設定C−4


「魔法界はいま戦闘状態にある」

長い話になるからと、教会の長椅子に立香を座らせたキャスター。姿の見えないカルデア側の了承を得て、開口一番、彼は物騒な一言で説明を始めた。

「事はある一人の魔法使いから始まった。そいつは悪の道に走った。生半可な悪じゃねえぞ。魔法が使えない普通の人間や他の魔法生物や種族を悉く排除して、純粋な魔法使いが世界を支配すべきだと考えた」

キャスターは囁いた。

「もう20年になるか──暗黒の時代があったんだ。立ち向かう奴もいたけど、みんな殺された。次第に、そいつの名前さえ口にすることを恐れた。みんな知っているのに、誰もそいつの名を呼ばない。馬鹿みたいだろ?でも、それだけ恐ろしい事をしたんだよ。ところがそいつは、10年前、突然破滅した。まだ一歳、生まれたばかりの男の子に打ち負かされたんだ」
『男の子?』
「…ハリー・ポッター」

キャスターはゆっくりとその名前を呟いた。

「赤ん坊を守ったのはとても古い魔法だ。かけた母親すら、魔法を使ったと思っていなかったのかもしれない」
『どんな魔法だったのですか?』
「愛だよ。レディ・キリエライト」

やわらかな声音でキャスターが呟く。フードの下の彼がどんな顔をしているのか立香には見えなかった。

「母親が愛する息子を守って死んだ。その時に魔法がかかったんだ。ハリー・ポッターは『生き残った男の子』と呼ばれ、讃えられ、英雄になった。魔法界はそりゃ喜んださ。脅威は去ったと、誰もが思った」
「………」
「でもあいつは死んじゃいなかった。弱って、隠れていただけだった。4年前だ。奴は復活した」

ずっと黙ったままのダ・ヴィンチがようやく口を開いた。

『そいつの名を聞いてもいいかい?』
「悪いな。そいつの名は『禁句』になってる」
『禁句?』
「口にするとどんな保護呪文も破れて、たちどころに連中に居場所が知れちまう。空中に綴りだけ書くぜ」

まあ、そっちで口にするのはいいんだろうけどさ。キャスターは杖を取り出すと、さらさらと空中に文字を書き始めた。
"Voldemort"という綴りを、立香はじっと見つめた

『ヴォル・ドゥ・モール?』
「ああ、悪い。フランス語っぽい発音じゃなくてだな、最後はTの発音を頼む」
『ヴォルデモート…死の飛翔か。なんとも素晴らしい名前だね』
「実際あいつは本当に死を克服しようとしていたのさ。ハリーに打ち負かされたとき、あいつは死んでもおかしくなかった。死ななかったのは、あいつの研究の賜物だよ」

キャスターは肩を竦めた。

「あいつの恐ろしさを骨の髄まで刻んでた魔法界はなかなか復活を信じなかったけど、魔法省──まあ、政府みたいなもん──が認めた。あいつはかつての力を取り戻したけど、こっちだって無抵抗に殺されたりしない。20年前も活動していた勢力が戦った」
『どんな勢力なのですか?』
「あいつが唯一恐れた魔法使いと言われたアルバス・ダンブルドア。彼が率いる不死鳥の騎士団。彼らはハリー・ポッターと共に戦い、1年前、あいつは今度こそ滅んだよ。生き残った男の子に手によって」

立香は小さく息を呑んだ。
彼は、騎士団のキャスターと名乗った。彼は騎士団に所属していた人間なのだろうか。20年前に?それとも、去年まで?疑問を口にするのは憚られて、唇を噛みしめるしかできない。

「あいつが滅んだところを、多くの魔法使いや魔女が見ていた。戦いは終わった。疲弊していたレジスタンスも身を休めていた。なのに、突然みんな吹き飛ばされた。塵になって消えたはずのあいつがいた。再びあいつは復活したんだと大混乱になった」
『そんな…』
「絶対に滅んだはずだったんだよ。あいつの不死のロジックもぜんぶ解明して、あいつを倒せば終わりのはずだったんだ。二度目の復活は誰も予想してなかった。あの混乱で大勢が死んだよ」
『まるで見ていたように言うんだね。君は』
「そりゃその場にいたからな」
『…驚いた。当事者か』

いまかなりえぐい告白をされた気がする。立香はおそるおそるキャスターを見上げた。

「死んだの去年だぜ去年。100歩譲って英霊扱いされてるんだとしても、早くね?英雄ってのは大昔の、過去の偉人だろ」
『はるか未来で英雄とされた方が、現代に召喚された例はあります』
「…あ、そうなの」

そもそも英雄になった覚えもないけど。無感動に呟いたキャスターの袖を引く。

「あなたにとっては偉業じゃなくても、周りの人にとってあなたは誇りだったんだと思う」
「…優しいな。マスターは」

くしゃりと立香の髪をかき混ぜたキャスターはすぐに顔を上げた。

「というわけだ。当面の目標は、今も活動を続けているレジスンタンスに合流することだな。多少はやり易くなるかもしれない」
『不死鳥の騎士団に合流はされないのですか?』
「レディ。あれから1年も経ってるんだぜ」

続けられた言葉に、立香はごくりと唾を飲み込んだ。

「騎士団がまだ息をしてるなんて俺には到底思えないんだよ」







「キャスター、あれ…」
「ん?」

教会を出て村へと続く道を下っていた立香は、空を指差した。イギリス特有の灰色の曇り空。その彼方から濃い黒の渦が2つ3つとぐろを巻いて、村の方へと向かっている。黒い渦が村の屋根の向こうに消えたとき、パリンという何かが割れた音と悲鳴が遠くに聞こえてきた。

「なんつータイミングのいい…」

ぼやいているキャスターを置いて立香は石畳の坂を転がるように走った。途中、屋根のひとつに火がつき、悲鳴のボリュームが大きくなる。

「マスター!マスター、待て!」

後ろでキャスターが何か叫んでいるけれど、立香は足を止めるつもりはなかった。踏みしめる石畳の色が変わる。降り注ぐガラスの破片をフードを被ることでやり過ごして、勢いよく飛び出した。自分の体に影がかかったのを感じて上を見上げる。そして、息を呑んだ。

人が宙に浮いている。

10メートルほどだろうか。なにもない宙に男が2人、女が1人。全員がうつろな目をして、ゆっくりと回転しながら、うつ伏せに漂っている。横に伸ばされた腕はだらりとしていていて、何かに吊られているかのように見えるのに、ピアノ線のようなものは何も見えない。

「誰だ?」

真っ黒いフードを目深に被り、仮面をつけた男がいた。黒い杖を浮いている人たちに向けている。ごくりと喉を鳴らした。魔法使いだ。男の向こうから、二人がこちらを見ていた。あの時空で見つけた渦の数だけ敵がいたらしい。おそらくこの村の人間を集めて、同じように杖のようなものを向けていた。

「マグルか?」
「…その人たちを下ろせ」
「聞こえねーよ!なんて言った?あ?」

シュッと鋭い音がして、下卑た笑い声をあげている男の顔面に銀色の光がぶつかった。悲鳴のひとつすらあげずに倒れ伏した男を呆気にとられて見つめていると、目の前に黒いローブが翻った。

「無茶するなあマスター」
「キャスター!」
「魔法使いか…!」

フードの下からニヒルに微笑むキャスターと、声から察するに魔女が向かい合う。魔女はたったいま目の前で味方が倒されたにも関わらず、余裕の態度を変えずにいる。

「どこの手の者か知らないが、ものがよく見えていないようだね?」

魔女は後ろに控えていた男を手招きした。男は空中に浮かせていた人々を更に高く浮かびあらがせていく。人質のつもりだろうか。立香は唇を噛みしめた。しかし、キャスターは無感動に言い返した。

「ものがよく見えていないのはお前の方だよ」
「なに──」

バーンと凄まじい音がして、立香は思わず顔を覆った。おそるおそる目をあけると、すぐそこに立っていてはずの魔女が姿を消している。魔女が背にしていた建物に大きな、ちょうど人が通れるほどの穴が空いていたので立香はすべてを察し、口を閉じた。死んでいないことを祈るのみだ。
絹を何枚も折り重ねたような生地のローブを羽織り、誰かがこちらに歩いてくる。手に見覚えのある白い杖が握られているのを見て、立香はほっと息をついた。すっかり怯えてしまっている村の人たちの手前、手放しには喜べないけれど。

「なぜ男を庇った」

アヴェンジャーが唸るように凄んだのを聞いて、立香は初めて、人を浮かせている魔法使いが未だ立っているのに気が付いた。空気が震えたのを感じるほどの怒りを向けられているというのに、キャスターは眉ひとつ動かさない。

「浮かんでる人を操ってんのはあいつだ。全員地面に落ちるだろ」
「穢れた血がどうなろうが俺様には関係ない」
「あるね。だからここにいるくせに」

でも、お前と軽口叩いてる暇もないんだわ。キャスターはじっと仮面のフード男を観察していたけれど、やがて杖を仮面の男に向けた。

「あいつ…妙だな。どうして反撃してこない?」
「だからお前は半人前なのだ──マグル共を助けたければお前がどうにかしろ」
「は?」

アヴェンジャーはサッと男に近寄って杖の先をマントの下の──おそらく額の部分に突きつけると、ブツブツと何かを呟いた。すると、まるで糸の切れた人形のように男がその場に崩れ落ちた。男が倒れるが早いか遅いか、浮いていた人々が一勢に落下してくる。
立香とキャスターは真っ青になって叫んだ。

「あああああキャスターあああああ!!」
「あああああアレスト・モメンタム!!」

人々は地面スレスレで停止し、一瞬遅れてドサドサとその場にやわらかく落ちた。立香は別の意味でドキドキした。もしかして、今自分は魔法を見たのだろうか。

「おおおお前なに考えてんだ!このバカ!あほ!マーリンの髭!!」
「この男、服従の呪文をかけられている」
「いつまでたってもプレティーン野郎…うん?」
「また死にたいのか貴様」
「ごめん俺が悪かったまじごめんプリーズ」

鬼のような素早さでキャスターの頭をわし掴んだアヴェンジャーの手の下からみしっと不吉な音がした。
悪口は否定しないんだな、と一瞬ツッコミが頭をよぎる。しかし、立香はぐっと飲み込んだ。テキトーなツッコミをしていい英霊とツッコミしたが最後、首が飛ぶ英霊の区別くらいできる。

「で、服従の呪文?」
「見れば分かるだろうが」

アヴェンジャーの細く筋張った指が、男の顔を覆い隠していた仮面を覆い隠す。撫でるように手が動くと、仮面はまるで溶けるように消えた。やつれた顔にブロンドがぱらぱらと落ちてくる。

立香の頭の上で、気配がふたつ動く気配がした。

「俺、こいつ知ってる気がするんだけど」

これはキャスターの声だ。

「…奇遇だな。俺様も見覚えがある」

アヴェンジャーの感情の読めない声が降ってくる。上を見上げた。フードを深く引き下ろしたキャスターの顔は見えなかったし、アヴェンジャーの感情を読み取るなど、立香にはできそうになかった。






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