【空】Escape × Darling


#えすけぷ

 別段彼を怪しいと思った事はなかった。私ときりやんの大切な友人であり人道外れた実験の共犯者。そして、首謀者。彼のことを信用していなかったのかと言われれば、全ての言葉が紡がれる前に首を横に振る自信はあったし、寧ろ彼には十二分に信頼を寄せていた。

 けれど、それがいけなかったのかもしれない。なかむ君を信用していたからこそ、その信用を確認しようとしてしまった。今思えばこれ以上ない愚行であった。

「口滑らせた俺も悪いけどさぁ、俺のことそんなに信用してなかったんだ。信じてくれてなかったんだ。きりやんは軽く受け流してくれたのに、零魔は俺を怪しいと思ったんだ」
「違う、そうじゃないの、ただ、」
「そうじゃないならこんなことしないでしょ?あーぁ、俺悲しいなぁ」

 なかむ君は態とらしく目を伏せ、盛大にため息をついた。頭上で一纏めにされ、彼に握られた手首が鬱血するのを感じる。細身の彼からは想像もできないような力で押さえ付けられているという事実は、どこまでも彼の憤りを示していた。

 食事は基本的になかむ君が用意する。収容されている患者、もとい実験台四人の分も、私達医者の分も。それはずっと前からの慣習であり、それを今更訝しんだ訳ではない。ただ、「きりやんのご飯の薬も多くしとくから」という冗談めいた発言がどうにもこうにも気がかりでならなくて、彼が食事を用意するタイミングを見計らい、あたかも偶然を装って院内の厨房を覗き込んだ。

 それは丁度、彼が薬瓶を傾けた時だった。

「なかむ君にとって、私たちも実験台だったの…?」
「真逆。零魔もきりやんも大事な共犯者だよ。二人を実験台として見た事なんてないし、これから先もずっと一緒にいてもらわなきゃ」

 「でもね、」と彼は一拍置いて続けた。

「大事だからこそ、繋ぎ止めておく努力が必要だって思うんだよね。特に零魔は、ね。きりやんは望んでここに来たけど、零魔は俺が引っ張ってきちゃったから。正直いつこの病院から離れてもおかしくないし、もし他の患者に目移りしたら?それこそきりやんと恋仲にでもなったら?俺、独りになっちゃうんだよ?」

なかむ君が独り言に等しいらしい最後を零した後、厨房には水面を揺らす波紋のように静寂が広がった。床にばら撒かれた水色と白のコントラストが綺麗なカプセルが、空気中の湿気を吸って溶け出す音が聞こえるような気がした。

「私、わたし、絶対になかむ君を独りぼっちになんてしないよ。だから泣かないで」
「…そんなの、そんなの分かんないじゃん!」

 彼が怒りに任せて声を荒げる姿を見たのは初めてで、思わず自分でも理解出来るほどに体が跳ねたのが分かった。午前五時の空色の瞳から、ぼたぼたと雫が溢れる。頬へと降り注ぐ雨粒は酷く冷たかった。

「なかむ君、大丈夫だから、だから、お願い落ち着いて」
「声、震えてるよ?そうだよね、拘束されて怒鳴りつけられて、そんなの暴漢のやる事だし。幻滅した?逃げ出したくなった?俺のこと嫌いになった?大嫌いになった?でも絶対逃してあげない、俺の人生賭けて漸くここまで囲ったんだから」

 拘束の片手間に白衣の内ポケットからワクチン投与用の注射器を取り出した彼は、口で器用にキャップを取り去った。最小限の痛みに留まるよう設計された細身の針先から、透き通った海の色をした薬剤が零れる。薬品庫に出入りすることは多々あるが、見たことのない薬液だった。

「目が覚めたら、零魔が大好きないつも通りの優しいなかむ君に戻ってるよ。俺から逃げようなんて、もう二度と思っちゃダメだからね」

 俺を裏切るなんて絶対に許さない。

 彼がそう呟いたのが先か。私が朧げな意識を手放すのが先だったか。








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