【空】冥路巡り
新幹線で一時間半、そこから乗り継ぎ二つで五十分の無人駅。祖父母の家は、県境の辺境に位置している。冬休み真っ只中でそこそこの時間を持て余しており、その上祖父母から呼び出しをくらわなければ、態々こんな僻地まで足を運ぶことはなかっただろう。
そもそも祖父母と言えど、生まれてこの方顔を合わせた回数は片手で事足りてしまう程に少ない。否、記憶も残らないほど小さな頃は両親と一緒に何度も遊びに行っていたらしいが、この地でお宮参りをした三歳の頃から祖父母は私を毛嫌いしているように見えた。しかし顔が見たいという祖父母の願いを断り、次会うのがどちらかの葬儀になってしまうのは何となく後味が悪いため、ICカードも使えないようなこの地に足を運ぶことにした。
「圏外になることってあるの…?」
駅から出なくて良い、顔を見ることができたらそれで良い。駅に着いたら連絡して欲しい。最後に顔が見たい。
連絡を寄越した祖母はこの台詞を何度も繰り返していた。ついに痴呆が入り始めたのかと心配になってしまったのも、祖父母に会う理由の一つになったのかもしれない。ただ、肝心のスマホは圏外の文字を映しており、役に立ちそうも無い。
仕方が無い。祖父母の家は何となく覚えているし、家まで歩こう。
かろうじて駅周辺はコンクリートで整備されていたが、駅から一歩踏み出すとすぐに畦道を歩くことになる。田舎は都会に比べて騒音も少なく、心なしか空気も澄んでいて酷く落ち着いた。縁日でも行われるのか遠くから微かに祭囃子が聞こえるのが、また非日常で楽しかった。
「あれ何だろう」
畦道よりも少しだけ広い田舎道の向こう側から、巨大な神輿の様な牛車がこちらへ近付いてくる。牛車の付き人は皆こぞって不可解な紋様が描かれた雑面を身に着けており、神聖な百鬼夜行にも見えた。
暫く見惚れてしまっていたが、着々とその輪郭の細部までも顕にする牛車に、慌てて道の端に避けた。田んぼを挟んだ向こうの畦の人が地に頭を着けて傅いているのが見え、あれも因習のうちなのかと変な汗をかいてしまう。一応形だけでも倣っておいた方が良いのかと考えあぐねていると、目の前でぴたりと牛車が止まり、一切の音を立てず御簾がするすると持ち上がった。
「大きくなったね、零魔」
「ぇ、と…」
「直ぐに迎えに行くからね」
御簾が取り払われてもなお、牛車の中は見えなかった。
「あんた、何で外に出たんね!駅ん中おりんさいって言ったやろうが!」
「だって、だって圏外で連絡できなかったし、」
「なかむ様におうたんやろ、なかむ様に口きいたんやろ!今すぐこっから、この土地から出ていき。早う、駅まで送ってっちゃるけぇ」
祖父母の家に着くなり質問攻めにされ、先程の牛車や名前を呼ばれた事を話すと祖母に頬を叩かれた。新雪を踏み躙る様な音と共に、僅かな痛みと明確な熱が浮かび上がる。祖母は「あんたを呼んだのがいけんかった」と顔を覆いながら泣き崩れてしまった。
呆れ、失望、最後に辿り着いたのは傍観。酷いと吐き捨てる事だってできただろうに、矢張り私の事が気に入らないのだと、叩かれた衝撃で床に落としてしまった鞄を拾い上げて家を後にした。
「まちんさい!」と訛った引き止めの言葉が投げつけられるも、届かなかったフリをして駅までの道を只管に走った。嫌いな孫を呼びつけて、叩いて、怒鳴るなんて正気の沙汰じゃない。駅まで全力疾走したせいか、入り口で足が縺れて転んでしまった。次の電車まであと一時間、少し休もう。
「零魔」
人目も憚らず地面にへたり込んで息を整えていると、背後から私の名前を呼ぶ声がした。祖母の件で敏感になっていたらしく、自分でも驚く程顔の筋肉が引き攣っているのが分かる。そのまま勢いよく振り向くと、突き抜ける様な天空の双眸が煌めいた。
「…輿入れ前の愛し子を傷付けるなんて、ね。零魔が十六になるまで待ってくれって懇願してきた癖に、俺から逃がそうとして失敗して、挙句叩くとか」
「…ぁ、牛車の」
「そうそう!聞いたかもしれないけど、俺が『なかむ』っていう神様」
彼の瞳と同じ空色の爪紅で彩られた指先で頬を撫でられると、じわじわと焼かれていたような痛みも熱も直ぐに引いてしまった。「本当に、綺麗になったね」と呟いたお兄さんは、私の手を引き立ち上がらせる。あの囃子も人の声も電車の音も山のざわめきも聞こえず、ただ静寂だけが騒がしかった。
「さ、零魔。おいで、早く輿入れしてもらわなくちゃ」
「何にも心配しなくて良いからね。怖くないよ」
「俺の言うこと、聞けるでしょ?」
どうしたことか、私は無意識に頷いていた。すっかりその天空に夢中になって、彼が私を抱き締めるように、私も彼を抱き返す。
宙を漂う様な朧気な意識の中で、幸福だけに包まれていた。