【赤】ED.額縁のサナトリウム



#ibパロ注意報、ライセンスガイド拝読済み


 何かが歪んでいる様な気がした。距離、雰囲気、時間。決して目視することのない決定的な何かが歪んでいる。そんな曖昧で蒙昧な説明でしか、この美術館の捩れを語ることができなかった。

 花弁が五枚、お利口に連なっている赤薔薇を携えた零魔は、捩れの渦中に存在する仄暗い美術館を歩いていた。貪欲な赤いワンピースの肖像から逃れるため館内を走り回ったり、良く言えば独特、率直に言えば気が滅入ってしまう絵画の数々を嫌でも鑑賞させられた少女の判断力は、底をつきかけていたと言っても過言ではない。シュガーポットに残った角砂糖のカケラを寄せ集めても珈琲の前では意味を成さないように、優しい甘言に太刀打ちするには些か心許なかった。

「わぁ!零魔ちゃん、僕のとこまで遊びにきてくれたの?」

 棘が美しい薔薇の蔦に似た荘厳な蒼い額縁の中で、ぶるーくは小さな子供のように、花が咲いたように、無邪気に笑った。その肖像は少女の背丈よりも高い位置に飾られていたが、零魔に一切の威圧を与えず心の隙間に入り込めるのは、ほわほわとした空気を纏うぶるーくだからこそ成せる技かもしれない。

「お兄さん、誰…?」
「僕?僕はねぇ、ほら。名前ならここに書いてあるけど、零魔ちゃんに読めるかなぁ?」

 悪戯っぽく笑ったぶるーくは、額縁の真下を指差した。傷も指紋も、汚れ一つないガラス製のプレートには、彼の名前が完璧な筆記体で掘り込んである。馬鹿正直に割れた通り必死に読み取ろうとする少女をにこにこと眺め、「よめない、」とおずおず白痴を曝け出した彼女の頭をゆっくりと撫でた。

「ふふ、読めないの知ってて言ったんだもん。僕はね、ぶるーくっていうの」

 「読めないなんてかわいいねぇ」と、間伸びした返答を漏らした彼は、ふいに少女の手元に目をやった。額縁に頬杖をつき、わざとらしく羨望の声を響かせる。

「へぇ、いいなぁ、いいなぁ。零魔ちゃんの赤い薔薇。ね、僕のと交換しよ?」

 背景に描かれている、真っ白な花瓶に生けられている青い薔薇を取り出しくるくると弄んだ彼は、零魔に花を差し出した。虫喰いも、花弁同士が擦れた跡もない、完璧な青薔薇だった。まるでラピスラズリを原料にした絵の具を吸い上げたような、深海の底の色をしている。


「これ欲しいの?青いお花、お兄さんの綺麗なおめめと一緒だね」

 多少の迷いを見せつつも、赤薔薇に拘る理由が見つからなかった零魔は、「いいよ、とりかえっこしよ?」と、自身の花も同じように差し出した。
 そして、酷く精巧に作られた、青薔薇の造花を受け取った。

「えへへ、やったぁ!ありがとう零魔ちゃん」
「うん。お花、大切にしてね」
「勿論!それじゃ、いただきます」

 ぇ、と小さく漏れた少女の戸惑いの声を無視し、ぶるーくは薔薇の花弁を食んだ。まるで砂糖菓子に舌鼓を打つかのように、容赦無く花弁を引き千切る。花弁に舌をつけた時の鼓動の高まりや、じんわりと口全体に広がる甘さを楽しんだ後、我慢が効かなくなったとでも言いたげに咀嚼し、嚥下した。心底大切に、ぶるーくは一枚一枚、味わい尽くしていく。

 零魔はその場に崩れ落ちた。ぶちぶちと花弁が千切られるたびに、自身の中に埋まっている太い血管が、ぶるーくの口元から覗く八重歯に噛みちぎられていくような感覚に襲われる。酷い吐き気から口を覆った零魔は、思わず戻してしまった液体が赤薔薇の花弁に似ている事に気が付いた。

「ま…って、やめて、ぉねが、」
「…えへ、零魔ちゃんの命は僕が握ってるの、分かる?零魔ちゃんはまだひらがなしか読めないもんねぇ、『薔薇が朽ちる時、貴方も朽ち果てる』はちょっぴり難しかった?」

 「ダメだよ、僕みたいなのにお花渡しちゃったら!」と、からから笑うぶるーくの声を拾うには、遅すぎた。花弁はまだ一枚残されていたが、自身の中身を錆びた五寸釘で好き勝手に引っ掻き回されるような痛みに耐えられなくなった零魔は、花喰いの肖像の下で眠ってしまった。

「あーぁ、かわいそ!でももう薔薇も零魔ちゃんも僕のだもんね。なかむに頼んで、零魔ちゃんも僕らのオトモダチにしてあげる!」

 僕のお隣に、飾ってもらおうね。








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