設定C−5
「この男はいったい?」
魔法使いや魔女を倒し、操られていたらしい青年を隠れ家へ連れ帰って数時間。青年は魘されているようだった。脂汗の浮かんだ額を拭ってやりながら、立香は顔を上げてキャスターに問いかけた。
「純血主義で、闇の勢力に付いた男だよ──尤も、最終的には戦いを放棄したはずだけど」
「ふん、どちらの側にも立たないから、他者の手の上で踊る羽目になるのだ」
「はいはい貶さない。でも」
キャスターが杖を取り出し、杖の先で、乱れている青年の前髪を整えてやった。
「操られてたんなら、無理矢理従わされてたって事だよな。服従の呪文をかけられる前は、奴らとは相反する意志を持って行動していたって証明にもなる」
「味方になってくれるかな?」
「…さあな」
キャスターが腕を伸ばした。チェストの上に置かれていた細い杖を手にとって、立香に握らせる。
「なんにせよとりあえず情報を吐かせよう。マスター、頼んだ」
「え!?」
「俺は無理だぜ?こいつに顔を知られてるんだ」
「いや、でも!杖、オレは使えないよ!?」
「そこは悟らせないようにしたらいいんだって。安心しろ。ちゃんとサポートしてやっから」
青年の額に杖を当てたキャスターはブツブツと何かを呟いた。すると、温かい光がぼんやりと浮き上がって、青年の身体を包み込んだ。幾ばくもしないうちに、青年の目蓋がピクピクと震え始める。こちらを一瞥したアヴェンジャーが、光の粒子となって姿を消した。感知できない人間には認識できないよう、霊体化したのだ。追って、キャスターの姿も輝いて消える。
震えていた目蓋の下から青い瞳が覗いて、こちらを見た。怯えている目だと気付いたとき、彼は跳ね起きて壁側に後ずさった。あまりの俊敏な動きにぎょっとしてしまう。
忙しなく視線が動いて、状況を把握しようとしていた。立香は彼が落ち着くのを待ってから言葉を発しようと思った。脅せとは言われていないからだ。
「お前は誰だ?」
やっとの事で青年が口を聞いたので、立香は居住まいを正した。
「オレはあなたに危害を加えようと思っていません。脅すつもりもありません。誓って、です」
青年の杖を自らのすぐ傍に置いて、立香は青年を見つめた。自分にしか聞こえない舌打ちと、あちゃあという声が左右から聞こえたけれど、無視だ。魔法使いではない自分には、どうせ使えない代物だ。
「オレは藤丸立香と言います。日本人で、カルデアの者です」
「カルデア…?」
「この世界の外から来ました。魔術師です。魔法使いではありません。このイギリス…スコットランドで、歴史を狂わせるほどの異変が起こっています。その調査に…来て……」
立香はおや、と首を傾げた。「そう」しようとはまったく考えていなかったのに、突然記憶にある景色が断片的に頭の中に浮かんできたのだ。雪山に囲まれた天文台。焼却された人理。特異点の出現。マシュにドクター、ダ・ヴィンチちゃん。カルデアのスタッフ、召喚された英霊達──。
「(マスター!)」
はっとする。キャスターの警戒が滲んだ声で意識が浮上したのを感じた。不思議と滲んでいた汗を拭う。
「(開心術使うとか容赦なさすぎじゃね?)」
開心術って、なんだろう。思うよりも早く、アヴェンジャーが低い声で唸る。
「(レジリメンス。開心術。相手の心をこじ開け、記憶や思考を読み取る術だ)」
「(…ま、結果オーライか?魔術のこと、カルデアのことが妄言じゃないって嫌でも分かっただろ──開心術使うだけ無駄だってこともな)」
心を、読むだって?
背中を冷たいものが流れ落ちていくのを感じた。頭上でやんやと言い合っているふたつの声を聞きながら、ゆっくりと唾を飲み込む。キャスターとアヴェンジャーにとって心を読むという行為は、嫌悪を感じても畏怖するものではないらしい。カルデアと通信が繋がらない場所で良かった。もしも今のやりとりが筒抜けなら、自分の後輩や司令官代理はきっと強制退去を提案していたことだろう。
かぶりを振る。
「(そんな事はできない)」
どんなにぼやけていて確立していなくても、この時代この場所に特異点は観測された。特異点がある以上、ここは人類史の流れを変えてしまうほどの歴史介入があるのだ。偶発的なものか、時間神殿から逃げ延びた魔神柱が原因か、あるいは。
沈黙が下りたのは一瞬だろうか。それとも数秒だろうか。うろうろと視線を彷徨わせている青年をしっかりと見つめた。薄い青の瞳とかち合う。
「変わろうとしている歴史は、オレ達のものじゃない。きっと、あなた達のものだ」
「………」
「いや──もう既に、変わっているのかもしれない。オレもあなたも知らないどこかで、今も異常事態は発生しているのかもしれない」
唐突に言葉を紡いでも、青年は驚かなかった。また心を覗いているのだ──立香と同じものが見えているに違いない。それでも構わない、と立香は思った。
落ち窪んだ目、かさついた唇。戦いに疲れ果て、疑心暗鬼になっているであろう彼の行いを、どうして咎められようか。
「生まれた歪みを放っておいたら人類史が崩壊してしまいます。崩壊に、人類史に魔法も魔術も関係ない。オレはそれを防ぐために来たんです。何か知っている事があったら、教えてもらえませんか」
立香は辛抱強く待った。いつのまにか頭上の二人も沈黙していて、立香と青年を見守っている気配を感じる。
やがて青年は俯いていた顔を上げた。その眼差しに動揺は既になかった。恐怖こそ浮かんでいるままだが、それでもほっと息をつく。
「…人類史が崩壊するかも、と言ったな」
「はい」
「歴史は、人の歩みの後に築かれていくものだ。今を生きている僕に、歴史の是非は判断しようがない。正しいのかも、間違っているのかも──それは後生の人間が判断することだ」
「(ほう)」
頭の上でアヴェンジャーが鼻を鳴らした。
「(日和見の子悪党も、なかなかどうして頭が回るではないか)」
それは褒めているのか?どこが面白いのか、愉快そうな声音でアヴェンジャーは喉を揺らしている。
「でも。異常でも、歪んでいても、僕らが選び取った結果だ。間違っているなんて──まして正さないとなんて、言われたくないね。部外者の物差しで測ってくれるなよ」
「……っ」
明確な拒絶。ぴりっと肌が粟立つ。
言われてみれば当然のことだ。仮に、自分自身が彼と同じ立場だったとして、人類史を崩壊させてしまうほどのただ中に立っているなんて、自覚できるだろうか。
それに、「この世界は間違っている」と否定するということは、今を生きる彼らも否定するということだ。特異点を修正するという戦いを始めて1年と少し。積み重ねてきた経験が、心の中に奢りと慢心を生んでしまったようだ。
顔に熱が集中する。もちろん、自分の愚かさが恥ずかしかっただけではない。
「…すみません、でした…」
言葉にしたのは本心だ。申し訳なさで、消えたくなってしまうほどだった。
マシュや、カルデアに召喚されている英霊の力を借りなければ一人では戦えもしない。そのくせ、さも自分が矢面に立って戦ってきたかのように、言葉を振りかざしてしまった。誰かの助けがあってこそここまで歩んで来れた自分にそんな資格はないというのに。
沈黙が下りる。背後に立つ英霊二人も口をきかない。
「…冗談だよ」
「え?」
青年はぎこちなく肩を動かした。おどけて、肩を竦めてみせるように。
「なんだよ、ちょっと脅かしただけだろう。どこの馬の骨が、正義の味方気取ってるのか確かめてやっただけさ」
「(ヒエ…)」
「お前みたいな奴はすぐ矢面に出たがるんだ。まるで義務みたいに…しまいには、一番最初に犠牲になる」
口を開こうとして、言葉にならずに結局閉じる。彼もまた、キャスターやアヴェンジャーと同じで、戦争を経験しているはずだ。大切な人を失った過去があるのかもしれない。
複雑な気持ちで見つめていると、青年はぎゅっと眉を寄せた。
「そんな目で見るなよ」
「すみません…」
「謝るな」
「すみ、………」
「………ちっ」
青年は舌打ちして、身なりを整えながら立ち上がった。
「もういい。お前は、カルデアから来た魔術師なんだな」
「はい」
「君を僕らの拠点へ連れて行く。君の仲間の魔法使いも連れて行くから、早く連絡しろ」
「えっ?」
青年は訝しそうな顔をして立香を見た。
「どうした?」
「えっと…どうしてオレの仲間に魔法使いがいるって?」
「このテントは魔法使いが作ったものだ。魔術師は知らないが、マグルに作れるものじゃない」
「(あー、やばいな)」
棒読みでキャスターが動揺を顕わにした。やばいという割に、ちっとも慌てているように感じられない。
「(この坊ちゃん実は優秀なんだってこと忘れてたわ。どうする?)」
「(小僧とはお前の方が旧知だろうが。貴様が説明しろ)」
「(バカ言え顔合わせられるわけないだろ。お前が行けよ。どうせ分かんねえよ)」
「(ハッ。小童に付き従う様を晒せと?)」
「(ああ俺知らなかったなーイギリスが誇る帝王ってば目的を達成するための間ちょっぴりプライドを曲げることもできないちっせえ男だったんだなー)」
オレ、振り返らない。
自分にしか聞こえないはずの激しい音はやがて消え。立香の隣に、光の粒子が集まり始めた。光は収束し、やがてサーヴァントの形になる。ひとりの男が立つ様を青年は驚きを隠さず凝視していた。
「──お初にお目にかかる。私はリツカ・フジマルのサーヴァント。クラスはキャスター。キャスター、と呼んでくれて構わないよ」
「(えっっっ??????)」
もしかして、知らぬ間に頭をガツンと殴られたのだろうか。ありえない衝撃に動く事ができない。
誰だ。この、世の女性たちが漏れなく心を持っていかれそうな笑顔の好青年はいったい誰だ。初対面で立香を足蹴にした男である。というか、いまの自己紹介だけで3つも嘘を吐いたような気がする。
もしかして今までの、癇癪持ちの尊大な態度こそが演技だったのだろうか。そんなわけがない。いやでも。
「(油断するなよマスター。あのアルカイックスマイルに全英が騙されたんだからな)」
「ハッ!」
世の女性たちが漏れなく心を持っていかれそうな美青年という偶像に、哀れな魔法使いの青年もしっかりと騙されたらしい。アヴェンジャー、もといキャスターの丁寧な物腰に青年も警戒を緩めたようだった。
「(アイツは目的を達成するためなら、手段を選ばない男だよ。もちろん、悪い意味でな。よく覚えておくんだ、マスター)」
「(…分かった)」
「そういえば、君達にもまだ自己紹介をしていなかったな」
青年がこちらを見る。背を向けた瞬間、表情を消したキャスター、もといアヴェンジャーの様子に苦笑いを堪えることができなかった。こんなちぐはぐなメンバーで、これからやっていけるのだろうか。
ともかく、立香は手を差し伸べた。
「改めて、よろしくお願いします。藤丸立香です」
「…ああ」
なにかを懐かしむように小さくなる眼差し。力強く握り返された手を、立香は両手で包み込んだ。
「僕は──マルフォイ。ドラコ・マルフォイ」
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