい。

幕末の浪人集団、新撰組。その最後の頭領が死んだ場所は、確か、北海道の五稜郭という場所だったように思う。ナントカ戦争で死んだのは間違いない。けれど、それはセイナンではない気がした。
でも、感じた違和の正体を確かめる術はない。一瞬抱いた違和感はすぐに意識の底に追いやられた。
だってこれ教科書だもんな。俺の記憶違いだったんだろう。俺は教科書をセドリックに返して、すっかりへべれけ状態の彼のぶんの代金も机に置いた。知らないうちにショットの瓶が3つ並んでいた。なにしてんだお前。

「君は武士道を見習うべきだよ。清廉潔白、質実剛健!なんて素晴らしい精神だろうか」
「はいはいはいはい、ブシドーね」

半ば棒読みで返事をしていると、それまでほとんど引きずる形をとっていたセドリックの体がしゃんと起き上がって独立二足歩行の形をとった。歩けるなら最初からそうしてくれないか、お前重いんだよ筋肉質すぎて。

「…血の臭いがする」
「は?」

お前いつからそんな野生動物みたいなスキルを身につけたの?
俺がツッコミを忘れて呆然と突っ立っている間にもセドリックは動いていた。すぐ傍にあった裏路地の暗がりへ、ススキ色の短い髪を吸い込ませていく。
ここでひとつ特筆しておく。セドリック・ディゴリーは筋肉ゴリラだ。
魔法使いだった頃はスポーツをやっていたのもあって学生時代からずっとゴリラを貫き通していた。魔法使いじゃなくなった今は、魔法に頼る術がなくなったせいかゴリラレベルがカンストしている。そんじょそこらの奴には負けない。
でも今は酔っぱらいのゴリラだ。もしかしたら、万が一があるかもしれない。
心を許せる友人が尻丸出しの状態で自動販売機に頭を突っ込んでいたなんていう地方紙の一面記事なんて、見たくないな。頭を振った俺は、セドリックの後を追って裏路地に体を滑り込ませた。

いったいどこまで歩いて行ったんだろう、なんて懸念を抱く必要はなかった。
セドリックの驚いたような声がしたからだ。俺は急いで角を曲がって、セドリックの後を追った。

「君、しっかりするんだ!」

全身が、ざわっとした。
レンガの敷かれた古い街の路地裏に、白い何かが倒れている。髪も白。服も白。肌も白い。薄く雪が積もっているから余計に白い。今日は夕方から雪がちらついているけれど、雪が積もるなんて誰も踏みしめていない屋根くらいだ。傷だらけのようだった。腕に、脚に、無数の切り傷が刻まれておびただしい血が流れていた。
セドリックはその『何か』を抱き起こしている。

「…セドリック」
「ケニー、何してるんだ!早く救急車を」
「セドリック、『それ』を離せ」

それは狼と化したリーマスを目の当たりにした感覚。継承者の顔をして、ゴブリン相手に取り引きを演じてみせた時の感覚。あの時よりもずっと心の奥底がざわざわしているのを感じる。
俺は、ヒトのような形をしていてもヒトではないものが、この世にごまんとあるのを知っている。世の人間は分からなくても、感じることができなくても、俺には分かるものがある。
それなのに『これ』が『何』なのか分からない。

「何を言ってるんだケニー、早くしないと彼が、死──」
「セドリック、『それ』はヒトじゃない」

セドリックの表情筋がぎくりと固まったのを他人事のように目に映しながら、唐突に正解が頭の中に降りてくるのを感じた。そうだ。『これ』は、ヒトのことわりから外れたものだ──なんとも形容しがたい悪寒が俺の背筋を震わせる。嫌悪に恐怖が混ざった。得体の知れないものを嫌悪し、拒絶してしまう人間の本能。
これでもかというほどに嫌な予感がした。俺の中の、長いこと使っていなかったヤバい気配を察知するメーターが警報音を鳴らしている。

「伏せろ!」

赤い光がセドリックの頭めがけてすっとんできたので、俺は思わず叫んだ。野生動物かと思わせるような俊敏さでセドリックは『それ』を抱え上げて後ろに飛び退いた。粉雪が舞う。

「…なんだ?」

博物館で見る、小型の恐竜の骨みたいなものが浮いていた。手足はない。頭だけが恐竜の、魚みたいだ。ひれもないけど。
そいつは、落ち窪んだ頭蓋骨の奥で赤い目をぎらつかせていた。口に小さなナイフのようなものを咥えている。そいつはセドリックを──違う。セドリックの抱えている、白いのを狙っているんだと悟った。
小型の恐竜みたいなのは器用にナイフを翻してセドリックに襲いかかった。しかしセドリックはゴリラである。もう一度言う、ゴリラである。最低限の身のこなしで凶刃を避けたセドリックは、空いた脚を武器に使う事にしたらしい。振り上げられた右足が、恐竜の頭蓋を捉える。ゴッ、とものすごい音がした。さすがゴリラ。
ところが。

「ッ!?」

呻き声をあげたのはセドリックの方だった。バランスを崩したセドリックが倒れ込む。振り上げたばかりの右足を押さえて呻く姿を見るに、セドリックの足が恐竜の強度に負けたらしい。え、嘘だろ?どうしたゴリラのくせに。
俺が呆然としている間にも、恐竜は容赦がなかった。不気味に光る刃が翻る。セドリックが歯を食いしばって、凶刃から白いのを庇った。セドリックの腕からぱっと血がほとばしる。
オーケー、容赦はいらないってことだな。

「フリペンド!」

指を銃のように構えて叫ぶ。青白い閃光がそいつの頭をぶち抜いた。そいつはふらついたけど、ダメージは浅いらしい。なんだと、今のわりとけっこう本気のフリペンドだったんだぞ。
何か、武器になるのものがあればいいんだけど、そんなものが都合よく路地裏に落ちてるわけはない。俺は視界をざっと見渡して──見つけた。白い剣に雪が積もっている。
拾って、構える。持ち方なんて知らない。ようは、力が込められるものがあればいいって話だ。恐竜がこっちに向かってくる。俺はベースボールのバッターよろしく、大きく体をねじった。

「レダクト──」

白い持ち手の刀が、ぼんやりと淡く光る。凶刃が翻る。それをギリギリで避けて、フルスイングした。

「マキシ、マッ!」

どりゃあと一発、魔力を込めた刀を振った。恐竜はあっけなく砕け散り、霧散して消えた。静寂が場を満たした。まるで、何事もなかったかのように。

「…う、」

ビビった。忘れてた、セドリックがいたんだった。
俺は刀を放り出してセドリックに駆け寄った。まるでコンクリートを思いきり蹴飛ばしたような心地だったらしい。血の出ている腕の傷は思ったよりも浅そうだった。それよりも酷いのは脚だ。

「ねんざか、下手したら折れてるかもしれねえな」
「僕のことはいいよ。それよりも彼を…」
「彼、ね」

小さな呼吸を繰り返す白いのを眺めながら、俺はため息をついた。絶対に、面倒事に巻き込まれた気がするんだよなあ。





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