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西暦●●●●年から審神者でもないただの人間が本丸にタイムスリップしてきた。
それだけでも大問題だというのに、青年は、その時代で偶然にも出会い、保護した鶴丸の手引きで時空を超えてきたのだという。
歌仙は強烈な目眩を覚えて畳に膝をついた。彼は件の青年を警戒し完全武装だったため、ガシャガシャとやかましい音をたててしまった。実に雅ではないのだが、それどころではない。

「これがどういうことか分かっているか?」

両手で顔を覆った歌仙は、血走った目で青年に問いかけた。

「過去に存在するものはなんであれ、未来に持ち帰ることは禁止されている。未来が変わってしまうからだ…君はタイムパラドックスを知っているかい?」
「なんか聞いたけど、きちんと分かってない」
「過去を変えてしまうことによって、未来の出来事に矛盾が生じてしまうことを言います」

宗三があとを引き取った。

「たとえ砂粒のひとつでも、湖に投げ込めば、それは大きな波紋を生む。砂粒のひとつひとつが過去を築き、今に至り、未来に繋がっていくんです」
「ウーン、言いたいことは分かる」
「その砂粒が君だ」

顔から手を離した歌仙は大きく息をついた。

「君、家族は?親兄弟はいるのかい?」
「両親と、弟がひとり…」
「だったら今頃は、弟が妹になっているかもしれませんね」

宗三は素っ気なく言った。

「そもそもあなたの両親には子どもが生まれないかもしれない。あなたの友人たちは、友人がひとり最初からいなかったことになる」
「………」
「あなたに今後家族ができたとしたら、その家族は最初から存在しなかったことになる。あなたと結婚する予定だったひとは別の人と結婚するから、未来では存在するはずのない人間が誕生する──人間がひとり、時間の流れの中から存在しなくなるってことは、それだけの影響を未来に与えてしまうんです」

真っ青になった青年はしばらく口を噤んでいたけれど、やっと深呼吸して憎まれ口を効いた。

「…いや、めっちゃ脅すじゃん」
「事実です」

宗三はピシャンと言った。

「そういう事態を故意に引き起こし、意のままに過去を改変しようとしているのが時間遡行軍なんです」
「我々は、それを防ぐために戦っている」

青年は歌仙と同じように手で顔を覆い、長いこと沈黙した。

「俺、どうなるの?」
「確かなことは言えない。政府預かりに落ち着くだろうが…」

歌仙は首を横に振って、説明を求めようとこんのすけを見つけた。こういった事情は自分たちよりも審神者よりも、政府からやって来ているこんのすけの方がずっと詳しい。
こんのすけはぺったり伏せていた耳を立てた。

「彼の処遇はどうなる?こんのすけ」
「通常ですと…」

部屋の中にひとりでに画面が浮き上がった。これに驚いたのは過去を生きる青年だけだ。この時代では、ホログラムなど当たり前の技術である。
何らかの資料がいくつか展開し、全員に見えるように拡大された。

「万が一、過去の事物が本丸に持ち込まれた場合、すみやかに政府へ申請しなければなりません。原則、事物は存在した時間軸へ返却されることとなっています。政府の使いが本丸へ訪問し、審神者はその事物を使いへ引き渡します。その後のことはこんのすけにも分かりません」
「審神者が申請できない状態だったら?」
「審神者がなんらかの理由で本丸運営を継続できなくなった場合、あらかじめ申請をすることで、本丸の引き継ぎが行われます。任命された新しい審神者が本丸の主となり、その者に運営の権利が譲渡されます。引継がれる本丸に属している刀剣男士や馬、刀装、その他備品などもそのままに」
「あらかじめ申請ができなかった場合は?たとえば、急死とか」
「その場合は、当該本丸はいったん政府預かりとなります」

出たよ政府。
そうごちた青年はうんざりという顔をしてこんのすけを抱きかかえ直した。

「自分が右を向くか左を向くか、他人に決められるなんてごめんだね。政府がどうこうする前に俺は帰る」
「どうやって」
「前例がないわけではないんでしょ?」

脈絡もなく青年が言うので、歌仙は面食らって尋ねた。

「というと?」
「鶴丸が言ってたんだよな。過去の事物を未来に持って帰れないってのは審神者との契約で決まってるわけじゃなくて、規定っていうかルールっていうか…審神者も守らなきゃならないんだって」

つまりね、と一呼吸置く。

「過去の事物を未来に持って帰ってきちまった『前例』があって、それが『よくない』結果をもたらしたから、改善防止策として禁止規定が設けられたんじゃないかって思うんだよ」
「…なるほど」
「どうなんだい?こんのすけ」
「ご指摘の通り、前例はあります」

こんのすけは尻尾を揺らして語った。

「現在ほど戦力が整っていなかった頃、当時の政府は、すべての時代から審神者の素質のある者を集めて時間遡行軍と戦っていました」
「………。は!?」

青年はひとり慌てたが、刀剣男士たちは落ち着きはらっていた。
それは歴史遡行軍と戦う者ならば、誰もが当たり前に知っている常識であるからだ。

「政府が率先して過去に生きてた人間をタイムスリップさせてたってこと!?」
「もちろん、過去から連れ帰っても影響のない者ばかりです──生まれながらに死んでいた赤子や、戦場で死んだ兵士など──方法はこんのすけにも分かりませんが、それぞれの時代で死んだ者の魂を励起させ、魂だけの存在を本丸に住まわせていたと記録には残っております」

青年はまだ何か言いたそうにしていたけれど、ひとつ呼吸をして居住いを正した。

「…そっか、戦争だしね。なりふり構ってらんない時もあったのかね」
「しかし、そうして魂を励起されていた審神者のひとりが、刀剣男士に指示し、今から二半世紀ほど前の過去から歴史を変えてしまう事物を持ち帰ってしまったのです」
「歴史を揺るがす事物」
「記録にはただファットマン…日本語では太った男、と」

歌仙は納得した。人間ひとりを持ち帰ってもなんの影響もないかもしれないが、それが例えば、時代の開拓者であれば話は別である。
革命家、芸術家。戦争を終結させた大統領。歴史のターニングポイントに立つ人間は世界中数多く存在する。ひとりいなくなれば、人類の進歩はずっと後退してしまうような、多大な影響力を持つ人間。
そのように影響を持つならば、該当人物の名前は当然に伏せられるだろう。

「…人間じゃねえよ」
「え?」

青年は先ほどとはうって変わって、低い声で言った。

「その盗んだ審神者は日本人だったのか?それともロシア人?」
「審神者はすべて日本人です」
「なら納得だ。どういう経緯にせよ…な」
「人間ではない、とはどういうことですか?」
「これ言わなきゃいけない流れ?」
「そこまで言いかけたら気になるだろう」
「むしろなんで知らないの?イギリス人の俺が知ってんのにさ…」

青年は重いため息をついて、こんのすけを膝から下ろした。
よほど言いたくないのだろうか。

「今は西暦二二〇〇年なんだろ?そこから二半世紀前っつったら、ちょうど世界大戦の終わり頃かな」
「世界大戦」
「そんで『太っちょ』ときたら…まあ、原子爆弾だよ。聞いたことないか?その反応は…ないってことか」

青年は重く語った。
今から二半世紀前。当時は世界大戦の終わり頃、アメリカという国が日本のふたつの都市に爆弾を落とした。そのうちのひとつが、この記録に残る『過去からの事物』だと青年は言った。
リトルボーイ、ファットマン。それぞれの爆弾はこの通称名で呼ばれ、戦争の悲惨さを伝えるため、爆心地となった都市で模型が展示されているほどであるという。
青年はパチンと指を鳴らした。もやもやとした霧が空中に現れて、その中に、雲が浮かぶ青空があった。すると青空を大きく埋め尽くすほどのきのこ型の爆風が立ちのぼる。

「この爆風の下で、何十万って人間の命が消えた。文字通りさ。鉄もガラスも、一瞬で溶けるくらいの高熱だ。そんなのを一発落とされて、それでも日本は止まらなかった。だから二発目も落とされた──なんて言うやつもいるけど」
「………」
「まあつまり『太った男』は近代史のめっちゃ──物理的にもデカい──重要なものってこと。結果はどうあれ、戦争を終わらせるトリガーになったのは確かだ。無かったことにはできない。でもそっか…あれを盗んだ日本人かあ…」

乱はもくもくと立ちのぼる雲の映像をじっと見つめて、これの下で、大勢の人間が一瞬で溶けて死んでいく様を想像した。そうして、やっぱり人間という生きものは生物の中で一番賢くて、同じくらい愚かにもなれるのだなと思った。

「ああ、うん。理解。あれを盗んじまったならその後一切過去からの事物は持って帰っちゃいけませんってなる。どうやって持って帰ったんだか知らないけど、この時代の政府は絶対にもとあった場所へ戻しただろうから、やっぱり未来と過去の事物の行き来は物理的に存在するものでも可能ってことが逆説的に成立する。つまり俺も帰れるってわけ。証明終了。俺大勝利」

青年は右手でピースサインをつくりながら言った。彼の言う通り、筋道と光明が見えたのだから興奮しても無理はない。
しかし、と宗三は釘を刺した。

「それは過去から持ち帰られたものがとても重要で、無かったことにできなかったから、でしょう?」
「ん?」
「政府があなたを『太っちょ』と同等に扱うかどうかは分かりませんよ」
「………」

歌仙はひとつため息をつくと、青年に「君」と言いながら立ち上がった。しなりしなりと歩み寄り、青年のすぐ傍で腰を落とす。近くに寄ると、青年の目が琥珀色をしているのが見てとれた。

「我らが主を止めてくれたのは君だ。結果的にだが」
「あ、うん」
「君が我々を慮ってそうしたわけではないと分かっている。だから我々は君の行動を恩と思わないことにする。君もそう受け取っていてほしい」

青年は表情を引きしめると、真面目な顔を作って頷いた。

「それでいいよ。鶴丸がちゃんと治療を受けられて、あのバカが然るべき罰を受けるんなら俺はそれでいい」
「…君は」

歌仙は思わず尋ねた。

「君はなぜ、そんなにも鶴丸に肩入れするんだい?」






「肩入れ?」

思わず鼻で笑ってオウム返しに尋ねてしまったら、若干不快そうな顔をされた。ごめん。でも今の言い方って若干どころじゃなくムカついちゃったもんで。

「俺がそんな器用な真似できるように見える?」
「………」
「肩入れなんかしねえよ。そんなことしなくったって、あいつ強いだろ。強いから、あんなになるまで頑張っちゃったんだろ…報われるわけでも、ないのに」

部屋がしんとなった。
一方的な献身。身に覚えがありすぎる。訂正。俺のアレは献身とは言わない。ただの悪あがきだ。
でも、だからこそ。そうし続けるのがどれだけ大変かって分かっちゃうんだよな。たまに、本当にたまに、心が折れちまいそうになっちまうのも分かる。俺の場合は周りがたくさん手を伸ばして支えてくれたから辛うじて折れなかっただけだ。幸いにも。そう、マジで、幸いにも。
でも鶴丸は違う。ひとりぼっちだ。支えてほしい誰かに手を払われて、ひとりぼっちで雪に埋もれていた。
こんなに寂しいことがあるか。

「だから俺は鶴丸を追いかけてきちゃったワケ」
「彼は折れるぞ」

ぴくり、と肩が震えた。
思わず前を見る。歌仙は僅かな痛みを堪えるような顔をしていた。

「私も驚いているよ。あんなに傷ついたままで、よく破壊しないまま踏みとどまっていると思う」
「破壊…」
「重傷のまま放置したり、それ以上の傷を受けると審神者の霊力をもってしても回復不可能なレベルで破損することがある。我々はこれを刀剣破壊、と呼んでいる。実質、刀剣男士としての死だ」

重たい単語を出されてさすがに心臓の奥が震えた。
それでも、前を見る。

「それでも見届ける。あいつの傍にいるよ。最後まで」
「…数奇な縁を結んだものだ」

ずっと武人めいた居住いでいた歌仙が、くしゃりと破顔した。

「そういう縁を結びたかったものだよ。我々も」




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